2016年1月~6月

《掲示板》
1月 1日(金):『民権館通信』第6号発行
1月 4日(月):仕事始め
1月18日(月):自由民権フィールドワーク打合せ
1月20日(水):沢庵漬込み(今季第2回)
1月25日(月):無農薬有機栽培大豆味噌仕込み(今季第1回)
 



《民権館歳時記》


☆暖冬のようです。鴨川市出身の鈴木真砂女(スズキ・マサジョ)に、次のような新年の佳句があります(『鈴木真砂女全句集』)。

◎初凪やものゝこほらぬ国に住み     (真砂女)
 ハツナギヤ モノノコオラヌ クニニスミ

☆1946(昭21)年の『新時代』新年号は、石田波郷(イシダ・ハキョウ)、中村汀女(ナカムラ・テイジョ)、富安風生(トミヤス・フウセイ)、安住敦(アズミ・アツシ)の新句(各9~10句)を掲載しています。米軍の爆撃により廃墟となった風景を詠んでいます。

◎男手に鯊の煮えたる産屋かな      (波鄕)
 オトコデニ ハゼノニエタル ウブヤカナ
◎焼跡に鯊釣れつゝを憂かるらむ     ( 同 )
 ヤケアトニ ハゼツレツツヲ ウカルラム

☆石田波鄕は「人間探求派」の一人でした。鈴木真砂女に波鄕(1969年11月21日逝去)の想い出を詠んだ佳句があります(『俳句歳時記・第4版増補・冬』角川文庫)。

◎波鄕忌や波鄕好みの燗つけて      (真砂女) 
 ハキョウキヤ ハキョウゴノミノ カンツケテ

☆中村汀女は『新時代』新年号に次のような句を発表しています。

◎焼け残る橋の一つを秋の暮れ      (汀女)
 ヤケノコル ハシノヒトツヲ アキノクレ
◎朝露に先ず起き焼土覚め        ( 同 )
 アサツユニ マズオキショウド サトサシメ

☆「覚め」はどのように読むべきでしょうか。敗戦直後ですから、筆者の独断で「サトサシメ」と読んでみました。

☆初出誌の誤植の可能性もあります。『中村汀女全句集』(毎日新聞社2002年)には輯録されていない句なので確認できませんでした。

◎月明の寝顔あらはに妻と子と      ( 敦 )
 ゲツメイノ ネガオアラワニ ツマトコト

◎麦芽ぐむ尺寸の土大事なり       (風生)
 ムギメグム シャクスンノツチ ダイジナリ

☆安住敦の「寝顔あらはに」の句も、富安風生の「尺寸の土」の句も、敗戦直後の秀句です。

☆今冬は、とても暗く冷たい愚句を詠んでしまいました。1月夜半、療養の吟です。

◇孟宗を落ちる氷雨や闇の音       (凡一)
 モウソウヲ オチルヒサメヤ ヤミノオト

☆今季は沢庵を二樽漬け込みました(館長・副館長)。塩加減、重石の加減が簡単ではありませんが、近々試食の予定です。

◇亡き母の沢庵石の重さ哉        (凡一旧句)
 ナキハハノ タクアンイシノ オモサカナ



《書誌データ》


☆2016年企画展は、平和憲法70年“ 鈴木安蔵と憲法研究会 ”(仮題)を予定しています。凡例は、①論説・コラム執筆者、②執筆者標目、③雑誌社、④発行年月日、⑤大きさ・容量、⑥値段、⑦本文抜粋。(    )と句読点は引用者です。

☆当館所蔵の1946(昭21)年1月号の雑誌データを書き継ぎます。

◆鼎談「新聞・重臣・天皇制・政党・選挙」(『新時代』1946年1月号)
①鈴木安蔵(スズキ・ヤスゾウ),木村毅(キムラ・キ),岩淵辰雄(イワブチ・タツオ)
②1904-1983,1894-1979,1892-1975
③新時代社
④1946年1月1日
⑤48頁・25㎝
⑥2円
⑦結局新聞自身も政治経済機構はそのままの範囲内の変革であって、読売位の闘争をやって根本的な入替へをしなければ、民主主義化の先頭には起てないんじゃないか。(鈴木安蔵発言、同誌41頁)

☆鈴木安蔵(憲法学者)、木村毅(作家)、岩淵辰雄(評論家)の鼎談である。鈴木と岩淵は『読売報知』(1945年11月)の座談会でも同席している(前述)。

☆当館所蔵の雑誌である。目次は表紙に印刷されている。

◎1月号目次
 民主日本の文化的建設・・・長谷川如是閑
 総選挙に寄す・・・・・・・尾崎行雄
 天皇制と民主主義・・・・・藤田幸男
 鼎談「新聞、重臣、天皇制、政党、選挙」・・・木村,
岩淵,鈴木
 農地制度改革の問題点・・・木村昇
 食糧問題の解決策・・・・・新田亮
 東亜問題の再出発・・・・・岩村三千夫
 (中略)
 ペルリ及びハリス来航前後・玉城肇
 レックスブラッシャの話・・内山賢次
 新時代講座、憲法の善悪・・
鈴木安蔵
 小説、日本の朝・・・・・・木村毅

☆1946(昭21)年1月2日付の米国外交官フィアリー書簡(本国のバーンズ国務長官宛)に、鈴木安蔵の人物評が記載されている。興味深いので紹介する。

◎SUZUKI Yasuzo ― Writer, scholar, Socialist sympathizer; views highly respected by Social Democratic Party.
◎鈴木安蔵 ― 著述業、学者、社会主義同調者、その意見は社会民主党[日本社会党]により高く重んじられている。
(原秀成著『日本国憲法制定の系譜Ⅲ』日本評論社2006年4月876頁~878頁)

☆前号(1945年11月・12月合併号)に続き、鈴木は自身の短歌を4首掲載する。歌題は「年の暮」である。

◎黄昏れて雨降り出でし舗装路に
 佇むごとく乙女はありぬ
◎ともし灯をもとめてつどう群衆の
 足どりさへも軽からなくに
◎人間の罪いつわりを忘れんと 
 巷にいでしさ迷いあるく
◎たより書くこころのゆとりついになし
 あまたの友の顔が眼に見ゆ
(同誌26頁)

☆編集後記は、鈴木安蔵の去就について次のような訂正記事を掲載する。

◎本誌前号社告に、鈴木安蔵氏が主幹就任とあるは誤記につき訂正します。但し氏は特に編輯顧問として今後とも御協力下さる約束です。
(同誌48頁)

☆原秀成著『日本国憲法制定の系譜Ⅲ』は鈴木安蔵について、「『新時代』11月・12月合併号から主幹になる」と記述している(同書216頁)。

☆原秀成氏は上掲の訂正記事を見落としたのではないだろうか。『日本国憲法制定の系譜Ⅲ』は力作であるが、誤植や事実誤認が少なくない。筆者が気付いただけでも数箇所ある。日本評論社の校正担当者の怠慢を指摘しておく。

☆学生時代から河上肇の影響を受け、これだけ健筆多産の憲法研究者である。一雑誌の主幹に留まることは有り得なかっただろう。

◆「平和国家の建設」(『改造』1946年新年号)
①森戸辰男(モリト・タツオ)
②1888-1984
③改造社
④1946年1月1日
⑤112頁・21㎝
⑥2円50銭(書留送料25銭)
⑦ここに平和主義というのは、単に平和をば、人間性に即した実現可能な社会理想として追求するだけでなく、この理想の実現がすでに現代において可能であることを確信し、且つ有効適切と信ぜられる施策施設によってその実現に努力することを意味する。(同誌7頁)

☆同誌は復刊第1号である。巻頭言に次のように記述される。

◎我社は昭和19年6月、東条内閣の為に毒殺閉鎖されて今日に至った。
(同誌、復刊の言葉)

☆戦争中、改造社と中央公論社は東条内閣によって閉鎖に追い込まれた(横浜事件)。森戸は巻頭論文で、次のような平和観を吐露する。

◎強制された物質的精神的武装解除が復讐心の内燃と軍国主義の内燃とを誘発するとき、これを克服して仁愛和平の心情を育成するためには、如何に大きい精神的努力が費されないであろうか。
(同誌7頁)

☆森戸は「憲法研究会」同人であり、片山哲内閣(1947年5月24日成立)の文部大臣に就任した。

☆復刊第1号の目次は以下の通りである。

◎1月号目次
 復刊の言葉
 平和国家の建設・・・
森戸辰男
 国民生活と経済の再建・・・鈴木茂三郎
 軍国政治論・・・
馬場辰吾
 民主憲法の基礎理論と構想・・・
鈴木安蔵
 二重権力運動・・・佐野学
 民主的土地改革の世界的動向・・・平野義太郎
 食糧難と社会不安・・・山川菊榮
 (中略)
 小諸雑詠(俳句)・・・高浜虚子
 銅像・・・志賀直哉
 青葉のころ(創作)・・・ 横光利一

☆1946(昭21)年1月2日付、外交官フィアリー書簡(本国のバーンズ国務長官宛)に森戸辰雄の人物評が記載されている。

◎MORITO Tatuo ― Writer on social and econmic topics and member of the Executive Committee of the Social Democratic Party.
◎森戸辰雄 ― 社会経済論の著述家、社会民主党[日本社会党]の執行委員会委員。
(前掲『日本国憲法制定の系譜Ⅲ』876頁~878頁)

◆「世界のアメリカ化 ― 世界共和国建設の世界史的必要の豫影」(『雄鶏通信』1946年1月1日号)
①杉森孝次郎(スギモリ・コウジロウ)
②1881-1968
③雄鶏社
④1946年1月1日
⑤24頁・25㎝
⑥1円(送料10銭)
⑦原子爆弾そのものの発明も、大いなる文化的実力の背景を示すものである。そしてこの原子爆弾の発明そのものは、戦争の世界的、世界史的終末を意味する。(同誌1頁)

☆『雄鶏通信』は毎月1日と15日に発行のニュース雑誌である。杉森は「憲法研究会」同人で、GHQに「憲法草案要綱」を届けたと云う(鈴木安蔵『憲法制定前後』)。

☆杉森は原爆の破壊力について次のように記述する。

◎戦争は引き合わぬという事実認識が、原子爆弾によって必然的に、全世界に発達するに至る。人類の文化の絶滅が、その一面の可能として、何人にも容易に考え得らるるからである。
(同誌1頁)

☆同誌第1頁に目次が印刷されている。

◎1月1日号(目次)
 世界のアメリカ化・・・
杉森孝次郎
 ソ連の国民生活を見る・・・伊部政一
 特輯 ヨオロッパの現地報告
 ★死闘するドイツ・・・コリングウッド
 ★廃墟ベルリン・・・W.シャーラー
 ★住宅難のイギリス・・・E.アンダーソン
 ★モスコオ報告・・・R.マギトフ
 (以下略)

☆1946(昭21)年1月2日付外交官フィアリー書簡(本国のバーンズ国務長官宛)に杉森孝次郎の人物評が記載されている。

◎SUGIMORI Kojiro ― Professor of philosophy at Waseda University, writer on cultural topics, and supporter of the Social Democratic Party.
◎杉森孝次郎 ― 早稲田大学で哲学の教授、文化論の著述家、社会民主党[日本社会党]の支持者。
(前掲『日本国憲法制定の系譜Ⅲ』876頁~878頁)

◆「日本共産党と憲法」(『新生』1946年新年号)
①志賀義雄(シガ・ヨシオ)
②1901-1989
③新生社
④1946年1月1日
⑤63頁・27㎝
⑥2円50銭(送料10銭)
⑦元来、日本人はその人間的権利の貧弱なことでは、世界の強国中、他に例がなかった。それが、満州侵略戦争以後、軍国主義者や官僚や資本家、地主の圧迫のために、そのわずかの権利さえうばわれて、次第にまったくの無権利状態におとしいれられた。(同誌19頁)

☆当館は、徳田球一・志賀義雄著『獄中十八年』(時事通信社947年2月15日初版)も所蔵する。18年間の獄中記は、日本知識人の抵抗の典型的な英姿を刻む。(徳田の憲法論は後述)

☆志賀論文は6(7)項目の憲法骨子(1945年11月8日全国協議会採択)を明示する。

◎主権は人民にある。
◎民主議会は主権を管理する。民主議会は18歳以上の男女の選挙権被選挙権の基礎に立つ。民主議会は政府を構成する人々を選挙する。
◎政府は民主議会に責任を負う。議会の決定を遂行しないか、その遂行が不十分であるか、或は曲げた場合、その他不正の行為あるものに対しては即時やめさせる。
◎民主議会の議員は人民に責任を負う。選挙に対して報告をなさずその他不誠実、不正の行為有りたるものは即時やめさせる。
◎人民は政治的、経済的、社会的に自由であり、且つ議会及び政府を監視し批判する自由を確保する。
◎人民の生活権、労働権、教育される権利を具体的設備をもって保障する。
(同誌20頁~21頁)

☆前年の『朝日新聞』(1945年11月12日)に、先ず7項目の骨子が報道された(当館原本所蔵)。

☆7項目の骨子は『法律時報』(1946年3月号、日本評論社)にも掲載された。同誌3月号は資料として「憲法研究会草案要綱」、「高野岩三郎憲法私案要綱」、「弁護士会憲法改正案」、「自由党憲法改正要綱」、「進歩党憲法改正案」、「社会党憲法改正案要綱」を掲載する。

☆日本共産党中央委員会憲法委員会が「日本人民共和国憲法」草案(全100条)を発表したのは、1946(昭21)年の6月29日であった(前掲、鈴木著『憲法制定前後』247頁)。

☆『新生』新年号の目次は以下の通りである。

◎新年号目次
 知識階級に与う・・・森戸辰男
 社会主義か共産主義か・・・山川均
 食糧問題の帰結・・・東畑精一
 賠償支払と日本経済・・・美濃部亮吉
 マッカーサー元帥に寄す・・・武者小路実篤
 文化革命の諸問題・・・蔵原惟人
 日本共産党と憲法・・・
志賀義雄
 憲政育成の途・・・尾崎行雄
 日本再建の方策・・・松岡松平
 婦人の位置について・・・石川達三
 明治維新の革命と反革命・・・羽仁五郎
 (後略)

(2016年1月)




《掲示板》
2月 3日(水):資料調査(県内)
2月 8日(月):資料調査(県内)
2月10日(水):確定申告相談会
2月14日(日):服部耕雨(民権家俳人)顕彰忌
2月26日(土):有機栽培大豆味噌仕込み(第2回)
 



《民権館歳時記》


☆春は愛別離苦の季節です。

☆1975(昭50)年3月、K市左京区で惜別の拙句を詠みました。

◇霙降る街の角にて訣れ哉        (凡一)
 ミゾレフル マチノカドニテ ワカレカナ

☆最近、次のように推敲修正しました。

◇霙舞う街角に立ち訣れけり       (同)
 ミゾレマウ マチカドニタチ ワカレケリ
◇春霙街に佇み訣れけり         (同)
 ハルミゾレ マチニタタズミ ワカレケリ

☆次は、本州東端のC市の女子高校(全校約1,500名)に赴任した頃の吟です。

◇春波よ奇岩を穿て外川なら       (同) 
 シュンパヨ キガンヲウガテ トガワナラ

☆40年後の今、次のように推敲しました。

◇春濤や奇巌を穿つ外川にて       (同)
 シュントウヤ キガンヲウガツ トガワニテ

☆更に10年経過しましたら、別様に推敲するかもしれません。

☆外房のI市に転任した際は、放念の句を詠みました。救急車で病院に担ぎ込まれたこともあります。

◇春光に終日故紙を焚いている      (同)
 シュンコウニ シュウジツコシヲ タイテイル
◇梅一枝仏蘭西ワインの瓶に挿し     (同)
 ウメイッシ フランスワインノ ビンニサシ

☆N市在住の友人の急逝を聞き、やはり霙の句を詠んでいます。

◇寒紅梅霙降る夜の訃報かな       (同)
 カンコウバイ ミゾレフルヨノ フホウカナ

☆「霙」は『歳時記』では通常「冬の部」に属します。しかし「春霙(ハルミゾレ)」という季語も掲載されています(『俳句歳時記・第四版増補春』角川文庫)。

☆冬の「霙」の句をもう一句。

◇竹林を伝う霙や闇の影
 チクリンヲ ツタウミゾレヤ ヤミノカゲ

☆熊本県A市に住んだ義父の追悼句も春でした。「坊主様」は女性僧侶のことです。

◇行く春は御坊主様の読経かな      (同)
 ユクハルワ ゴボウシュサマノ ドキョウカナ
◇倉岳の残雪遙か野辺送り        (同)
 クラダケノ ザンセツハルカ ノベオクリ

☆亡母追悼の拙句です。

◇悲しみに添い寝する日の辛夷かな。   (同)
 カナシミニ ソイネスルヒノ コブシカナ

☆松尾芭蕉の全句集に「悲しみ」という語彙はありません。次のような春の句があります(『笈の小文』)。

◎此の山の悲しさ告げよ野老掘り     (芭蕉)
 コノヤマノ カナシサツゲヨ トコロホリ

☆「野老(トコロ)」は山芋の一種です。

☆上掲句を英文俳句にすると、下記のようになるでしょう。(凡一英訳)

◇Tell me sorrow
 Of this mountain
 An old yam digger.

☆折々に詠んで来た春の拙句を、想い出す侭に並べます。先ず千葉県K市にて。

◇主基村は明治の夢か白椿
 スキムラワ メイジノユメカ シロツバキ
◇水温む漬物石の黒さ哉
 ミズヌルム ツケモノイシノ クロサカナ
◇房州の山の低さよ春の鳥
 ボウシュウノ ヤマノヒクサヨ ハルノトリ
◇嶺岡の雲の遠さよ春の星
 ミネオカノ クモノトオサヨ ハルノホシ
◇戒名は凡一と彫る蓬島
 カイミョウワ ボンイツトホル ヨモギジマ
◇春一番去らば鳶にぴーひょろろ
 ハルイチバン サラバトンビニ ピーヒョロロ
◇赤々と日向の石榴芽吹け今
 アカアカト ヒナタノザクロ メブケイマ
◇馬鈴薯の芽を探す朝の大気に
 ジャガイモノ メヲサガス アサノタイキニ

☆千葉県I市にて。

◇揚雲雀自由の球燈民権酒
 アゲヒバリ ジユウノキュウトウ ミンケンシュ
◇旅立ちや花の咲く間に雪の降る
 タビダチヤ ハナノサクマニ ユキノフル

☆千葉県T市にて。

◇故郷は雛に名残の海の雨
 フルサトワ ヒナニナゴリノ ウミノアメ
◇入学式桜舞い散り娘と母と
 ニュウガクシキ サクラマイチリ コトハハト
◇一片二片花散り母娘
 ヒトヒラ フタヒラハナチリ ハハムスメ
◇卒業式沈丁花は隠れている
 ソツギョウシキ ジンチョウゲワ カクレテイル

☆熊本県A市にて。

◇春の夜の光や首切られし魚
 ハルノヨノ ヒカリヤクビ キラレシウオ
◇夢一揆百五十年を石の声
 ユメイッキ ヒャクゴジュウネンヲ イシノコエ
◇道一条古江に春の波の音
 ミチヒトスジ フルエニハルノ ナミノオト



《書誌データ》


☆2016年企画展は、平和憲法制定70年“ 鈴木安蔵と憲法研究会 ”(仮題)を予定しています。凡例は、①論説・コラム執筆者、②執筆者標目、③雑誌社、④発行年月日、⑤大きさ・容量、⑥値段、⑦本文抜粋。(    )と句読点は引用者です。

☆当館所蔵の1946(昭21)年2月号の雑誌データを書き継ぎます。

◆「天皇の悲劇」(『民主文化』2月号)
①鈴木安蔵(スズキ・ヤスゾウ)
②1904-1983
③中外出版
④1946年2月1日
⑤40頁・21㎝
⑥1円50銭
⑦だが憲兵、特高の廃止、内務大臣や警視総監や、はては将軍、右翼の巨頭連中等々の逮捕、追放が始まり、治維法撤廃、言論自由の指令等々となり、加うるに、世界の輿論は、日本の天皇制が軍国主義のロボットであり、封建的専制のカムフラージュに外ならぬことを指摘するにいたって国内におけるタブーも次第に解消しつつある。(同誌6~7頁)

☆この論文は『民主憲法の構想』(光文社1946年4月)には再録されなかった(前述)。同誌の「編輯後記」」には次のように記述される。※誤植は訂正して引用した。

◎創刊号は多忙と手不足のうちに出来上がったが、意外の好評を以って殆んどあます所なく消化した。特に鈴木安蔵氏の「停滞せる民主主義と停滞の克服」は最近に於ける名論文として多大の注目を喚起する所あり、重ねて二月号に「天皇の悲劇」と題する一文を乞うた。
(巻末編輯後記)

☆同誌の目次は以下の通りである。

◎目次
 日本民主文化と国史の再建・・・土屋喬雄
 天皇の悲劇・・・鈴木安蔵
 新らしき民主教育・・・向坂逸郎
 離婚の自由・・・玉城肇
(後略)

◆「天皇制の下に民主主義・社会主義の建設が実現出来るか」(『社会評論』1946年2月号)
①徳田球一(トクダ・キュウイチ)
②1894-1953
③ナウカ社
④1946年2月5日
⑤128頁・21㎝
⑥3円(送料30銭)
⑦最近発表された憲法研究会の草案であるいわゆる「民主々義憲法草案」は、未だに天皇制を固持している。この草案によれば、天皇は統治せず、儀礼的存在として残ることになっている。しかし如何に儀礼的存在であろうとも、天皇の存続は、明らかに天皇制の残存物の存続であることは言うまでもない。(同誌5頁)

☆当館は、徳田球一・志賀義雄著『獄中十八年』(時事通信社947年2月15日初版)を所蔵する。

☆徳田は「憲法研究会草案」の問題点4項目を指摘し、次のように手厳しく批判した。

◎民主々義を分割して、部分的に遂行しようとすることは、結局において民主々義の発展を阻碍(ソガイ)するにすぎない。(中略)生まれながらにして国家最高の地位を踏襲する制度のごときは、いかなる点においても許さるべきではない。
(同誌6頁~7頁,『徳田球一全集第1巻』五月書房1975年12月,50頁)

☆徳田論文と同じ頃に発表された、宮本顕治「天皇制批判について」(『前衛』創刊号1946年2月15日)も「憲法研究会草案」の問題点を指摘する。

◎たとえば鈴木安蔵、杉森孝次郎らの憲法研究会の憲法草案に、「統治権は国民にあり」としながら「天皇は、国家的儀礼を司る」としている。これは君主的特権と民主的原理の奇妙な結合であり、民主主義憲法としての一貫性を持ち得ないものである。(中略)天皇制権力に宗教的なベールを着せておき、大衆をその幻想下に留めるような方針をかかげるべきではない。
(『宮本顕治著作集第三巻1945年~49年』新日本出版社2012年12月,27頁~28頁)

☆『社会評論』再建第1号の目次は以下の通りである。徳田の論文名が本文と目次で異なるがそのまま引用した。

◎再建第1号目次
 ★民主戦線の提唱・・・野坂参三
 天皇制の下に民主主義・社会主義は実現出来るか・・・徳田球一
 日本の孤立化と天皇制・・・鈴木東民
 「天皇制即国体論」への一批判・・・渡部義通
 明治維新と天皇制・・・伊豆公夫
 ツァリズムと天皇制・・・大竹博吉
 ★天皇と戦争犯罪責任・・・中野重治
 (以下略)

☆前掲『徳田球一全集第1巻』は、徳田の論文名を「天皇制の下に民主主義・社会主義の建設が出来るか」とし、 Can we build Dem(m)ocracy, Socialism under Tenno System ? と英訳している。但し誤植がある。

◆「囚われたる民衆」(『新生』1946年2月号)
①高野岩三郎(タカノ・イワサブロウ)
②1871-1949
③新生社
④1946年2月1日
⑤63頁・26㎝
⑥2円50銭(送料10銭)
⑦此点に関して、先ず暫く私共一家の経歴に就て言説するを許されたい。ここで私共と云うのは、亡き兄高野房太郎と私との両人を指すのである。(同誌5頁)

☆兄の房太郎(1868-1904、長崎県出身)は草創期の労働組合運動の先駆者で、高等学校の日本史教科書にも記述される。弟の岩三郎は東大教授辞任後、大原社研所長やNHK会長を歴任した。

☆高野岩三郎は憲法研究会の同人であったが、独自に共和制憲法私案を発表した。最初の部分のみ引用する(前述)。

◎改正憲法私案要綱
・根本原則
  天皇制ニ代ヘテ大統領ヲ元首トスル共和制ノ採用
・第一 主権及ビ元首
  日本国ノ主権ハ日本国民ニ属スル
  日本国ノ元首ハ国民ノ選挙スル大統領トス
  大統領ノ任期ハ四年トシ、再選ヲ妨ゲザルモ三選スルヲ得ズ
  大統領ハ国ノ内外ニ対シテ国民ヲ代表ス
  立法権ハ議会ニ属ス
  (後略)

☆同誌2月号の目次は以下の通りである。

◎目次
 囚われたる民衆・・・高野岩三郎
 新日本の文化的建設・・・長谷川如是閑
 迫害と闘いし科学者に捧ぐ・・・武谷三男
 飢えゆく人民のために・・・黒木重徳
 弟・野坂参三かえる・・・小野梧弌
  (後略)

☆1946(昭21)年1月2日付、外交官フィアリー書簡(本国のバーンズ国務長官宛)に高野岩三郎の人物評が記載されている。

◎TAKANO Iwasaburo ― Adviser to and the intellectual leader of the Social Democratic Party.
◎高野岩三郎 ― 社会民主党[日本社会党]の顧問で知的指導者。
(前掲『日本国憲法制定の系譜Ⅲ』876頁~878頁)

☆高野岩三郎は1949(昭24)年4月5日に他界した。当館所蔵の『週刊朝日』(1949年4月24日号)に、嘉治隆一(ジャーナリスト・兆民研究家)が追悼文を執筆している。

◎一種の親分肌なところがあり、人情にもろく、意気に感じるというたちであった。始終清貧に安んじていながら、困った人を見れば、一切れのパンでも二つに裂いて与えるというようなところがあった。
(上掲『週刊朝日』7頁)

◆「人物評、馬場恒吾・齋藤隆夫・大内兵衛」(『改造』2月号)


③改造社
④1946年2月1日
⑤112頁・21㎝
⑥2円80銭
⑦こうした意味で馬場恒吾なども街頭に持ち出された一種の鯛だ。「時」の変化なくして、どうしてあの素寒貧の痩せ浪人が、一躍して大新聞の社長であり、再躍して貴族院議員たる如きことが起こり得ようか。(同誌46頁)

☆馬場恒吾は、当時読売新聞の新社長であった(前述)。『新生・創刊号』(1945年11月1日)に「政治談義」を寄稿し、『新生・12月号』(1945年12月1日)に「新生日本の道」を寄稿している。他に『改造・復刊第1号』(1946年1月1日)に「軍国政治論」を発表した。

☆馬場は1875(明8)年7月18日に岡山県で誕生し、1956(昭31)年4月5日に他界した。

☆1946(昭21)年1月2日付、外交官フィアリー書簡(本国のバーンズ国務長官宛)に馬場恒吾の人物評が記載されている。

◎BABA Tsunego ― President of Yomiuri-Hochi and adviser to the Social Democratic Party.
◎馬場恒吾 ― 『読売報知』の社長で社会民主党[日本社会党]の顧問。
(前掲『日本国憲法制定の系譜Ⅲ』876頁~878頁)

☆大内兵衛については、次のような人物評である。

◎大内兵衛がラジオで渋沢蔵相に斬りつけた大刀筋は鋭かった。しかも真向から敵の胴体を真っ二つに切り割ったのである。まさに即死だ。
(『改造』1946年2月号48頁)

☆大内は『新生・12月号』(1945年12月1日)に、「公約債務の破棄は不徳であるか」を寄稿し、『世界・創刊号』(1946年1月1日)に「直面するインフレーション」を寄稿している。

☆当館は大内兵衛、向坂逸郎、土屋喬雄、高橋正雄の討論形式による平易な『日本資本主義の研究(上・下)』(黄土社1948年4月10日・9月1日)も所蔵する(前述)。大内は1888(明11)年8月29日に淡路島で誕生し、1980(昭55)年5月1日に他界した。

☆同誌2月号の目次は以下の通りである。

◎目次
 太陽は輝く(巻頭言)
 民主戦線のために・・・山川均
 世界情勢と民主主義・・・平貞蔵
 財産税を論ず・・・土屋清
 革命日本に寄す・・・E.スノー、山本実彦
 政治力の貧困・・・岩淵辰雄
 社会不安を衝く・・・高島米峰
 人物評、馬場恒吾・齋藤隆夫・大内兵衛
(後略)


◆「七十年前の女子参政権問題論議」(『世界』1946年2月号)
①尾佐竹猛(オサタケ・タケキ)
②1880-1946
③岩波書店
④1946年2月1日
⑤192頁・21㎝
⑥5円
⑦昔は、女子は家庭の主婦として専念すべく政治に関るべきものでないとの反対理由が、今は家庭の主婦なるが故に参政権を与うべし、という賛成理由となったのである、即ち、婦人は家庭生活の直接的担当者として国民生活の問題に理解と体験とを有すること、が衆議院の選挙制度改正意見として提出せらるるという程、時勢が変ったのである。(同誌103頁)

☆尾佐竹は元大審院判事である(前出)。尾佐竹の父は加賀藩士であった。当館は尾佐竹著『日本憲政史の研究』(一元社1943年5月25日)等を所蔵する。同書には桜井静「大日本国会法草案(写本)」についての記述がある。

☆同誌2月号の目次は以下の通りである。

◎目次
 新政治理念と自然法・・・田中耕太郎
 敗戦日本の経済過程・・・高橋正雄
 ドイツの戦時経済とその復興・・・美濃部亮吉
 国民生活の浮浪化について・・・大河内一男
 街頭の青年達・・・清水幾多郎
  (中略)
 七十年前の女子参政権問題論議・・・尾佐竹猛
  (後略)

(2016年2月)

《掲示板》

◎3月行事予定
 3月 1日(火):馬鈴薯植付
 3月 3日(木):雛祭
 3月 5日(土):春峰(板倉中)顕彰忌
 3月11日(金):東日本大震災5周年
 3月26日(土):公開講座(館山市コミュニティセンター午後2時~)
 3月27日(日):館長誕生日(満66歳)
 



《民権館歳時記》


☆筆者にとって、春は「愛別離苦(アイベツリク)」の季節であり、夏は「求不得苦(グフトクク)」の季節であったようです。

☆今月は、折々に詠んで来た夏の拙句を、思い出す侭に並べます(俳諧ノート紛失)。

☆本州の東端千葉県C市にて。

◇残夢流汗凝視する四畳半
 ザンムリュウカン ギョウシスル ヨジョウハン
◇蝿二匹病臥の窓にへばり着く
 ハエニヒキ ビョウガノマドニ ヘバリツク
◇風薫る天球上を雲は飛び
 カゼカオル テンキュウジョウヲ クモワトビ
◇衣更セーラー服の白き日々
 コロモガエ セーラーフクノ シロキヒビ
◇廃屋闇に狂う仙人掌の花
 ハイオク ヤミニクルウ サボテンノハナ

☆歌仙「非核銚子俳諧口説(ヒカクチョウシハイカイクドキ)」から、夏季の発句。

◇曼陀羅蓮の花人間を返せ
 マンダラ ハスノハナ ニンゲンヲカエセ
◇被爆者の深き皺ノーモアの夏
 ヒバクシャノ フカキシワ ノーモアノナツ
◇原爆忌向日葵倒れ死の鎖
 ゲンバクキ ヒマワリタオレ シノクサリ
◇日の丸の挺身隊は裸足にて
 ヒノマルノ テイシンタイワ ハダシニテ
◇街巡る心に紅い薔薇を挿し
 マチメグル ココロニアカイ バラヲサシ
◇叛核のTシャツ売れどやっぺの輪
 ハンカクノ ティーシャツウレド ヤッペノワ
※「やっぺ踊り」はC市の夏祭。
◇空襲の銚子哀し凪の俳諧
 クウシュウノ チョウシカナシ ナギノハイカイ

☆I市にて。

◇梅雨寒や青梅落ちて風の音
 ツユザムヤ アオウメオチテ カゼノオト

☆T市にて。

◇学舎や小枝は折れて百日紅
 マナビヤヤ コエダハオレテ サルスベリ

☆歌仙「3・11大震災」から、夏季の発句。

◇指先を涼しとフラを踊り出で
 ユビサキヲ スズシトフラヲ オドリイデ
◇茜射す古代の早苗揺れる頃
 アカネサス コダイノサナエ ユレルコロ
◇馬の柵嶺岡牧の夕焼けに
 ウマノサク ミネオカマキノ ユウヤケニ
◇蓑掛けて無理にも詠める子規
 ミノカケテ ムリニモヨメル ホトトギス
◇腕枕夏至を眺めるスカイツリー
 ウデマクラ ゲシヲナガメル スカイツリー
◇白南風にゲゲゲの女房飛び乗らん
 シラハエニ ゲゲゲノニョウボウ トビノラン

☆K市にて。

◇蕗採れば蕗の匂いぞ宵の闇
 フキトレバ フキノニオイゾ ヨイノヤミ
◇蛍火は父の姿や硝子窓
 ホタルビワ チチノスガタヤ ガラスマド
◇楠若葉梅の古木を覆いけり
 クスワカバ ウメノコボクヲ オオイケリ
◇樟の葉を静かに伝う涙かな
 クスノハヲ シズカニツタウ ナミダカナ
◇馬鈴薯も時に紫咲き乱れ
 ジャガイモモ トキニムラサキ サキミダレ
◇入梅の葱の強さに打たれけり
 ニュウバイノ ネギノツヨサニ ウタレケリ
◇麦を刈る鎌掌に傷一つ
 ムギヲカルカマ テノヒラニ キズヒトツ
◇大豆蒔く白き軍手の破れ穴
 ダイズマク シロキグンテノ ヤブレアナ
◇魂は今日の日射しに薔薇の空
 タマシイワ キョウノヒザシニ バラノソラ




《書誌データ》


☆2016年企画展は、平和憲法制定70年“ 鈴木安蔵と憲法研究会 ”(仮題)を予定しています。凡例は、①論説・コラム執筆者、②執筆者標目、③雑誌社、④発行年月日、⑤大きさ・容量、⑥値段、⑦本文抜粋。(    )と句読点は引用者です。

☆当館所蔵の1946(昭21)年3月号の雑誌データを書き継ぎます。

◆「罹災日誌・昭和20年」(『新生』1946年3月号)
①永井荷風(ナガイ・カフウ)
②1879-1959
③新生社
④1946年3月1日
⑤63頁・26㎝
⑥3円50銭(送料10銭)
⑦3月9日 天気快晴。夜半空襲あり。翌暁4時わが偏奇館焼亡す。火は初長垂坂中ほどより起り西北の風にあふられ忽市兵衛町二丁目表通りに延焼す。(同誌38頁)

☆永井荷風の1945(昭20)年の日記は、『新生』3月号から『新生』6月号まで連載された。荷風自身は、生活のために原稿を発表しなければならぬと書く。東京空襲(2月・3月・4月・5月)が比類ない程克明に記述される。冷徹な描写である。

☆2月25日の日記は次のような記述である。雑誌と全集、文庫の表記が異なる箇所は、当館所蔵の初出誌に従った。(    )と句読点は引用者。

◎時計を見るに午後四時にて屋内既に暗し。窓外も雲低く空を閉し。音もなく雪のふるさま常に見るものとは異り物凄さ限りなし。平和の世に雪を見ればおのづから芭蕉が句など想起し、また曾遊のむかしを思返すが常なるに、今日ばかりは世の終り、また身の終りの迫り来れるを感ずるのみ。
(同誌37頁、『荷風全集・断腸亭日乗六』岩波書店1964年9月15頁、磯田光一編『摘録・断腸亭日乗(下)』岩波文庫1987年8月248頁)

☆荷風は3月9日の日記に次のように記述する。

◎余(ヨ)は五、六歩横町に進入りしが、洋人の家の樫の木と余が庭の椎の大木炎々として燃上り、黒烟風に渦巻き吹つけ来るに辟易し、近づきて家屋の焼け倒るるを見定ること能はず。唯火焰の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上少からぬ蔵書の一時に燃るがためと知られたり。
(同誌39頁、前掲『全集』20頁、前掲『摘録』253頁~254頁)

☆3月10日の日記にも次のように記述する。

◎昨夜猛火は殆、東京全市を灰になしたり。北は千住より南は芝、田町に及べり。浅草観音堂、五重塔、公園六区見世物町、吉原遊郭焼亡、芝増上寺及霊廟も烏有(ウユウ)に帰す。明治座に避難せしもの悉く焼死す。
(同誌39頁、前掲『全集』21頁、前掲『摘録』255頁)

☆4月13日の空襲の描写は以下の通りである。

◎晴天。夜十時過空襲あり。爆音砲声轟然足り。(中略)警戒解除のサイレンを聞きしは暁四時頃なるべし。新宿渋谷間の道路には避難の家族陸続として断えず。その語り合ひつつ行くをきくに、角筈(ツノハズ)東大久保辺より戸山が原のあたり一帯に灰となりしが如し。
(同誌40頁、前掲『全集』26頁、前掲『摘録』259頁)

☆5月25日の空襲の描写は以下の通りである。

◎草稿・日誌を入れしボストンバグのみを提げ他物を顧ず、徐(オモムロ)に戸外に出で同宿の児女と共に昭和大通路傍の壕に入りしが、何ぞ図らん。爆音砲声刻々激烈となれり、空中の怪光壕中に閃(ヒラメ)き入ること再三、一種の奇臭を帯びたる烟(ケムリ)風に従って鼻をつくに至れり。最早や壕中に在るべきにあらず。
(同誌43頁、前掲『全集』37頁、前掲『摘録』265頁~266頁)

(2016年3月)



《掲示板》

◎4月行事予定
 4月 3日(日):N市「俳句図書館」来館交流(民権家と明治の俳句)
 4月 4日(月):「房総民権瓦版(無料デジタル配信)」開始
          新聞社取材
 4月10日(日):M市「民権家御子孫」来館交流(自由民権と地主制)
          寄贈図書コーナー館内新設
 4月16日(土):無農薬自家製大豆味噌天地返し
 4月27日(水):資料調査(県内)
 
◎4月収穫(孟宗竹筍,三つ葉,タラの芽,蕗,サニーレタス,グリーンピース等)
◎4月植付(里芋,菊芋,ヤーコン,長葱,キャベツ,大根,蕪,馬鈴薯土寄等)



《民権館歳時記》


☆春は「愛別離苦」の季節、夏は「求不得苦」の季節、秋は「怨憎会苦」の季節であったかもしれません。

☆仏語の四苦は「生・老・病・死」です。八苦は更に「愛別離苦(アイベツリク)」、「怨憎会苦(オンゾウエク)」、「求不得苦(グフトクク)」、「五陰盛苦(ゴオンジョウク)」を加えます。

☆今月は折々に詠んで来た秋の拙句を、思い出す侭に並べます(俳諧ノート紛失)。

☆本州の東端千葉県C市にて(九句)。
◇日輪の燃え尽きるまで秋の暮
 ニチリンノ モエツキルマデ アキノクレ
◇深秋の屏風ヶ浦や朱い崖
 シンシュウノ ビョウブガウラヤ アカイガケ
◇晩秋や屏風ヶ浦の赤い雲
 バンシュウヤ ビョウブガウラノ アカイクモ
◇黒犬の天に咆えるか鰯雲
 クロイヌノ テンニホエルカ イワシグモ
◇犬吠や新妻仰ぐ鰯雲
 イヌボウヤ ニイヅマアオグ イワシグモ
◇月明に常世を渡る孤舟かな
 ゲツメイニ トコヨヲワタル コシュウカナ
◇名月や外川千軒眠り居り
 メイゲツヤ トガワセンゲン ネムリオリ
◇女郎花揺れて深夜の蜂起哉
 オミナエシ ユレテシンヤノ ホウキカナ
◇明月や水平線の長崎鼻
 メイゲツヤ スイヘイセンノ ナガサキハナ

☆歌仙「仮枕(カリマクラ)」(修学旅行引率吟)の秋季の発句から(七句)。
◇清水は鉄下駄錆びる夕紅葉
 キヨミズワ テツゲタサビル ユウモミジ
◇神護寺へ石踏み登る紅葉川
 ジンゴジエ イシフミノボル モミジガワ
◇初紅葉二条は城の低さかな
 ハツモミジ ニジョウワシロノ ヒクサカナ
◇白菊も水子地蔵も念仏寺
 シラギクモ ミズコジゾウモ ネンブツジ
◇晩秋や蒼龍地を這う平安宮
 バンシュウヤ ソウリュウチヲハウ ヘイアングウ
◇朱に夕霧応天門の薄化粧
 シュニユウギリ オウテンモンノ ウスゲショウ
◇どっしりと秋を見下ろす比叡哉
 ドッシリト アキヲミオロス ヒエイカナ

☆歌仙「非核銚子俳諧口説(ヒカクチョウシハイカイクドキ)」(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年10月)の秋季の拙句から(四句)。

◇此の秋は非核護憲の行脚にて
 コノアキワ ヒカクゴケンノ アンギャニテ
◇明月や草の根照らす影法の
 メイゲツヤ クサノネテラス カゲボウノ
◇七夕のプルトニウムは笹の葉に
 タナバタノ プルトニウムワ ササノハニ
◇ビキニ被爆鮪に鰯コンサート
 ビキニヒバク マグロニイワシ コンサート

☆歌仙「主基村(スキムラ)」の秋季の拙句から(一句)。
◇於面影は桔梗の如く儚くて
 オモカゲワ キキョウノゴトク ハカナクテ

☆おせんころがしにて(一句)。
◇断崖に孤猿の躍る秋の暮
 ダンガイニ コエンノオドル アキノクレ

☆T市にて(二句)。
◇撫子は二鉢有りて白茜
 ナデシコワ フタハチアリテ シロアカネ
◇曼珠沙華群棲明日も闇の奥
 マンジュシャゲ グンセイアスモ ヤミノオク

☆歌仙「3・11大震災」の秋季の拙句から(四句)。
◇パロ句秋風の身は蕉翁に似たる哉
 パロクアキカゼノ ミワショウオウニ ニタルカナ
◇十六夜をどんどと酒屋はしごして
 イザヨイヲ ドンドトサカヤ ハシゴシテ
◇縄暖簾カシラに振るう唐辛子
 ナワノレン カシラニフルウ トウガラシ
◇大海嘯原発浜の月冴えて
 ダイカイショウ ゲンパツハマノ ツキサエテ

☆終着駅であり、始発駅でもあるK市にて(三句)。
◇闇に狂う逃げられぬ残暑かな
 ヤミニクルウ ニゲラレヌ ザンショカナ
◇初嵐行けど白雲行けど峰
 ハツアラシ ユケドハクウン ユケドミネ
◇望月は黄金の色の寂寞にて
 モチヅキワ コガネノイロノ シジマニテ



《書誌データ》


☆2016年企画展は、平和憲法制定70年“ 鈴木安蔵と憲法研究会 ”(仮題)を予定しています。凡例は、①論説・コラム執筆者、②執筆者標目、③雑誌社、④発行年月日、⑤大きさ・容量、⑥値段、⑦本文抜粋。(    )と句読点は引用者です。

☆当館所蔵の1946(昭21)年3月号~4月号の雑誌データを書き継ぎます。

◆「民主主義の前進」(『新時代』1946年3月号)
①鈴木安蔵(スズキ・ヤスゾウ)
②1904-1983
③新時代社
④1946年3月7日
⑤64頁・26㎝
⑥3円(送料10銭)
⑦きたるべき総選挙は、戦争責任者たる人物の大量的な立候補禁止によって、反動勢力、旧支配階級の陣営には少なからぬ打撃が与えられたことによって、いちぢるしく民主主義的勢力に有利ではある。(同誌15頁)

☆鈴木安蔵は、敗戦後最初の衆議院総選挙(4月10日)を、憲法制定議会と捉えていたようである。大選挙区で、投票は連記制であった。

◎議会は国民の代表機関として、国民の名の下に、反国民的反民主主義的政策の実行、法令の発布をなし得るのである。民主主義的憲法の制定が、民主主義戦線の目標の一つたるべきは言うまでもないのである。
(同誌15頁)

☆「脱稿」の日時は、「1946年1月22日」と記載される。

◆「憲法改正政府草案なる」(『朝日新聞』1946年3月7日)


③朝日新聞東京本社
④1946年3月7日
⑤1面・54㎝
⑥月額2円70銭
⑦政府は六日の臨時閣議で「憲法改正草案要綱」を決定、同日午後五時内閣より発表した。右要綱は前文と十一部門九十五項目よりなるものであるが、(中略)世界に類例なき「戦争の抛棄」を明文で規定していることであり、憲法改正というよりむしろ、新憲法の制定というべき新しい内容をもつものである。(同紙1面)

☆敗戦後、新聞紙上に公表された「第九条」の最初の姿は以下のような条項であった。句読点並びに漢字表記は引用者。

◎第二、戦争の抛棄、第九、国の主権の発動として行う戦争及武力に依る威嚇又は武力行使を、他国との間の紛争の解決の具とすることは、永久に抛棄すること。陸、海、空軍その他の戦力保持は之を許さず、国の交戦権は之を認めざること。
(同紙1面)

☆3月6日(草案要綱発表)から11月3日(新憲法公布)までの期間の、「九条」条文成立過程を探り、鈴木安蔵と憲法研究会同人の論評を詳細に検証する.

◆「徹底した平和主義、憲法改正政府案をみて」(『讀賣報知』1946年3月8日)
①馬場恒吾(ババ・ツネゴ)
②1875-1956
③讀賣新聞社
④1946年3月8日
⑤54㎝
⑥2円70銭(月額)
⑦幣原内閣が憲法改正草案を作りつつあったことは早くから知られており、その草案の草案らしきものも世間に出た。それを見て、われわれはどうせ大したものではあるまいと思っていた。然るに六日に発表されたる政府の草案要綱を見ると、一般世人の期待した如何なる案よりも進歩的であり、革命的であるのに驚いた。(同紙2面)

☆馬場恒吾は、讀賣新聞社長であり、憲法研究会の会員であった(前述)。「九条」については次のような感懐を記述する。

◎改正草案にさんとして光る條項は、日本が戦争を完全にほう棄した第九條である。陸海空軍を保持せず、国の交戦権はこれを認めないと明言している。世界中どこにこれほど平和主義に徹底した国があるか。
(同紙2面)

☆『讀賣報知』(3月8日)の「都会、農村の各階層にきく」という欄に、作家の宮本百合子は次のように述べている。句読点と(   )は引用者。

◎日本が民主国家として発展してゆくために、主権在民は当然であると思うし、戦争の抛棄が明言されているのは賛成です。第十一の文案(章)は、国民が保持につとめなければ、憲法上に保証された筈の自由や権利も犯される危険がどこかにあるということをはっきり物語る、世界に類例のない憲法という印象をうけた。
(同紙2面)

☆政府草案要綱の「第十一」は、国民の権利と濫用に関する條項である。

◆「憲法改正政府案に対する意見(1946・3・8)」(『民主憲法の構想』1946年4月25日所収)
①鈴木安蔵(スズキ・ヤスゾウ)
②1904-1983
③光文社
④1946年4月25日
⑤18㎝
⑥売値11円(定価10円40銭、特別行為税60銭)
⑦政府案は、そのプレアンブルにおいて、永世平和・諸国民との公正なる友好の希求を宣明し、また本文中に、戦争の放棄について規定している。この根本規定は妥当である。同時に、この目標を達成しうべき、また、達成するのに絶対不可欠な諸条件が憲法上に保障されねばならぬことを思うとき、政府案は、つぎのような重大な欠陥を有することを指摘せざるをえない。(同書164頁)

☆「プレアンブル」は前文である。発表された草案要綱の「戦争放棄」の「目標」について、鈴木安蔵は次のように指摘する。

◎今までの日本経済にみられたように、国内労働者、農民大衆、一般小市民階級の窮乏、奴隷労役的労働条件が根本的に克服されぬかぎり、独占資本・寄生的土地所有による利潤追求は、外国市場をもとめてやまず、また、その苛烈な搾取の要求は、国の内外に対して不自由・不平等・排他隷従の支配を必然ならしめずにはいないのであって、そのかぎり侵略戦争の危険は強く存続し、また外国諸民族に対して今までの日本が強行したような軍事的専制の危険も絶滅されぬことは明白である。(同書165頁)

☆更に鈴木は、侵略戦争を二度と繰り返さないためには、「人権の確立」、「勤労大衆、国民大衆の健全にして文化的な生活保障」に関わる「詳細な規定」の必要性を強調する(同書165頁)。

☆同論脱稿の日付は、要綱新聞発表の翌日の3月8日である。

☆初出紙は『讀賣報知』で、鈴木安蔵は1946(昭21)年3月9日(土)に「憲法改正政府案に対する意見(上)、大権存置は民主化に反す」という論説を発表する。

☆続いて同紙3月10日(日)に「憲法改正政府案に対する意見(中)、平和・人権の保障不十分」、3月12日(火)に「憲法改正政府案に対する意見(下)、直接民主制の要求」を発表した。

◆「憲法改正と民主人民連盟」(『改造』1946年4月号)
①高野岩三郎(タカノ・イワサブロウ)
②1871-1949
③改造社
④1946年4月1日
⑤21㎝
⑥4円50銭(用紙不足で直接購読打切)
⑦進駐以来司令部の発したる幾多の指令の跡を見るときは、それ等は単純なる強制的命令にあらずして、反対にそれ等指令の内に包蔵する無限の好意を私は認識せざるを得ない。長い間封建的、軍閥的、財閥的、官僚的諸勢力の圧制下に苦み抜いた我国と我国民を善導鞭撻して、平和と自由の支配する民主的、文化的国家及国民の中に伍しめんと欲する、愛の使節たるの使命を有すと確信せざるを得ない。(同誌30頁)

☆高野岩三郎は、「前文」と「第二章」を合体させ、戦争抛棄の「国民的宣誓」(第一章)という新たな條文を提起した。

◎国の主権の発動として行う戦争及び武力に依る威嚇又は武力の行使を他国との間の紛争の解決の具とすることは永久に之を抛棄する。
陸海空軍其の他の戦力の保持は之を許さず、国の交戦権は之を認めず。
日本国民は永世に亙り平和を希求し、人間関係を支配する高邁なる理想を深く自覚し、我等の安全及び生存を維持するため世界の平和愛好国民の公正と信義に信きせんことを期す。(後略)
(同誌31頁)

☆高野は、1946(昭21)年3月8日(金)の『讀賣報知』に、「憲法改正、政府案に対する意見」を発表し、既に「第一章に『国民的宣誓』を掲げよ」という自説を述べる。

☆1946(昭21)年3月8日(金)の『毎日新聞』も、「高野岩三郎博士談」の「第一に『国民宣誓』、即位に議会の承認を」という記事を第1面に掲載する。

☆高野は、「憲法研究会」同人であり(前述)、明治憲法(大日本帝国憲法)と新憲法(日本国憲法)の二つの公布を体験した世代であった(前述)。

(2016年4月)


《掲示板》

◎5月の行事
 5月 3日(火):憲法記念日(施行69周年)
 5月 7日(土):薫陶顕彰忌
 5月16日(月):無農薬有機栽培大豆味噌、天地返し(第2回)
 5月18日(水):館内講演(団体予約)
          史跡探訪(団体予約)
 5月20日(土):省三顕彰忌 

※5月の収穫:玉葱、空豆、グリーンピース、大蒜、タラの芽、大根、レタス
 5月の植付:胡瓜、茄子、トマト、里芋、南瓜,甘藷、生姜、ヤーコン、菊芋



《民権館歳時記》


☆今月は折々に詠んだ冬の拙句と新年の拙句を、思い出すまま書き記します(俳諧ノート紛失)。記憶の記録ということになります。

☆熊野寮(K市左京区)に入寮した1968年前後の冬季の拙句。

◇夜に入り時雨れる空や京の宿
 ヨルニイリ シグレルソラヤ キョウノヤド
◇初時雨二条河原の橋の下
 ハツシグレ ニジョウガワラノ ハシノシタ
◇南瓜食べよ言う人も無く冬至哉
 カボチャタベヨ イウヒトモナク トウジカナ
◇裸木のそそり立ちたる日暮哉
 ハダカギノ ソソリタチタル ヒグレカナ
◇背を屈め道行く人よ冬の雲
 セヲコゴメ ミチユクヒトヨ フユノクモ
◇俯けば雨一雫寒椿
 ウツムケバ アメヒトシズク カンツバキ

☆就職し本州の東端千葉県C市にて。

◇凩の窓打ち叩く粟島台
 コガラシノ マドウチタタク アワシマダイ
◇凩は海鳴り近き外川にて
 コガラシワ ウミナリチカキ トガワニテ
◇賃カツや窓打ち叩く冬の風
 チンカツヤ マドウチタタク フユノカゼ
※「賃カツ」は、時限ストライキに対する「賃金カット」の略称。
◇恐ろしき時代の来るや冬の窓
 オソロシキ ジダイノクルヤ フユノマド

☆歌仙「非核銚子俳諧口説(ヒカクチョウシハイカイクドキ)」(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年所収)の冬季の拙句。

◇有明は貧しき家の炬燵哉
 アリアケワ マズシキイエノ コタツカナ

☆千葉県T市にて。

◇初冠雪富士の高嶺と凪の海
 ハツカンセツ フジノタカネト ナギノウミ
◇寒鴉ばさり竿頭飛び降りん
 カンガラス バサリカントウ トビオリン

☆熊本県A市の義父の葬儀に参列する途次。

◇心急き談合島の冬の波
 ココロセキ ダンゴウジマノ フユノナミ
※談合島(湯島)は天草・島原一揆衆の会談場所。

☆歌仙「3・11大震災」の冬季の拙句から。

◇浪の江に凍る涙や水柩
 ナミノエニ コオルナミダヤ ミズヒツギ
◇冷冷と戦後は泥土に晒されし
 レイレイト センゴワデイドニ サラサレシ
◇汝が宿は牛に軒貸す村時雨
 ナガヤドワ ウシニノキカス ムラシグレ

☆終着駅のK市にて。

◇寒月や電線の上一二寸
 カンゲツヤ デンセンノウエ イチニスン
◇寒紅梅霙降る夜の訃報かな
 カンコウバイ ミゾレフルヨノ フホウカナ
※F氏追悼の拙句。
◇初氷田面の朝は輝けり
 ハツゴオリ タヅラノアサワ カガヤケリ
◇亡き母の沢庵石の重さ哉
 ナキハハノ タクアンイシノ オモサカナ
◇亡き母や沢庵石を持つ度に
 ナキハハヤ タクアンイシヲ モツタビニ
◇寒鯉は鰭の叩きし川の音
 カンゴイワ ヒレノタタキシ カワノオト
◇櫟立つ落葉の泥や白烟
 クヌギタツ オチバノドロヤ シロケムリ
◇霜柱鍬を握りて五百年
 シモバシラ クワヲニギリテ ゴヒャクネン
◇黙示録白き孤影も時雨れけり
 モクジロク シロキコエイモ シグレケリ
※M氏追悼の拙句。

☆新年の拙句は殆ど思い出せません。筆者が俳諧に求めたものは、「閑雅」や「洒脱」ではなく、「放念」や「寂寥」の喪失感であったからでしょう。「慶賀」の句は思いも寄りませんでした。

☆友人への年賀状に記すため、学生時代にパロディーの「新年七草七句」を詠んだことがあります。半世紀前のことなので、正確には思い出せませんが。

◇初春の七種七句を書き出せり    (芹)
 ハツハルノ ナナクサナナクヲ カキダセリ
◇見渡せば薺花咲く鄙の家      (薺)
 ミワタセバ ナズナハナサク ヒナノイエ
◇故郷の山も川原も母子草     (御形)
 フルサトノ ヤマモカワラモ ハハコグサ
◇梅が香や運べ目出度き総の国   (繁縷)
 ウメガカヤ ハコベメデタキ フサノクニ
◇お水取り都は碧き仏の座    (仏の座)
 オミズトリ ミヤコワアオキ ホトケノザ
◇東雲に鈴鳴る駒は代馬ぞ      (菘)
 シノノメニ スズナルコマワ シロウマゾ
◇荒海や島陰涼し露西亜船     (蘿蔔)
 アラウミヤ シマカゲスズシ ロシアブネ

☆春の七草は①芹、②薺、③御形(母子草)、④繁縷、⑤仏の座、⑥菘(蕪)、⑦蘿蔔(大根)です。

☆C市とK市の間の126㎞を自家用車で往復していた頃の数少ない新年の拙句。

◇若水汲む背中の丸き男子哉
 ワカミズクム セナカノマロキ オノコカナ
◇門松や昭和還暦杵の音
 カドマツヤ ショウワカンレキ キネノオト

☆C市で御近所にお住まいだったT(玲瓏)先生との連句(三吟)から。

◇初東風や群船はためく大漁旗
 ハツコチヤ グンセンハタメク タイリョウキ
※初案の「初凪や」を、「初東風や」に直されました。

☆歌仙「3・11大震災」の拙句から。

◇初夢は子々孫々も祈るべく
 ハツユメワ シシソンソンモ イノルベク

☆始発駅であり終着駅でもある、K市の自由民権資料館の庭先で。

◇福寿草二輪仲良く並びけり
 フクジュソウ ニリンナカヨク ナラビケリ

☆筆者の俳号は、若い頃も今も凡一です。先師芭蕉翁の「生涯千句」に遠く及びませんでしたが、「凡一入道(ボンイツニュウドウ)百吟」は再詠できたようです。御笑覧に感謝。



《書誌データ》


☆2016年企画展は、平和憲法制定70年“ 鈴木安蔵と憲法研究会 ”(仮題)を予定しています。凡例は、①論説・コラム執筆者、②執筆者標目、③雑誌社、④発行年月日、⑤大きさ・容量、⑥値段、⑦本文抜粋。(    )と句読点は引用者です。

☆当館所蔵の1946(昭21)年3月~5月の新聞雑誌データを書き継ぎます。

◆「憲法改正政府案に対する意見」(『讀賣報知』3月8日)
①高野岩三郎(タカノ・イワサブロウ)
②1871-1949
③讀賣新聞社
④1946年3月8日
⑤1面・54㎝
⑥2円70銭(月額)
⑦ながい間世間に示さなかった政府の憲法改正案が突如公表されて一般の批判を仰ぐに至ったことは、幣原内閣に愛想をつかしていた私といえども歓迎せざるをえないところであるが、しかもその案が案外進歩的なのをみてなおさら喜んだところである。(3月8日第1面)

☆高野岩三郎は、すでに雑誌『新生』(1946年2月号)に、共和制憲法私案を発表していた(前述)。高野は「戦争放棄」について、新聞紙上に次のように述べる。[  ]は印刷不鮮明な活字。

◎まず第一に述べたいのは、政府の「第二 戦争の抛棄」についてである。この点は実に政府案の最要特徴として[挙]げ得べきところであって、私はこの事項に包含される内容には賛成を惜まぬ次第であり、マッカーサー司令部が特に重きをおいて指示した意味は了解に[苦]しまぬのである。
(同紙3月8日第1面)

☆『マッカーサー大戦回顧録』(中公文庫2014年7月25日)は、占領と憲法改正について次のように記述する。(    )と句読点は引用者。

◎私(マッカーサー)はアメリカ製の日本憲法を作って、日本側に命令でそれを採択させるということはしなかった。憲法改正は日本人自身が他から強制されずに行うべきものだったから、(中略)アメリカ製の憲法を無理押しに日本人にのみ込ませることだけはやるまいと心にきめていた。
(前掲書450頁)

☆確かに、幣原内閣の憲法草案要綱は共和制ではなかった。前掲『マッカーサー大戦回顧録』は、「戦争放棄」について次のように記述する。(   )は引用者。

◎首相(幣原喜重郎)はそこで、新憲法を書上げる際にいわゆる「戦争放棄」条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構は一切もたないことをきめたい、と提案した。そうすれば、旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然に打消すことになり、また日本にはふたたび戦争を起す意思は絶対にないことを世界に納得させるという、二重の目的が達せられる、というのが幣原氏の説明だった。
(前掲書456頁)

☆マッカーサーは次のようにも回顧している。

◎第九条は、国家の安全を維持するため、あらゆる必要な措置をとることをさまたげてはいない。だれでも、もっている自己保存の法則に、日本だけが背を向けると期待するのは無理だ。攻撃されたら、当然自分を守ることになる。
(前掲書458頁)

☆残念ながら、 REMINISCENCES by Douglas MacArthur を古書店で購入することはできなかったが、英文と日本語訳の比較検討はしたいものである。

◆「憲法改正政府案に対する意見(上)、大権存置は民主化に反す」(『讀賣報知』3月9日)
①鈴木安蔵(スズキ・ヤスゾウ)
②1904-1983
③讀賣新聞社
④1946年3月9日
⑤1面・54㎝
⑥2円70銭(月額)
⑦マッカーサー元帥の声明によれば、「この憲法は五ヶ月前予が最初に日本政府に指令して以来、日本政府と連合軍最高司令部の関係者の間における苦心にみちた研究と幾回となき会談ののちに起草されたものである」といわれている。遺憾ながら、このような連合軍最高司令部との会談、研究なくしては、そしてまた、国内の民主主義者の批判・主張なくしては、すなわち日本政府自身のみによっては、絶対に今回の改正案は生れえなかったであろう。(3月9日第1面)

☆3回連続の論評である。3月9日(土)は、一~三までが掲載される。全文は、鈴木安蔵著『民主憲法の構想』(光文社1946年4月25日)に再録された(前述)。

◆「憲法改正政府案に対する意見(中)、平和・人権の保障不十分」(『讀賣報知』3月10日)
①鈴木安蔵(スズキ・ヤスゾウ)
②1904-1983
③讀賣新聞社
④1946年3月10日
⑤1面・54㎝
⑥2円70銭(月額)
⑦政府案は、「国民はすべて勤労の権利を有する」ことを規定するのみで、「賃金、就業時間その他の勤労条件にかんする規準」は、法律に譲っている。われらは、これを憲法上に、詳細に規定すべきことの必要なるをかたく信ずるものである。のみならず、いわゆる休息権、すなわち疾病のとき、負傷その他で働らけなくなったとき、また老後働らく能力のなくなったとき、また婦人労働者が生理的事情で働らけないときなど、その生活を国家が保護し、病気をなおしてやることは、当然の義務であり、働らく国民大衆当然の権利であることが、全然みとめておらぬのも、政府案の大なる欠陥である。(3月10日第1面)

☆3月10日(日)は四~六が掲載される。次のような肯定的な論評もある。(  )は引用者。

◎改正案が、現行憲法(明治憲法)における天皇および「天皇の政府」官吏の専制的人権無視より由来した、他の文明国に例をみない過酷な人権蹂躙、言論、宗教の不自由、文化の軽視、教育における封建的、軍事的、奴隷道徳の鼓吹、軍国主義の一掃などについては、連合国の意向にしたがって、周到な規定を有していることはよろこばしい。
(同紙第1面)

◆「憲法改正政府案に対する意見(下)、直接民主制の要求」(『讀賣報知』3月12日)
①鈴木安蔵(スズキ・ヤスゾウ)
②1904-1983
③讀賣新聞社
④1946年3月12日
⑤1面・54㎝
⑥2円70銭(月額)
⑦過渡期の日本においては、議会自身が、なお真に民主主義の十全な具現者たることは容易でないと判断される。議会の保守ないし反動こそが、ワイマル憲法下において、ヒトラーをして、合法的に政権をにぎり、合法的にナチス独裁を樹立せしめたことを想起すべきである。(3月12日第1面)

☆3月12日(火)は七~十が掲載される。

☆鈴木は「現代民主主義の発展が、代議制より直接民主制へむかいつつある」(同紙1面)と指摘し、次のように記述する。(   )は引用者。

◎憲法研究会案が、国民投票によって、内閣の不信任を決しうること、司法ならびに検察の官を公選すべきことを規定したのも、また民主的な陪審制をとるべきことを憲法において規定したのもこれ(直接民主制)がためである。
(同紙第1面)

◆「劃期の憲法案正文、平仮名で口語体」(『朝日新聞』1946年4月18日)


③朝日新聞東京本社
④1946年4月18日
⑤1面・54㎝
⑥月額2円70銭
⑦憲法が国家の基本法であり、民主主義日本の性格を現わす根本法規であるので、国民のすべてが理解できることを建前とし、とくに平易な表現を用いたものである。(同紙第1面)

☆幣原内閣によって条文化された「第九条」草案は、以下のように平仮名口語体になる。(明治憲法は片仮名で文語体であった。)表記及び句読点は、すべて掲載紙の原文のまま。

◎第二章 戦争の抛棄
第九條 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。
(同紙第1面)

☆九条の第二項はまだ無い。

☆当館所蔵の『朝日新聞縮刷版』(1946年上半期・下半期)の全ページに目を通した限りでは、現行日本国憲法「第九条」の新聞紙上の初出は、1946年8月17日(土)である。「憲法修正案本極り」、「修正箇所全文」という見出しがある。

☆以下に「戦争放棄」の修正文のみ引用する。「抛棄」は「放棄」という表記に変わり、「国際平和」という理念と「前項の目的」という第二項の限定が挿入された。(    )は新聞記事のまま。[  ]は引用者。

◎第二章 戦争の(放棄)
第九条(日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権)の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、他国との間の(国際紛争を)解決(する)手段として[は]、永久にこれを(放)棄する。
(前項の目的を達するために)陸海空軍その他の戦力は、これを保持(しない。)国の交戦権は、これを認めない。
(『朝日新聞』1946年8月17日)

☆新聞紙面には、[は]が「も」となっている。『朝日新聞』の誤植と考え訂正して引用した。

◆コラム「アナタの一票は誰に行った」(『アサヒグラフ』1946年4月25日号)
①*
②*
③朝日新聞社
④1946年4月25日
⑤18P・36㎝
⑥1円50銭
⑦延びに延びた総選挙も、四月十日どうやら施行された。政党は二百五十余という小党乱立、立候補者も、定員四百六十六に対して何と二千七百八十余名、選挙区に依っては定員の十倍、十一倍と云う希有の現象を呈した。二万五千円と封鎖された選挙費用では、あれこれ遣り繰りしたところで、ポスター代から人件費、演説会費で手一杯、それでもバス、トラックまで動員してガソリンの出所を他処ながら心配させられたものやら、中には演説会変じて景品附の演説会となったもの迄あったと云う。(4P~5P)

☆戦後最初の衆議院総選挙(4月10日)を報道する『アサヒグラフ』(当館所蔵)である。同号の目次は以下の通りである。

◎目次
・表紙「新生日本の首途」
・漫画は答える(落選二重奏)
・この倉の扉を開け(隠し米)
・アナタの一票は誰に行った?
・桜島大爆発
・世界の窓(ビキニ環礁原爆実験準備)
・春の点描(川柳)
・春窮!学寮の表情(一高・津田塾)
(以下略)

☆「春の点描」には、「眼が覚めて見ればやっぱり橋の下」、「眼に写るもの食べ物に見えて来る」等の川柳が掲載される。

(2016年5月)



《掲示板》

◎6月の行事
 6月 6日(月):梅干漬込作業
 6月10日(金):出張講演(都内4年制大学)
 6月12日(日):館内講演(団体予約)
 6月19日(日):当館創立記念日(4周年)
 6月30日(木):プラムジャム作り

※6月の収穫:馬鈴薯(ダンシャク、キタアカリ、メークイン)、梅、プラム
 6月の植付:茄子、トマト、オクラ、生姜、甘藷、大豆、赤紫蘇



《民権館歳時記》


☆鈴木真砂女(鴨川市出身)の夏季の代表作は次の二句でした。

◎あるときは船より高き卯浪かな
 アルトキワ フネヨリタカキ ウナミカナ
◎羅や人悲します恋をして
 ウスモノヤ ヒトカナシマス コイヲシテ
※「卯浪(波)」は五月の白い波、「羅」は薄い織物の単衣。
(『季題別・鈴木真砂女全句集』角川学芸出版2010年)

☆しかし、真砂女(マサジョ)の真骨頂は、生活実感を直截に吐露した佳句にあります。筆者年来の見解です。大都会の「露地」の隅や裏を詠み続けた真砂女の句境は、「体当たり的」で前人未踏です。

◎アパートも店も借りもの夏果つる
 アパートモ タナモカリモノ ナツハツル
◎梅雨憂しや仕入れしものの売れ残り
 ツユウシヤ シイレシモノノ ウレノコリ
◎悔なき生ありやビールの泡こぼし
 クイナキセイ アリヤビールノ アワコボシ
◎水打って露地には露地の仁義あり
 ミズウッテ ロジニワロジノ ジンギアリ
◎帯に汗滲ませ露地に老いゆくか
 オビニアセ ニジマセロジニ オイユクカ
◎やりくりの思案の鰺をたたくかな
 ヤリクリノ シアンノアジヲ タタクカナ
◎黴に寝て女の意地をたて通す
 カビニネテ オンナノイジヲ タテトオス
(前掲『全句集』)

☆このような句を残して逝った女性大家は、誠に敬服に値します。



《書誌データ》


☆2016年企画展は、平和憲法70年“ 鈴木安蔵と憲法研究会 ”を開催の予定です。凡例は、①論説・コラム執筆者、②執筆者標目、③雑誌社、④発行年月日、⑤大きさ・容量、⑥値段、⑦本文抜粋。(    )と句読点は引用者です。

☆当館所蔵資料の1946(昭21)年6月~7月の書誌データを書き継ぎます。

◆徳田球一「国務大臣の演説に対する代表質問」(『官報号外』1946年6月25日)
①徳田球一(トクダ・キュウイチ)
②1894-1953
③印刷局
④1946年6月25日
⑤62P・A4版
⑥70銭
⑦第一項は今次戦争の性格に付いてであります。首相は「ポツダム宣言」の趣旨に副うて民主主義平和国家を樹立すると言われて居るのであります。是が施政の根本方針となって居ります、然るに今次世界戦争の性格に付ては何等言及する所がありませぬ、今次世界戦争は日本帝国主義の内部的矛盾に依って起ったのであります。(中略)此の戦争は実に資本主義の内部矛盾から起ったのでありますから、必然戦争を抛棄するならば、資本主義をどうする、資本主義を止めるかどうかと云うことが決定的な問題であるのであります。資本主義の存在する限り、其の内部矛盾の必然的発展は戦争を惹(ヒ)き超すことは当然で、今次戦争が実にそれであったことは、我々の事実に於て体験した所であります。(『官報号外』「衆議院議事速記録第四号」51頁~52頁)

☆当館は、徳田球一・志賀義雄著『獄中十八年』(時事通信社947年2月15日)初版を所蔵する。18年間の獄中記は、侵略戦争に反対する日本知識人を例証する(前述)。

☆戦後最初の総選挙(4月10日)に当選した徳田球一の代表質問に対し、内閣総理大臣の吉田茂(自由党)は下記のように答弁している。吉田(元外交官)も第2次世界大戦末期に投獄された経験を持つ。

◎此の度の戦争の性格如何と云う御尋ねでありますが、私は此の度の戦争は発達の途上にあった議会政治、政党政治が、極端なる国家主義、軍国主義の為に崩壊せられた結果であると思うのであります。
(「衆議院議事速記録第四号」59頁)

◎戦争を放棄する以上は、交戦権を放棄した以上は、資本主義も亦(マタ)放棄すべきであるというような御話であるが、是は御意見であります、私は必ずしも之に賛成しない。
(同誌59頁)

☆同誌に拠ると、1946(昭21)年6月24日の衆議院の議事日程は、午後1時に開会して国務大臣の演説に対する質疑が行われ、午後7時19分に散会した。

◆『毎日年鑑(昭和21年版)』(マイニチネンカン)
①*
②*
③毎日新聞社
④1946年7月1日
⑤383P・18㎝
⑥15円
⑦代議士要覧、東京2区(定員12名)、加藤シズエ(社会党)、中村高一(社会党)、河野密(社会党)、鈴木茂三郎(社会党)、松岡駒吉(社会党)、大久保留次郎(自由党)、徳田球一(共産党)、花村四郎(自由党)、荒畑勝三(社会党)、栗山長次郎(自由党)、松谷天光光(無所属→社会党)。(370頁~371頁)

☆荒畑勝三は荒畑寒村である。翌年の1947(昭22)年7月に、ロングセラーの『寒村自伝』(板垣書店)を出版する。加藤シズエと松谷天光光(マツタニ・テンコウコウ)は戦後最初の女性代議士である。

☆20年程前に、古書店で間違って購入した年鑑である(前述)。400円であると思って買おうとしたら、4000円であった。数字を一桁見間違えたのである。

☆高校時代に「世界史」を教えていただいた恩師の日記を引用する。「M先生の日記」である。戦後最初の衆議院総選挙に関する記述がある。句読点は引用者。

◎1946(昭21)年4月10日、・・・それから投票に行く。もう大分すいて居た。加藤シズエ、荒畑勝三、山花秀雄に投票して帰る。夜はフカシパンにシチュウの御馳走、「世界」の続きを読む。(後略)。
(「M先生の日記」鴨川市N家文書)

☆加藤シズエと荒畑勝三は当選した。山花秀雄は落選したが、8月に繰り上げ当選になった。投票は3名連記制である。当時の東京二区は、杉並区、世田谷区、品川区、目黒区、渋谷区、中野区、北多摩郡等であった。

☆M先生は田中耕太郎や大河内一男の論文を読んだことを日記に記している。雑誌『世界』の1946年2月号である。創刊号や3月号に関する記述はない。どういう経路で2月号を入手したかという記述もない。

☆憲法研究会同人の論考は掲載されていないが、参考までに当館所蔵『世界』2月号の目次を紹介する。女性の論文や作品が1篇も掲載されていないのは編集方針の所為か。

◎目次
新政治理念と自然法・田中耕太郎/敗戦日本の経済過程・高橋正雄/第1次世界大戦に於けるドイツの戦時経済とその復興・美濃部亮吉/国民生活の浮浪化について・大河内一男/街頭の青年達・清水幾多郎/I駅の一夜・中谷宇吉郎/交驩・竹山道雄/「メレオン島の悲劇」について・安倍能成/子供らのために・中野重治/暦法の改正・藤原咲平/七十年前の女子参政権問題論議・尾佐竹猛/盬花・豊島与志雄/再開・川端康成/敵国日本・H.バイアス

(2016年6月)