民権ブログ集成
《 千 挫 不 撓 》



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《2010年》


★謹賀新年。明けましておめでとう御座います。異常気象ニュースからスタートの新年ですが、今年も宜しくお願いいたします。

・2009年12月26日10時41分【千葉日報】九十九里浜・白里海岸を大量のカタクチイワシが埋め尽くした問題で、千葉県は25日、イワシの死骸を砂浜に埋める作業を行った。同海岸には23日午前から大量のイワシが打ち上げられ、一時は海岸線の波打ち際、長さ約600メートルを数十万匹の死骸が埋め尽くしていた。当初から周囲には生臭いにおいが立ち込めていたが、次第に悪臭に変わり、近隣住民らから苦情が出ていた。このため、山武地域整備センターは25日朝から、重機4台を使ってイワシの埋設作業を実施。波のかからない地点に深さ約1メートルの穴を横長に数百メートルにわたって掘り、死骸を埋めていった。水産総合研究センター中央水産研究所(横浜市)は「詳しく調べてみないと分からないが、北海道で凍死した大量のサンマが沿岸部に打ち上げられたケースでは、水温の低下が原因と考えられている」と話している。

・2009年12月20日13時11分配信  【ワシントン時事】大雪に見舞われた米東部は19日、空港が閉鎖されるなど交通機関に大きな影響が出た。大雪非常事態宣言が出された首都ワシントンでは終日吹雪、地上の公共交通機関はほぼストップ。首都郊外のダレス空港は20日朝までのすべての便が欠航になり、ロナルド・レーガン空港は閉鎖された。外遊先のコペンハーゲンからアンドルーズ空軍基地(メリーランド州)に到着したオバマ大統領は、搭乗予定だったヘリが悪天候で飛ばず、車でホワイトハウスに戻った。

★異常気象ニュースが続きます。
・1月3日19時57分配信毎日新聞【メキシコ市支局】ブラジル南東部を昨年末から襲った大雨により、各地で土砂崩れや洪水が発生し、これまでに少なくとも64人が死亡した。行方不明者の捜索活動が続けられており、死者数はさらに増えるとみられる。最も被害が大きいのはリオデジャネイロ州で、AP通信によると同州だけで61人が犠牲となった。このうち、リオデジャネイロ市の西約100キロのリゾート地、グランジ島では1日未明に大規模な土砂崩れが起き、リゾートホテルや民家の一部を海にまで押し流した。ホテルには年末年始を過ごす保養客らが宿泊しており、少なくとも26人が死亡した。対岸でも土砂崩れがあり、少なくとも13人が犠牲となった。

・2010年1月4日 13時53分 【ソウル共同】韓国は4日、全国的に大雪に見舞われ、聯合ニュースによるとソウルの午前11時半現在(日本時間同)の降雪量は25・2センチとなり、41年ぶりの豪雪を記録した。韓国メディアによると、幹線道路は大渋滞し、地下鉄の運行も大幅に遅れるなど交通はまひ状態。金浦空港発着の便は国内線のほか、羽田空港行きなど日本路線も午前中の便は全便欠航した。ソウルや同国北西部の京畿道、北東部の江原道に大雪警報が、中部地域には大雪注意報が出た。北西部の仁川港と各地を結ぶ旅客船も運航が中止されているという。
(2010/1/4)



★今年の俳句の詠み始めは下記の句でした。
 梅が香や鄙には老いの夫婦達
 ウメガカヤ ヒナニハオイノ メオトタチ

★英訳して次のような我流三行詩にしてみました。
 Fragrance of plum blossom
 The old married couple
 Live in the country.

★ドナルド・キーン訳『おくのほそ道』(講談社学術文庫)には、1689年3月27日(旧暦)の芭蕉の発句が下記のように英訳されています。名訳です。
 行く春や鳥啼き魚の目は泪
 ユクハルヤ トリナキウオノ メハナミダ
 Spring is passing by.
 Birds are weeping and the eyes
 Of fish fill with tears.

★定年退職間際になり、1月に初孫(Grand daughter)が誕生し、私はジージ(Grand father)になりました。2010年3月27日で満60歳を迎え「アラカン」です。寂寥、セキリョウ・・・。昨年末に詠んだ晩冬の拙句。
 枯れ枝は櫟の下を焚く烟
 カレエダハ クヌギノモトヲ タクケムリ

★「アラカン」は「アラウンド 還暦」の当世流行語ですね。
(2010/3/7)



★土曜日は強風、日曜日は穏やかな日差しに急変しました。自邸にある鉢植えの石楠花の蕾が開き始め、ピンクと深紅の椿、イエロウの水仙が咲いています。
 春嵐の去る日鳶はぴーひょろろ
 シュンランノ サルヒトンビハ ピーヒョロロ
★老後は「ネトゲ俳人」でしょうか?穏やかな今日は竹林の掃除をやり、筍掘りに備えました。 怪鳥(ラドン)のような声を残して、鷺が長空を飛んで行きました。不気味な鳴き声なので、まさか恐竜時代の再来?低空を飛ぶ椋鳥の尾が長過ぎる異変です。此処では鳥類だけが元気です。
(2010/3/14)



★3月末で60歳定年退職しました。4月からは再任用教諭として、週の半分だけ出勤して教壇に立っています。若い世代と日々接することができるのは幸運と感じています。
★4月中の休日(木の午後・金・土・日)は、天気が良いときは孟宗竹の筍掘りをしました。顔が日焼けしたと言われましたが、タケノコ焼けでしょうか。
★やり残した研究課題にボチボチ取り組み始めています。持病もあり、後、何年生きられるか?最近の拙論を記載させていただきます。
・「安房高等女学校の戦前・戦後」(東京成徳大学人文学部日本伝統文化学科『房総を学ぶ5』2009年12月)
・「原亀太郎日誌と自由民権演説会・教員、医者、県議、農民」(『図説安房の歴史』郷土出版社2009年12月)
・「地租軽減建白の民権家・自由党員齊藤自治夫」(『図説長生夷隅の歴史』郷土出版社2010年2月)
・「加波山事件、大阪事件の代言人・板倉中と妻の比左」(同上)
・「英学と漢学の民権学校・薫陶学舎と井上幹」(同上)
★自宅裏の照葉樹(樫・楠・八手・椿・黐の木・山茶花)と竹林(母の死後荒れ放題の)の掃除をしました。(来季は民権林園を開園か?)幼年時代に、千葉県では最高峰の愛宕山を眺め(西方)ながら成長したことを再認識しました。自己の旺盛な独立精神は、毎日眺めた県南のこの山の御陰か?
(2010/4/25)




★「こどもの日」です。初孫は現在、横浜市在住です。『新訂一茶俳句集』(岩波文庫)に、「雪とけて村一ぱいの子ども哉」(ユキトケテ ムライッパイノ コドモカナ)(1048『七番日記』)の秀句があります。こんな句は、芭蕉も蕪村も子規も虚子も作れなかったでしょう。
★最近、地域の日刊新聞HPで下記のようなニュース(抜粋)を読みました。
○館山市の生活保護受給者が急増し、3月末時点で473世帯、604人にのぼり、過去最高を記録。
○扶助費は、決算ベースで10億円の大台に迫り、厳しい台所に追い討ち。
○理由は「収入の減少」「定年・失業」「貯金の減少・喪失」など不況に要因。
○人口1000人に占める割合を示す保護率は11・98にのぼり、安房地域の他市町と比較して南房総市の5・87、鴨川市の7・34、鋸南町の6・86と格段の高率。
(4月27日20時00分)
★上掲の記事に触発されて、「貧」を詠んだ句を『新訂一茶俳句集』から二句だけ選んでみました。「雪ちるやきのふは見へぬ借家札」(ユキチルヤ キノウワミエヌ シャクヤフダ・1011『七番日記』)、「鰯めせめせとや泣子負ながら」(イワシメセ メセトヤナクコ オイナガラ・1576『八番日記』)。堪らないですね(タマンネッペヨ)。
★5月5日、畑(山)仕事の合間に偶々、蔵書の田辺聖子『ひねくれ一茶』(講談社1992年)を再読しましたら、こんな句に出会いました。「生き残り生き残りたる寒さかな」(イキノコリ イキノコリタル サムサカナ)、「六十の坂を越ゆ夜ぞやっこらさ」(ロクジュウノ サカヲコユヨゾ ヤッコラサ)。今日は、伜と一緒に裏山の楠木に登り、清澄山方面(東方)を眺めました。
(2010/5/5)




★大型連休は終了です。定年後の畑仕事の合間に、自邸周囲にある樹木の種類を列挙してみました。植樹の好きな先祖(300年来の?)がいたようです。私が植えた木もありますが・・・。
・照葉樹(①椿 ②樫 ③楠 ④八手 ⑤黐の木 ⑥山茶花)
・常緑樹(①石楠花 ②槇 ③皐月 ④樒 ⑤榊 ⑥柊 ⑦柚子 ⑧夏蜜柑 ⑨棕櫚 ⑩南天 ⑪柾 ⑫金柑 ⑬茶 ⑭榧 )
・落葉樹(①朴 ②栗 ③柿 ④桜 ⑤梅 ⑥欅 ⑦櫟 ⑧桑 ⑨躑躅 ⑩岩躑躅 ⑪楓 ⑫柏 ⑬枇杷 ⑭山椒 ⑮柘榴 ⑯プラム ⑰榎)
・針葉樹(①赤松 ②五葉松 ③檜葉 ④矮鶏檜葉 ⑤檜 ⑥杉 ⑦黒松)
40種類程確認でき、更に名前の判らない落葉樹もあり、不勉強を恥じています。
★孟宗竹の竹林に隣接して、樫の古木(樹齢150年~300年推定)が10本ほどあります。天然記念物級でしょうが、少し枯れかかっています。大切に保存したいものです(子孫への伝言)。2万冊以上の蔵書(未整理)も同様です。
★竜の頭の形をした「竜頭樫」、根元で五つに分かれた「五竜樫」、二本が絡みあった「母子竜樫」、天に突き出た「登竜樫」、斜めに伸びた「臥竜樫」、樹皮の白い「白竜樫」、枝がモミアゲのような「竜鬢樫」等、様々な残存状態です。その上を二羽の大きな鳶が舞っています。
☆自宅は雑草に埋もれ、殆ど山荘です。風はどういう物理現象か?などと緑陰で考える余裕を持てるようになりました。
☆芭蕉に「樫の木の花にかまわぬ姿かな」(カシノキノ ハナニカマワヌ スガタカナ)の佳句があります。緑風の中で詠んだ私の句は「紅の日向の柘榴芽吹け今」(クレナイノ ヒナタノザクロ メブケイマ)でした。柘榴の小さな新芽だけが口紅のように鮮明な赤色です。嗚呼、定年退職バンザイ!
(2010/5/9)



★最近のネットニュースで、次のような記事を興味深く読みました。
○2009年度に企業が休眠や廃業、解散に追い込まれた件数が、法的整理による倒産件数の2倍を超える2万7191件に上ったことが、帝国データバンクが初めて実施した調査で分かった。厳しい経済環境などを背景に、倒産を大幅に上回る数の企業が消滅している。(「時事通信」5月13日18時4分配信)
★「倒産」よりも「消滅」のほうが圧倒的に多いようです。こんな日本の経済現象を若い世代はどのように受け止めるのでしょうか?
★前回、自邸内の樹木を列挙して、私が枯らしてしまったり、伐ってしまった樹木のあったことを思い出しました。
・枯らしてしまった樹木(①桃・②木蓮・③無花果④木槿)
・伐ってしまった樹木(①辛夷・②金木犀)
・他家へ移植した樹木(①銀杏)
★御先祖に申し訳ないので、生き存えて枯木の再生を探求せねばと考えています。マジです・・・。
(2010/5/23)




★「水無月は木洩れ日に啼く鳥に風」(ミナヅキワ コモレビニナク トリニカゼ)。自宅裏の樫の古木群(樹齢150年~300年)に囲まれて詠んだ最近の拙句です。先祖の霊が宿っているような(感性が古いかな?)スポットです。
★退職の挨拶状を郵送する季節となりました。(少し遅いか?)定番の俳句は「是がまあつひの栖か雪五尺」(コレガマア ツイノスミカカ ユキゴシャク)ですね。文化9年(1812)小林一茶が50歳の時に故郷の柏原に戻って詠んだ名句です。
★ドイツ語訳では次のようになります。
Ach, dieses Haus nun,
das meine letze Wohnstatt !
Fünf Fuß hoch der Schnee-
(『独訳一茶句集』信濃毎日新聞社1981年) 
ドイツ語訳の『一茶句集』を刊行してしまうのですから、信濃毎日新聞社の底力に脱帽です。
★H総理とO幹事長が揃って辞任しました。筆者の愚妻は、両代議士の高校の後輩(母校は都立K高校)なので、日頃より何となく両氏に親近感を持っていました(ガンバレ小鳩コンビではなく、ガンバレ小石川コンビ?)。
★妻の言うには「お坊ちゃまが多いからねえ」ということで、育ちの良さが禍して脇が甘くなり、退陣に追い込まれたようです。前掲の拙句を川柳に変換すれば「水無月は風向きに泣く小鳩かな」(ミナヅキワ カザムキニナク コバトカナ)となります。
(2010/6/6)



★子供を詠んだ俳句は、小林一茶がもっとも優れていると5月5日に書きました。書いてしまった後で、本当にそうか不安になり確かめてみました。
★高浜虚子は『俳句とはどんなものか』(角川ソフィア文庫)で一茶の俳業について次のように述べています。
「天明時代にほとんど一茶一人が光っている一時代がありますが、それは大勢の上にあまり大きな影響がない」「一茶は一個の彗星として考えるのを至当とします」。
俳句結社のオルガナイザーらしいきっぱりとした評価です。しかし違和感が残ります。
★気になって『虚子五句集(上)』(岩波文庫)から、子供を詠んだ俳句を探してみました。
・老人と子供と多し秋祭り
1937年(昭和12)10月、氷川神社での句のようです。無礼ながら、筆者にはこんなパロディーの句ができてしまいました。「老人の姿の多し夏祭り」。
★『虚子五句集(下)』からは次の一句を拾い上げました。
・大勢の子(を)育て来し雑煮かな
1950年(昭和25)師走の句です。同年同月の句になかなか辛辣なものがあります。同年は筆者の生まれた年でもあります。
・見栄も無く誇りも無くて老いの春
・蓄えは軒下にある炭二俵
・門松を立てていよいよ淋しき町
★我が(筆者在住の)寂しき町は、町村合併、中学校統合、高等学校統合を経ていよいよ今年度から保育園・幼稚園・小学校の統廃合に突き進みました。明治の「学制」以来のアイデンティティをすっかり喪失した形です。かつて模範村(主基村)の村議であった祖父が生きていたらどんな感懐を語ったか?
★子供を詠んだ俳句について、俳諧史に学びながら、統廃合の地域において、しばらく拘ります。
(2010/6/20)



★今日は『子規句集』(岩波文庫)の中の子供を詠んだ句を検討します。
・子を負ふて大根干し居る女かな
 コヲオウテ ダイコンホシオル オンナカナ  (明治27年)
・子を負ふて女痩田の稲を刈る
 コヲオウテ オンナヤセダノ イネヲカル   (明治28年)
★正岡子規も一茶をあまり評価しませんでしたが(『俳諧大要』では一茶の句を二句しか取り上げていない)、上掲の両句とも、一茶の「鰯めせめせとや泣子負ながら」(イワシメセ メセトヤナクコ オイナガラ 『八番日記』)の影響を受けているような気がします。要するに二番煎じです。
★我が住む村から、この50年間で公共機関は次々と消えました。役場、診療所、農協、保育園、幼稚園、小学校、中学校。残存する公共機関は駐在所だけですか?新たに設置されたのは清掃センターと競輪サテライトのみ。商店街から消えた店舗は、魚屋、八百屋、肉屋、電器屋、蕎麦屋、植木屋、洋品屋、文房具屋、練乳工場。
★『老子』の「小国寡民(しょうこくかみん)」(小さな共同体、少ない住民、自給自足)の夢やまぼろし。今、子供はどこにいるか? 俳諧史を学びながら、この問題に引き続き拘ります。
(2010/6/27)



★近世の俳句に戻る前に、もう少し近代の子供を詠んだ俳句を鑑賞します。新刊の『巨人たちの俳句』(平凡社新書)には、堺利彦の次のような佳句があり味読しました。
・秋風に隣の子等は真っ裸 
・蒼白き我が児の顔やそぞろ寒 
同書には、ソーシャリストの堺利彦が「枯川(こせん)」の俳号を持ち、父親は俳人であったと記述されています。
★『みんな俳句が好きだった』(東京堂出版)には、俳人の中村汀女の子供を詠んだ名吟が紹介されています。
・あはれ子の夜寒の床の引けば寄る 
・咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや
★『みんな俳句が好きだった』には、堺枯川の出獄吟も紹介されていました。
・息白く命の窓に別れかな
・板敷に壁に冷たき別れかな
筆者も、人生に一度位こんな境地の俳句を詠むことになるかと思っていましたが、閉所恐怖症のお陰か今の所無事で、平坦な半生涯です。
★5月に苗を植えた胡瓜と茄子が畠で順調に成長し、愚妻(良妻?)が糠漬けにしています。種を播いた大根は、葉の部分が虫に食われて痛々しい姿です。生々流転、野草とパソコンの間を行ったり来たりです。
(2010/7/4)




★夏休みが近くなって来ました。幕張のシネコンへ映画を見に出かけましたが、金曜日でしたのでガラガラに空いていました。中高年ばかり? 筆者は今年から、入場料が60歳以上のシニア料金なので、1000円で済みました。嬉しいやら寂しいやら?
★映画は封切りの「必死剣鳥刺し」(ヒッシケン・トリサシ)を鑑賞しました。藤沢周平原作の短編小説は以前、「隠し剣鬼の爪」(カクシケン・オニノツメ)を読んだ時に通読はしていましたが、映画を見て新鮮な感動に包まれました。予想外でした。
★主演は豊川悦司、共演は岸部一徳(以下敬称略)。二人は、名作「フラガール」(李相日監督2006年)のコンビです。これで主人公(兼見三左エ門)の亡妻(睦江)の役を松雪泰子、主人公の姪(里尾)の役を蒼井優が演じ、豊悦と蒼井のラブシーンがあり、富司純子や「静ちゃん」も登場したら、楽しかったろうなあ?ついでに音楽担当もジェイク・シマブクロだったら、どんな映画になっただろうか・・・。
★つい、イヤミの映画批評を書いてしまいました。気にしないで下さい、真夏の夜の夢です。今度の平山秀幸監督による藤沢周平作品の映画化は、「隠し剣鬼の爪」(山田洋次監督2004年)に勝るとも劣らない出来映えでした。池脇千鶴の演技(里尾)も淡い味わいがありました。(松たか子にはかなわないかもしれませんが)「武士の一分」(2006年)より、完成度が高いでしょう。百姓一揆の弾圧場面も如実に(原作に忠実に)映像化されていました。
★「必死剣鳥刺し」の最後の乱闘場面は、豊川悦司のカツラがずれる程(怪談映画と見間違える程?)の熱演で、日本映画の醍醐味を充分に味わうことが出来ました。1000円は本当に安かった。
★しかし、豊川悦司も岸部一徳も、「フラガール」で演じた常磐炭坑夫の二種類のキャラクターのほうが魅力的でしたよ。「銭湯」の場面なんか歴史に残るような名(迷?)場面で、今でも瞼に焼き付いています。(抱腹絶倒)
★それから皆さん、日本のゴジラ映画の3Dリメイク版を見たいと思いませんか。私は、ゴジラの太い尾や口から吐き出す炎が、スクリーンから飛び出て来るのを鑑賞してみたい。ではまた来週・・・。
(2010/7/18)




★『鈴木真砂女全句集』(角川書店) は2001年刊です。真砂女(まさじょ)は「銀座ママ老いも若きも更衣(ギンザママ オイモワカキモ コロモガエ)」(1998年)のようなイメージの俳人として知られています。恋の俳人?子供を詠んだ句だけを列挙すると、それとは異なる、房州の女性(母親)らしさが溢れ出た句風となっています。
・手袋の手をつなぎあふ親子かな (第一句集・1955年)
・珠のごとき苺頒つや母と子の (1959年)
・娘の来る日落葉を焚いてものを煮て (1969年)
・春袷娘が縫ってくれにけり (1998年)
★上掲の句に詠まれた「娘」は、『今生のいまが倖せ』(講談社2005年)で母親の真砂女(1906~2003)について回想しています。「娘」は「隠しごと親子にもあり桜餅(カクシゴト オヤコニモアリ サクラモチ)」(1988年)の句を『全句集』の中から拾い出しています。
★『今生のいまが倖せ』の著者略歴を読むと、真砂女の長女として誕生し、鴨川市にある県立N高校で学び、1950年に文学座付属演劇研究所に入所したと記されています。真砂女の、「そむきたる子の行末や更衣(ソムキタル コノユクスエヤ コロモガエ)」という句はこの頃のものでしょうか。1950年、小生は0歳でした。
★1955年、上掲の「手袋の」句が詠まれた頃、木造三階建ての吉田屋旅館が全焼しました。1959年、「初凪やもののこほらぬ国に住み(ハツナギヤ モノノコオラヌ クニニスミ)」の句碑が海辺に建立されました。1969年、「娘の来る日」の句が詠まれた頃、小生は19歳でしたが、古都のバリケードの中を歩き回っていました。
★1998年、『人悲します恋をして』(角川文庫)が出版されたので、小生は購入しました。同年、48歳にもかかわらずHP「房総自由民権資料館」を開設して、筆者は台所(だいどころ)学派からWEB(うぇぶ)学派へ脱皮しました。(と友人に揶揄されました)
★夏休みなので先週は、遠野・花巻・北上まで家族と一緒に旅行して来ました。リュックサックの中に、『遠野物語』(柳田国男著・桑原武夫解説・岩波文庫)、『新釈遠野物語』(井上ひさし著・新潮文庫)、『共同幻想論』(吉本隆明著・角川ソフィア文庫)を入れました。遠野市は『遠野物語』百年ということで、観光客で賑わっていました。旅行の途中で考えたことを、次回少し書く予定です。
★東京成徳大学人文学部の鶴巻先生のゼミから、「海のたのしみ、海のもてなし」展の案内が届きました。期間は8月21日(土)~8月27日(金)、会場は望月定子美術館(九十九里町片貝6928-55)です。25日(水)は休館です。自宅から車で2時間程で行けますので、今年は是非伺わなければと考えています。
(2010/8/8)



★還暦を過ぎて、柳田国男(1875~1962)の民俗学への違和感がやっと薄らいだようです。(今までは宮本民俗学一辺倒だった?)岩手県遠野市へ初めて旅行に出かけました。JR遠野駅を下車して、遊覧バス(遠野物語めぐり号)に飛び乗り、曲屋(まがりや)・カッパ淵・佐々木喜善記念館・オシラサマ等を見学しました。
★社会科学はやはり、その場に立つべきであると再認識しています。(万巻の書、千里の路)北上山地の早池峰山(はやちねさん・1917m)の山深さを実感できました。房総丘陵の愛宕山(あたごやま・408m)とはかなり違います。
※府県別最高地点としては、千葉県の愛宕山が最も低く、次は沖縄県の於茂登岳(526m)で 、更に京都府の皆子山 (972m) 。(嗚呼、低い?!)
★旅行の前後に、『遠野物語』(岩波文庫)を再読して、特に印象に残った山村伝承は五葉山の女(7)、ガガと伜(11)、カッパと娘(55)、ヤマハハ(116)でした。(7)と(55)は子供を喪う物語、(11)は母親を喪う物語、(116)は異人除去の物語です。文語体ですが、どれも刺激的な文章なので引用は避けます。「本当は恐ろしい遠野物語」なのです。JR遠野駅売店には、角川文庫版と集英社文庫版も並んでいました。
※『遠野物語』は1910年に自費出版(100年前)、1935年に郷土研究社から増補再刊、岩波文庫の初版は1976年でした。学者登山家であった故桑原武夫(1904~1988)の文庫解説を参照。
★井上ひさし(1934~2010)著『新釈遠野物語』(新潮文庫)を同時に読んでみました。迫力のある短編小説でしたので、筆者は少し驚きました。大学を休学した青年が故郷に戻り、釜石市から遠野方面の山中へ通勤するアルバイトをして、その期間に出会った老人(狐)に様々に化かされる物語です。
★「鍋の中」「川上の家」「冷し馬」の章は、子供を喪う物語です。「水面の影」の章は、異人除去の物語です。母親を喪う物語の章は無いようでした。序章から終章まで、辺境のジェンダー(性差)が笑話風に描写されています。同文庫の著者紹介欄には、「浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタート」と経歴があっけらかんに記載されています。井上ひさし氏は先頃(本年4月)他界されました。
※『新釈遠野物語』は1976年に筑摩書房から刊行、新潮文庫の初版は1980年でした。2010年4月で40刷。(不道徳なこの本がこんなに読まれているのか?)
★『共同幻想論』も今回は文庫本(改訂新版)で再読しました。丁度よい機会ですから次回は、吉本隆明氏(1924~)の卓抜な共同幻想(国家)論と対幻想(性的関係)論について、久し振りに筆者の意見(異見?)を整理してみるつもりです。
(2010/8/15)



☆先ずは『共同幻想論』で強く印象に残っている下記の文章から始めます。

◎悠紀、主基殿にもうけた〈神座〉にはひとりの〈神〉がやってきてさしむかいで食事する。
◎悠紀、主基殿の内部には寝具がしかれており、・・・〈性〉行為の模擬的な表象であるとともに〈死〉と〈生誕〉を象徴する。
◎一対の男女神を演ずるのは、あきらかにひとりの〈神〉と異性の〈神〉・・・。
◎大嘗祭の祭儀は、対幻想を〈最高〉の共同幻想と同致させ、・・・じぶん自身の人身に、世襲的な規範力を導入しようとする模擬行為・・・。
(角川ソフィア文庫版150頁「祭儀論」)

☆初めて『共同幻想論』(河出書房新社1968年)を購入して読んだのは、刊行されて直ぐの頃でしたから約40年前でした。上掲の卓抜な洞察によって、私は天皇制の歴史的権威(呪縛?)を異化できるようになりました。(と今でも考えている)しかし既述したように、我が住む旧主基村は寂れる一方ではあります。

☆明治天皇即位式の斎田跡を詠んだ拙い旧句を、記憶の闇の底から拾い出します。
・主基村に残る縁や白椿  
 スキムラニ ノコルエニシヤ シロツバキ
主基斎田跡地(現鴨川市)に咲く、紅白一対の椿を見つめて詠む。
(30代後半)
・梅が香や鄙には老いの夫婦達  
 ウメガカヤ ヒナニハオイノ メオトタチ
地域の少子高齢化が一段と進行し、旧主基村が廃れて行くのを目の当たりにして詠む。
(50代後半)

☆吉本隆明氏の「対幻想」の概念はフロイト(「集団心理学と自我の分析」)とヘーゲル(『精神哲学』『精神現象学』)を踏まえたものと前掲書に記述されています。独身時代の私には唐突な概念に感じられ難解でしたが、今では広い視野で捉え直すことができます。結婚し、子供が生まれ、夫婦喧嘩も経験し、二人の子育てをひとまず終えました。(離婚の危機もなく無事に?)両親は他界しましたが、今年は、初孫が誕生しました。

☆例えば、チェコスロバキア出身の現象学哲学者フッサールの『デカルト的省察』(岩波文庫201頁~202頁)には、「対になる仕方」「対をなして現れる」「対になる本質的特徴」「対になる連合」「対として構成」という表現が登場します。フッサールはこの対概念を、「交互に生き生きと呼び覚まし合うこと」「交互に押しかぶせながら覆い合うこと」と解りやすく説明しています。

☆フッサールの対概念は、異性間にのみ成立する性的共同性ではなく、個人(我・エゴ)と個人(他我・アルターエゴ)の間に構成される類似的統一性と呼ぶような概念です。吉本氏の「対幻想」のように、性的な関係のみに限定してはいません。『デカルト的省察』(浜渦辰二訳)は2001年の刊行でした。

☆中世に視野を広げると、道元著『正法眼蔵』の「現成公案」には、「仏道をならうとは、・・・自己の身心をも他己の身心をも脱ぎ捨てること」(講談社学術文庫第一巻44頁)という文章があります。有名な「身心脱落」の一節です。道元の「他己(たこ)」という概念は、他における自己ともいうべき共同性です。(性的な共同性を含む概念なのかどうかは不明?です)

☆「対幻想」という用語は、『共同幻想論』の記述においで表記は一定していないようでした。今回(遠野旅行前後)の読書では、「対幻想」という概念に注意を払いながら読んでみましたが、「〈対なる幻想〉」「〈対幻想〉」「対幻想」「対なる幻想」「〈性〉的な対幻想」「自己幻想(または対幻想)」「男・女のあいだの心(対幻想)」「〈対〉幻想」と様々に表記されていました。

☆全12章の内、前半の「憑人論」と後半の「規範論」「起源論」は、「対幻想」という用語は使用されることなく、主に「共同幻想」概念で記述されています。
(この項続く)
(2010/8/22)



★夏休み最後の日曜日です。前回と同様に、吉本隆明氏のオリジナルな概念である「対幻想」について整理を続けます。この概念は、「自己幻想」に対して(又は「共同幻想」に対して)独立させることが可能なのかどうか?『共同幻想論』(角川ソフィア文庫)の論述の順序に従って引用します。

◎農耕祭儀が・・・はじめから穀神が一対の男女神とかんがえられ、農村共同体の共同幻想にたいして、独立した独自な位相をもっている。(「祭儀論」148頁)
◎〈家族〉のなかで〈対〉幻想の根幹をなすのは、ヘーゲルがただしくいいあてているように(「一方の意識が他方の意識のうちに自分を直接認める」)一対の男女としての夫婦である。・・・親子の関係も根幹的な〈対〉幻想につつみこまれる。(「対幻想論」183頁)
◎穀物の栽培と収穫の時間性と、女性が子を妊娠し、分娩し、男性の分担も加えて育て、成人させるという時間性が違うのを意識したとき、人間は部族の共同幻想と男女の〈対〉幻想とのちがいを意識し、またこの差異を獲得していった。(「対幻想論」195頁)

☆「情況とはなにか」(『吉本隆明全著作集13』勁草書房1969年所収)という論考の中にも「対幻想」の定義が記述されています。(390頁~391頁)当時19歳でしたが、こちらの文章の方が私には比較的解りやすかったように記憶しています。著作集の第13巻は繰り返し読んだ書物なので、手垢で汚れ表紙が変色しています。(40年が過ぎたのだ・・)

☆例えば「家の共同性をどこまで拡張しても社会的な共同体にゆきつかない」。
(成る程、そんな気がする)

☆「〈幻想対〉共同性は・・個人としての男女、集団としての男女がうみだす共同性と区別される」。
(「対幻想」は個人を離れられるか?離れられないならば、個人や集団の一般的共同性との、同一又は差異の規定はどうなるのだろうか? 保留かな?)

☆「幻想対は・・対であるという理由で地上を離れることができない」。
(その通り、人類の生命の維持と世代的存続は、大前提で疑い得ない)

☆「幻想対は人間と人間のあいだの直かの自然関係を基底としている」。
(人類は、自己が生き延びるだけでは不十分で、配偶者と子供がいなければ滅び、夫婦の自然関係は自明の理である)

★吉本氏のこの論考(「情況とはなにか」)の初出は、『日本』(1966年2月号~7月号)であり、「対幻想」ではなく、専ら「幻想対」という用語が使用されていました。名辞と定義が確定するまで時間がかかったようですね。

★ひょっとして、「対幻想」は微視の概念ではなく、人類史的な巨視の概念なのでしょうか?K.Marxの、「疎外」概念(「生産物疎外」「労働疎外」「自己疎外」「人間疎外」「類疎外」)に関わる極大概念の「類的存在」概念のように。(長谷川宏新訳『経済学・哲学草稿』光文社2010年参照)

★K.Marxは『経済学・哲学草稿』においてアリストテレスの世代論を引用しています。(前掲書162頁)父母から子供へ、次世代の父母から子供へと続く、人類の類的「存続」の規定です。「類的幻想」又は「類幻想」という概念も独立可能かもしれないと考えました。

★吉本氏は、前掲『共同幻想論』において「親子の関係も〈対〉幻想につつみこまれる」と書いています。しかし、現在の筆者の心境では「夫婦の関係(対幻想)は親子の関係(類幻想)に引き込まれる」と考えます。(倫理的で、非文学的かな?)

★「共同幻想」そのものの概念の方は、若い頃から解りやすいものでした。前掲『共同幻想論』の序章において、「全幻想領域」の中の「国家とか法とかいうような問題」と記述されています。宗教や神話も含むスタンダードな概念です。「自己幻想」は「芸術理論、文学理論、文学分野」と記述されています。吉本思想の独創性は、「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」という三つの軸を設定し、「内部構造」「表現された構造」「相互関係」の論点から、「全幻想領域」を統一的に解明できるとするパラダイム(枠組み)ですね。

★『遠野物語』所収の「ガガと伜」(10・11)の伝承は、母親を喪う物語であり、桑原武夫も伝統的な家族問題のように特筆していました。(同書岩波文庫解説)今度の読書では強く印象に残った物語です。『共同幻想論』では「憑人論(ひょうじんろん)」の章で、この物語(10)を論じています。しかし「対幻想」の観点からはとうてい問題にならないとして、ほとんど「自己幻想」と「共同幻想」の枠組みだけで論述しています。 (もっと「対幻想」の観点から論じるべきでは?)

★猛烈な残暑が続き、日中は畑仕事が無理なので、自宅のハイビジョンテレビでDVD「吉本隆明、語る~沈黙から芸術まで~」(NHKエンタープライズ2009年)を、老妻と一緒に1時間半程鑑賞しました。(同日、韓流ドラマの「アイリス」も鑑賞しましたが)1924(大正13)年生まれの吉本隆明さんが、半世紀以上かけて紡いだ理論を、青年学生男女を前にして、統一的に語ろうとした講演でした。

★既に腰がかなり曲がってしまい(老いた農婦のように)、車椅子で長時間の講演をする姿に(小生の、第二次世界大戦をくぐり抜けた両親と同世代)、畏敬と悲痛の感情が湧きました。(嗚呼、幻想革命者の悲哀・・・。失礼?)
(この項、もう一回続けます。締め括りは「日本のナショナリズム」の予定です。)
(2010/8/29)



☆真夏に一ヶ月以上晴天が続いているのに、里山の南側を流れる加茂川の水がカラカラになりません。(地下水脈に異変を生じているのでは?)長狭平野の夕日の沈む方角と位置が例年と違うような気がします。(まさか地軸がずれたのでは?)深夜の裏山から鷺の奇怪な鳴き声が聞こえます。(鳥も虫も生態系に異変では?)

☆吉本隆明氏が唱えた「自立の思想」のパラダイム(枠組み)について、この時期に論点を整理しておこうと思い立った理由は二つ程あります。一つは高校教科書に「日本のナショナリズム」の文章が掲載されていたからです。(こんな時代がもう来ていたのか?)

◎日本にも、米国にも、ソ連や中国にも虚像をもたない、・・「虚像」を「虚像」で打つという進歩派にも保守派にもあまり関心がない。
◎インターナショナリズムにどんな虚像をももたないということを代償にして、日本の大衆を絶対に敵としない思想方法を編み出す。
◎生涯のうちに、自分の職場と家をつなぐ生活圏を離れることもできないし、・・どんな支配に対しても無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに大衆の「ナショナリズム」の核がある。
◎ここに「自立」主義の基盤がある。
(「日本のナショナリズム」抜粋、初出は『現代日本思想大系4ナショナリズム』筑摩書房1964年)

☆もう一つの理由は、『吉本隆明1968』(平凡社新書2009年)を購入して通読したからです。著者の鹿島茂氏はフランス史家で、吉本イズムから受けた大きな影響を躊躇することなく記しています。いまだに吉本エピゴーネンが存在するようです。(この素朴で刺激的な感動?)同書は、1968年前後の諸論考を丁寧に追想して(褒めちぎって)います。「社会ファシズム」と「農本主義ファシズム」と「軍部ファシズム」の差異に触れ、北一輝等が陸軍統制派に敗北した経過も指摘しています。大衆ナショナリズムの「自己欺瞞」と「リアリズム」と「揚げ底」についても特筆しています。(こんな本が刊行される時代が訪れたのか?)

☆吉本思想はいつ「異端」から「正系」に転じるようになったのでしょうか。かつては、まったくの異端であったはず。夏目漱石、柳田国男等に続き教科書(文科省検定済)に登場する日本の現代思想家。「自立の思想」は多くの読者を得て、公共性を獲得し、資本制支配層にも受け入れられて、虎から猫に転位してしまったか。(そんなはずはない?)久し振りに吉本氏の論考を整理していて不思議な気分を味わいました。

☆吉本氏が半世紀前に主張した「自立の思想」について、著作集から箇条書きに抽出することも可能ですが、今回は一文だけの引用に留めて、整理はこの辺で小休止です。いわゆる大衆の「内観」です。(教科書には掲載されていない部分)

◎政治的には、資本制支配層そのものを追いつめ、つきおとす長い道と、思想的には生活思想の深化によって大衆自体が、自己分離せしめるという方途以外には存在しない。
(「日本のナショナリズム」前掲書所収)

☆ロシアのモスクワ近郊の山林大火災、パキスタンのインダス川流域の大洪水、チリ鉱山の地下崩落、房総半島でも今夏は気温36度を記録。嗚呼、古代ギリシヤに誕生したエンペドクレスの自然哲学の基本概念(土・空気・水・火)は、現代世界においても有効のようです。自然哲学と根源(アルケー)の復権。

☆「咳をしても一人」(放哉)、「鴉鳴いて私も独り」「後ろ姿の時雨れて行くか」(山頭火)という自由律俳句の名吟があります。記録的な猛暑の中、渡り廊下をウオーキングしていた時に、
・息をしても暑い
・鷺鳴いて私も熱い
・浴衣姿の日暮れて逝くか
という無意識のパロディー句(略してパロ句)を詠んでいました。「パロク」は筆者の造語です。

☆高知市立自由民権記念館から「自由のともしび」(記念館だより)が届きました。9月11日(土)~11月14日(日)まで、特別展「幸徳秋水展-その生涯と思想-」があります。また同時に、企画展・龍馬の遺志を継ぐもの「中江兆民展」が、10月9日(土)~12月19日(日)まで開催されます。

☆私はこの40年間、吉本隆明氏の主要な著作はほとんど読破して来たと言えます。若い頃は卓抜な洞察に影響も受けましたが、いまだに同氏の文体や概念構成には馴染むことができないままです。教科書風に日本近代思想史の文脈で書くならば、吉本氏が詩人思想家(宮沢賢治の流れ)であり、また文芸批評家(小林秀雄の流れ)であるからでしょう。次回から再び、私自身の最近の関心事である「俳句と子供達」のテーマに戻り、ボチボチ所感を書き続けます。平成の「所感派」かな?
(2010/9/5)




☆「対幻想」概念を整理していて、「類幻想」という造語を思いついてしまいました。『経済学・哲学草稿』に記述された、「類的存在(Gattungswesen及びGattungssein)」、「類生活(Gattungsleben)」、「類的性格 (Gattungschrakter)」、「類的対象性( Gattungsgegenstãndlichkeit)」、「類的意識(Gattungsbewußtsein) 」、「類行為( Gattungsakt)」という語彙に依拠した概念になりそうです。

☆「底辺」には「底点」を、「対幻想」には「類幻想」を、かな?青年時代のK.Marxの著作を読んだことがない若い世代のために、「類的存在」概念のエッセンスを少し紹介しておきます。念のために。

◎生命活動の様式のうちには、一種属(spec[z?]ies)の全性格が横たわっている。自由な意識的活動が、人間の類的性格である。(『経済学・哲学草稿』岩波文庫95頁、原文はcではなくzなので岩波文庫は誤植か?)
◎対象世界の実践的な産出、非有機的自然の加工は人間が類的存在であることの確証である。(同書96頁)
◎男性の女性にたいする関係のなかに・・どの程度まで人間がそのもっとも個別的な現存において、同時に共同的存在(Gemeinwesen)であるか示されている。(同書129~130)
◎個人は社会的存在である。だから彼の生命の発現は・・社会的生命の発現であり、確認なのである。(同書134頁~135頁)
◎特定の個人はたんに一つの特定の類的存在であるにすぎず、そのようなものとして死をまぬがれない。(同書135頁)
◎君は君の父と君の母とによって産み出された。・・二人の人間の性行為が、したがって人間の類行為が、君において人間を生産したのである。(同書145頁)。

☆Key Wordは「意識的活動」「実践的な産出」「自然の加工」「共同的存在」「社会的存在」「人間の性行為」です。青年マルクスは「類的存在」について、結構赤裸々に論述していますね。(まだ子育ての視点はないようですが?)マルクスの父親はユダヤ教からキリスト教に改宗した弁護士のようで、ドイツ中西部の最古の都市トリールで生活していました。

☆岩波文庫版(城塚登・田中吉六訳)より、光文社文庫版(長谷川宏訳)の方が平易な訳であると言えます。ここでは私自身が長く親しんだ日本語訳で紹介しました。手許には、かつて購入したドイツ語原書 (Ökonomisch-philosophische Manuskripte) も残っています。書物は何時、どのように役にたつか、わかりませんね。

☆では、子供達を詠んだ俳句です。映画「男はつらいよ」シリーズで、「フーテンの寅さん」を演じた渥美清さん(故人)の秀句を鑑賞します。「おふくろ見に来てる」の句は、直接子供達が詠まれているわけではありませんが、少年(時代)の運動会の情景を詠んでいることは確かでしょう。真新しい「白い靴」は、「運動会」と同様に秋の季語になるかどうか?

◎村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
◎おふくろ見にきてるビリになりたくない白い靴
(『みんな俳句が好きだった』東京堂出版)
渥美清さんの俳号は「風天」でした。俳味満点ですね。

☆受贈図書のお知らせです。岡山県の横山学先生より、下記の雑誌を贈って戴きました。御紹介すると共に御礼を申し上げます。房総の民権家の桜井静が、北海道の小樽で経営していた「桜井農場」について、研究を一段深める(視野を広げた)貴重な論考です。民権研究も日進月歩ですね。
・「坂西志保の不思議:父傳明と桜井農場」『生活文化研究所年報第23輯』(ノートルダム清心女子大学生活文化研究所2010年3月)

(2010/9/12)



☆30代の頃、友人と京都市三条通りの和風旅館に宿泊して、二階の窓から(比)叡山を眺めていた時に、次のような俳句が思い浮かびました。
◎どっしりと尻を据えたる南瓜かな 
 ドッシリト シリヲスエタル カボチャカナ 
南瓜は秋の季語です。(冬至に食べる風習はありますが)

☆上記の句を拙句であると書けば、「鈍重な句ね」と酷評されるかもしれません。夏目漱石の1896(明治29)年の句であると説明すれば、誰も「軽妙で、さすが漱石ね」と誉めるのではないでしょうか?(『漱石俳句集』岩波文庫62頁参照)

☆南瓜を詠んだ句をもう一句。
◎南瓜食べよ言う人もなく冬至かな
 カボチャタベヨ イウヒトモナク トウジカナ
こちらは正真正銘、20代の私の句です。京都市左京区東大路にて。当時、筆者の俳号は、芭蕉翁に破門された凡兆に因み「凡一(ボンイツ)」でした。これまで俳門だけでなく、パソコンのWEB上でも使って来ました。

☆漱石にはこんな句もありました。

◎月に行く漱石妻を忘れたり
 ツキニユク ソウセキツマ(サイ?)ヲ ワスレタリ
(『漱石俳句集』岩波文庫77頁)
1897(明治30)年、妻が流産して静養をしていたとき、独り熊本に旅立つ心境を詠んだ句であると同書に注記されています。同句の「月」は肥後国の「肥」の月偏を暗示していると解釈しました。

☆漱石は子供について、次のような奇妙な俳句を残しています。

◎安々と海鼠の如き子を生めり
 ヤスヤスト ナマコノゴトキ コヲウメリ
(『漱石俳句集』岩波文庫120頁)
1899(明治32)年5月31日、長女が誕生した時の句のようです。(海鼠は冬の季語ですが?)漱石の夫婦関係についての卓越した分析は、若い頃に『共同幻想論』の「対幻想論」の章から学んでいます。(夫婦関係は大変だけど、でも結婚しなくては「対幻想」は見えて来ない?)

☆「類的存在」、「類(生活)疎外」、「類幻想」という視点から鑑賞すると、長女の誕生した1899(明治32)年の

◎馬の子と牛の子といる野菊かな
 ウマノコト ウシノコトイル ノギクカナ
(『漱石俳句集』岩波文庫114頁)
という句は、一読して救われたような気持になります。「類生活」の無条件の肯定です。小学生(子供達)のような心持で詠んでいる(と思われる)句なので、名吟とは言えませんが・・。野菊は秋の季語です。

☆今週は仲秋の三連休です。

◎月明に常世を渡る孤舟かな
 ゲツメイニ トコヨヲワタル コシュウカナ
銚子市外川町在住の頃の拙句です。懐かしいですね。1930(昭和5)年9月6日夜半(丁度80年前)、高神村で民衆蜂起が勃発しました。「俳句と子供達」、次回へ続きます。

(2010/9/19)



☆40年程前に、「ノンセクト・ラディカル」(無党派の活動家)という呼称が流行しました。私は20歳前後でした。60歳を過ぎた今、「類的存在」概念を整理していて、次のような一文に出会いました。

◎ラディカルであるとは、事柄を根元においてとらえることである。
(『ヘーゲル法哲学批判序論』国民文庫1970年342頁、絶版か?)
◎Radikal sein ist die Sache an der Wurzer fassen.
(MARX ENGELS WERKE 1, Dietz Verlag Berlin 1956)

☆40年間、「ノンセクト・ラディカル」を標榜し続けました。民衆思想(地域の自由民権)を研究するには、一つの党派的立場に固執しないで良かったと今も考えています。MARX『経済学・哲学草稿』には、ドイツの「民衆の意識(Volksbewußtsein)」について鋭敏な洞察が(只一カ所)あります。

◎自然および人間の自己自身による存在というものは、民衆の意識には理解しがたい。というのは、このような存在は実際の生活のすべての手近に理解できることと矛盾しているからである。(『経済学・哲学草稿』岩波文庫1964年145頁)
◎Das Durchsichselbstsein der Natur und des Menschen ist ihm unbergreifrich, weil es allen Handgreiflichkeiten des praktischen Lebens widerspricht.(Ökonomisch-philosophische Manuskripte, Felix Meiner Verlag 2005)

☆青年マルクスは、民衆は通常、「手近に理解できること(Handgreiflichkeiten)」と「自己自身による存在(Durchsichselbstsein)」の間の矛盾を認識できないと指摘しています。(ドイツでもそうなのか?)吉本隆明氏は、上記の文章の前後(行間)から、日本の大衆ナショナリズムの「自己欺瞞」を導き出したと考えられます。

☆「類的存在」という用語は、『経済学・哲学草稿』の外に「ヘーゲル国法論批判」、「ユダヤ人問題のために」でも使用されています。先ずは、自宅にある5種類の蔵書を、書誌学的に発行年代順に並べてみます。

①MARX ENGELS WERKE 1, Dietz Verlag Berlin 1.Auflage 1956
②『ヘーゲル批判』(新潮社1957年第1刷)
③『マルクス=エンゲルス全集第1巻』(大月書店1959年第1刷)
④『ヘーゲル法哲学批判序論』(国民文庫1970年第1刷)
⑤『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』(岩波文庫1974年第1刷)

☆マルクス研究は自分には向いていないと考えていましたが、図書館に行かないで自宅で読めるのは、初老の筆者には有難いことです。MARX ENGELS WERKE Band 1の日本語訳である『マルクス=エンゲルス全集第1巻』は、古書店の店頭でばら売りされていたものを(1冊100円)、憐れを催して購入した書籍です。確か、1990年代前半の頃で、衝動買いでした。(これでは○円全集?)今回、「類的存在」概念を整理するに当たって大変役立ってはいます。

☆町田市立自由民権資料館から、企画展「明治の学び舎~地域における学びと教えの足跡をたずねて~」(2010年10月9日~11月28日)の案内が届きました。銚子市のNさんから、『波崎事件再審運動ニュース第40号』を送って戴きました。「第3次再審(死後再審)請求」の記事が掲載されています。御紹介すると共に御礼を申し上げます。

◎犬吠に佇む夜や鰯雲
 イヌボウニ タタズムヨルヤ イワシグモ
◎日輪の燃え尽きるまで秋の暮
 ニチリンノ モエツキルマデ アキノクレ
筆者(独身時代)の旧句です。鰯雲は秋の季語です。「日輪」の句は屏風ヶ浦にて。

☆今夏の酷暑のせいか、自宅のパソコンが不調です。人類(「類的存在」)は、地球環境の急激な悪化と生態系の異変に耐えられるでしょうか。「子供達はどこへ行くか」、次回もボチボチ考え続けます。卓上に置かれた、ルージュのフランスワイン(円高差益還元?)を凝視しながら。

◎梅一枝フランスワインの瓶に挿し
 ウメイッシ フランスワインノ ビンニサシ
筆者(40代)の旧句です。

(2010/9/26)