2018年


《掲示板》

◎1月の行事
1月 1日(月):『民権館通信第10号』発行
1月 2日(火):予約客様
1月 7日(日):七草粥
1月11日(木):秀峯(板倉比左)顕彰忌
1月27日(土):資料調査(県内)
※有機栽培大豆味噌仕込み

◎民権林園(無農薬有機・多品種小規模)
☆収穫:里芋(豊作)、聖護院大根(豊作)、三浦大根(平作)、小松菜(豊作)
☆植付:
☆花々:梅(紅・白)、水仙(白・黄)、南天の実(赤)
※民権林園栽培の「ヤーコン新根株」を希望者に進呈中。
◎今月の寄贈図書(御支援に感謝)
□『誠心堂書店書目(古書)第137号』(2018年1月)



《民権館歳時記》

☆新年明けましてお目出とうございます。皆様の御健康と御多幸を御祈念申し上げます。本年も御教導を宜しく御願い申し上げます。

☆若水汲む背中の丸き男子かな    (凡一旧句・20代)
 わかみずくむ せなかのまろき おのこかな

☆若水に頬の削げたる好々爺     (凡一新句・60代)
 わかみずに ほおのそげたる こうこうや



【展示書誌データ(自由民権の名著)】

※凡例=①著者②著者標目③出版社④発行年月日⑤大きさ・容量⑥値段⑦本文抜粋☆解説◎引用文、(連載中)

☆自由民権期の政党の大変優れた綱領に「愛国公党宣言(板垣退助会長)」(1890年)があります。次のような五項目です。(     )は引用者。

○第1条、施政は成るべく干渉を省くべき事。
○第2条、内治は中央集権に傾かず、地方分権を主とすべき事。
○第3条、外交は各国と対等の権義(けんぎ)を保全すべき事。
○第4条、兵備は防禦(ぼうぎょ)を主とすべき事。
○第5条、財政は節制を旨とし、経費は民力に適応すべき事。
(『土陽新聞』1890年5月9日)
(雑誌『新演説・第26号』1890年5月15日)
(指原安三『明治政史・第23編』冨山房書店1893年)
(若林清『大日本政党史』市町村雑誌社1913年)
(明治文化研究会『明治文化全集・正史篇(下巻)』日本評論社1929年)
(宇田友猪『板垣退助君伝記・第三巻(明治百年史叢書)』原書房2009年)

☆130年前のこの優れた政綱について、しばらく考察してみようと思います。

☆「第3条」の外交論は次のように主旨説明されています。句読点と○と(     )は引用者。

○外交は我国の自主独立を外にして、之(これ)を修むべきに非(あ)らず。
○或(あるい)は強国に媚(こ)びて弱国を侮(あなど)り、或は大国に利して小国に害し、或は一国に歓心を買はんと欲して他国の感情を傷(そこな)ひ、信義を破り、偏頗(へんぱ)に陥(おちい)り、儼然(げんぜん)自ら衛(まも)る所なきは我党の取らざる所なり。
○其(その)条約通商に於けるが如き、彼より我に対して義務を全(まっと)ふすれば、我も亦た彼に対して権利を許(ゆ)るし、以て相互に対等の権義を保全するは、即ち我党の本旨なり。
(前掲諸資料)

☆「自主独立」、「信義自衛」、「相互対等」、「権義保全」という現代でも通用すると思われる外交理念が表明されています。

☆自由民権期に外交を論じた新聞論説の白眉(はくび)は、1882(明治15)年8月の『自由新聞』社説「論外交」です。無署名の社説ですが、語彙や文体等から現在では中江兆民の執筆と判定されています。

☆論題の「論外交」は、漢文の一般的な訓読では「外交ヲ論ズ」となります。

☆長文の社説なので三回に分けて掲載されました。主張の核心は「小国自恃(しょうこくじじ)」、「信義堅守(しんぎけんしゅ)」の外交路線です。

☆第1回(8月12日)は政府の「強兵策」を批判し、「富国」と「強兵」の根本的な矛盾について記述しています。(    )は引用者、引用文は岩波文庫版。

○それ兵士を養ふことは経済の道に反することこれより甚(はなは)だしきはなし。何ぞや、国家多兵を養ふときは、租税随ふて重からざるを得ざればなり。
○是(ここ)に知る富国強兵の二者、天下の最も相容(い)れがたき事なることを。
○兵備に費す所を以てこれを他事に用ひしめば、その国の更に富むこと必ず今日に百倍することを得ん。
(『自由新聞』38号1882年8月12日)
(『中江兆民全集14』岩波書店1985年)
(『中江兆民評論集』岩波文庫1993年)

☆第2回(8月15日)は戦勝国の掠奪(りゃくだつ)と貪婪(どんらん)な行為を批判し、「道義」、「正義」の外交を主張しています。

○けだし人の道義の何者たるを明知することはその才知あるがためなり、既に道義の何者たるを知るときは必ずこれを行はざるべからず。
○吾人(ごじん)史を繙(はん)して正義の事跡を観るときは、その感激の念を発する。
(『自由新聞』40号1882年8月15日)
(『中江兆民全集14』岩波書店1985年)
(『中江兆民評論集』岩波文庫1993年)

☆論説の第3回(8月17日)は「人民智慮(じんみんちりょ)」の成長と効用について論及し、結語は小国主義の主張となっています。

☆「智慮」とは、物事について深く考えをめぐらす能力のことです。

☆原文は、現代では使用されない漢語や熟語が頻出して平易ではありません。ヨーロッパの国名も当時の漢字表記です。

☆「人民智慮(じんみんちりょ)」の効用については、松永昌三氏の精緻(せいち)な解説を紹介します。

○「論外交」は人民の智慮の進展に期待している。権力者の始める大義名分のない戦争や隣国を敵視侮辱する外交に対し、これを認めず許さずとの確固とした世論を巻き起こすことで、権力者の行為を抑制することが大事だというのである。
(松永昌三『中江兆民評伝』岩波書店1993年初版145頁)

☆中江兆民は、道義外交論を「儒生学士(じゅせいがくし)」の説として一笑に付したり放擲(ほうてき)したりしないようにと述べています。自由党(板垣退助総理)の機関紙『自由新聞』の無署名論説ですが、いかにも兆民らしい博学卓識(はくがくたくしき)の名文と言えるでしょう。

(2018年1月)


《掲示板》

◎2月の行事
2月 2日(金):写真展見学(千葉県酪農の里)
2月 3日(土):節分
2月 6日(火):無料税理士相談会、確定申告
2月10日(土):予約客様(県内)
2月14日(水):有害鳥獣捕獲講習会
2月17日(土):環境保全共同作業
2月18日(日):地域行事
2月20日(火):在来種大豆による「無添加味噌」仕込み共同作業
※理事長撮影写真入賞(グリーン・ブルー・ツーリズム写真コンクール)

◎民権林園(無農薬有機栽培)
☆収穫:白菜(豊作)、聖護院大根(豊作)、三浦大根(平作)、春菊(豊作)、蕗の薹(平作)
☆植付:馬鈴薯、サニーレタス
☆花々:梅(紅・白)、水仙(白・黄)

◎今月の寄贈図書(御支援に感謝)
□『近代日本メディア人物誌』(ミネルヴァ書房2018年1月30日発行)
□『評論№210』(日本経済評論社2018年1月30日発行)



《民権館歳時記》



【展示書誌データ】

※凡例=①著者②著者標目③出版社④発行年月日⑤大きさ・容量⑥値段⑦本文抜粋☆解説◎引用文、(連載中)

☆戦後の歴史研究者の著作で、「外交力」について極めてユニークな見解を記述しているのは、意外に思われるかもしれませんが、高群逸枝著『女性の歴史』(全四巻)です。(     )は引用者。

○「力」とは第一に武力であり、第二に知力であり、そして富力である。つづめていうと近代産業の威力である。これが当時(黒船来航前後)の日本人一般の感想であった。
(高群逸枝『女性の歴史・下巻(解放のあけぼの)』講談社1958年初版7頁)
(高群逸枝『女性の歴史(下)』講談社文庫1972年21頁)

☆高群は次のように補記しています。

○文化の度合いの低かった当時の日本人は、これらの力のほかに、もう一つ別の力があることを知らなかった。それは国家や個人によってなされる近代感覚をもった外交の力のことである。
(前掲書)

☆高群は、幕末維新期の日本庶民が持っていた外交意識の狭隘(きょうあい)さを遠慮会釈なく批判しています。英語では、武力は military power、知力は intellectual power、富力は financial power、外交力は diplomatic powerです。

○せまい自我や自国主義でなく、人類史的使命感をもった外交が伴わねば、けっきょく近代国家としては生きていけない。
(前掲書)

☆高群の指摘は、今でも通用する優れた外交観であると言えるでしょう。

(2018年2月)



《掲示板》

◎3月の行事
3月 3日(土):雛祭
3月 7日(水):在来種大豆味噌仕込(第2回)
3月15日(木):地域行事
3月21日(水);春分の日
3月27日(火):山菜採集
3月31日(土):資料調査(県内)

◎民権林園(無農薬有機栽培)
☆収穫:春菊(平作)、蕗の薹(豊作)、蓬(平作)、三つ葉(平作)、芹(平作)、小松菜(平作)、野蒜(平作)
☆植付:馬鈴薯、サニーレタス、里芋、葱、ヤーコン
☆花々:蒲公英(黄)、椿(白・赤)、桜(白・桃)、鈴蘭(白)、木瓜(朱)、辛夷(白)、木蓮(紫・白)、空豆(薄紫)、プラム(白)

◎寄贈資料コーナー(御支援に感謝)
□チラシ「夷隅地域の戦国城郭展」(いすみ市郷土資料館)
□案内状「作品展-しいたけの思惟-」(館山市内 gallery)
□『山武市郷土史料集24・北田定男家文書調査報告書(1)目録編』(2018年2月)
□『四街道市史料目録(第1集、長岡地区・井岡家文書)』(2013年3月)
□『四街道市史料目録(第2集、諸家文書)』(2018年2月)
□『永森書店目録(古書)第30号』(2018年3月)



《民権館歳時記》

☆今月は「禁門(蛤御門)の変」を題材にした漢詩です。嶺田楓江の武士としての側面を考えます。

☆蛤御門(はまぐりごもん)は京都御所の西門で普段は閉じています。筆者は50年前の学生時代、所用のついでに時々御所の中を散策しました。

☆『日本史用語集』(山川出版)では、「禁門の変」を「長州の急進派が池田屋事件を契機に入京、薩摩・会津・桑名の藩兵と交戦して敗走した武力衝突事件」と簡便に説明しています。

☆漢詩の平仄(ひょうそく)については、主に当館蔵書の『作詩関門』(明治書院)に依拠しました。※○は平(ひょう)、●は仄(そく)、△と▲は両用、(     )は「七言絶句変格(仄起=そくおこり)」の標準。

○甲子記事
 殺気横秋暗礟煙
 ●●△○●●○     (●●○○●●○)
 九重城闕有無間
 △△○●●○△     (○○●●●○○)
 金吾有此眞男子
 ○○●●○○●     (○○●●○○●)
 不使君王過蜀山
 ▲●○△▲●○     (●●○○●●○)
(重城保撰『楓江遺草』)
(明石吉五郎『嶺田楓江』)

※訓読
 殺気(さっき)秋(とき)に横(よこた)わって礟煙(ほうえん)暗し
 九重(きゅうちょう)の城闕(じょうけつ)有無(うむ)の間
 金吾(きんご)此(こ)の眞男子(しんだんし)有り
 君王(くんのう)をして蜀山(しょくざん)に過(す)ごせしめず

☆「甲子」は1864(元治元)年です。平仄は「七言絶句変格(仄起)」の標準に則していると思われます。「煙yan(先)」、「間jian(刪)」、「山shan(刪)」が脚韻ですが、不規則な押韻のようです。

☆起句の「秋(○)」を「とき」と訓読してみました。1864年の高杉晋作の詩句に、「正是存亡危急秋(まさにこれそんぼうききゅうのとき)」があり、踏襲しました。「殺気(●●)」という語彙から、幕末の権力闘争の緊張感が伝わって来ます。

☆「ほうえん」の活字は重城保撰『楓江遺草』(1891年)では「礟煙(●○)」、明石吉五郎著『嶺田楓江』(1919年)では「礮煙(●○)」で、「砲煙」のことです。武力衝突の描写です。

☆承句の「九重城闕(△△○●)」は京都御所ですが、平仄では「九重禁闕(△△▲●)」が標準です。「有無間(●○△)」は勝敗や生死の決する間を意味します。白居易(772~846年)「長恨歌」には「九重城闕煙塵生(△△○●○○●)きゅうちょうのじょうけつえんじんしょうじ」とあります。

☆御所については西郷隆盛の「獄中有感(七言律詩)」に、「願留魂魄護皇城(ねがわくばこんぱくをとどめてこうじょうをまもらん)」という有名な詩句があります。西郷はこの日(旧暦7月18日~19日)、薩摩藩兵を指揮していました。

☆転句の「金吾(○○)」は、宮門を警備する武官です。嶺田楓江(丹後田辺藩士)は幕府側(会津藩・薩摩藩・桑名藩等)で警備をしていました(明石吉五郎『嶺田楓江』)。「金吾」は自画像と思われます。承句の「有無(●○)」と転句の「有此(●●)」に「有」の字が二回使用されています。

☆結句の「君王(○△)」は孝明天皇、「蜀山(○●)」は中国の四川省を意味していると思います。「安史(あんし)の乱」(755~763年)において、玄宗皇帝が「蜀」に落ち延びた故事に因んでいるようです。「九重城闕」、「君王」、「蜀山」の語彙は、白居易「長恨歌(ちょうごんか)」に頻出します(『新唐詩選続篇』岩波新書)。

☆前年の1863(文久3)年8月18日の政変では、三条実美らが長州に「七卿落(しちきょうおち)」しました。

☆「禁門の変」では、京都に滞在していた尊王攘夷派の久坂玄瑞(くさか・げんずい)が死去、桂小五郎は畿内に潜伏、高杉晋作は萩の牢屋(野山獄)に投獄されても生き続けました。

☆村田峰次郎(長州藩家老の村田清風の孫、「薫陶学舎」英学教師)は後年、『楫取素彦(かとり・もとひこ)伝』(萩市・前橋市発行2014年)の草稿を執筆し、1864年の嶺田楓江について好意的に記述しています。(     )は引用者。

○この時嶺田楓江、その敵陣中(会津・薩摩・桑名側)にありしが、偶々(たまたま)戦況を目撃し、杜牧(とぼく)の詩句を思出して「勿言一敗彼塗土、巻土重来未可知」と高吟せり。
(前掲『楫取素彦伝』60頁)

☆前掲書の「勿言一敗彼塗土、巻土重来未可知」は、「いうなかれ、いっぱいかれつちにまみれしと、けんどちょうらいすれば、いまだしるべからず」と訓読してみました。嶺田楓江は長州の攘夷派に底知れない潜勢力を感じたのです。

☆前掲『楫取素彦伝』に依ると、嶺田楓江が記憶していた杜牧(803~852)の漢詩は次のような七言絶句(烏江亭に題す)でした。(     )の訓読は引用者、平仄は省略。

○勝敗兵家事不期
(しょうはいは、へいかも、こときせず)
 包羞忍恥是男兒
(はじをつつみ、はじをしのぶは、これだんじ)
 江東子弟多才俊
(こうとうのしてい、さいしゅんおおし)
 巻土重來未可知
(つちをまいて、かさねてきたらば、いまだしるべからず)
(『唐詩概説』岩波書店1958年)
(『中国名詩選・下』岩波文庫1986年180頁)
(『小川環樹著作集第2巻』筑摩書房1997年66頁)

☆「江東」は項羽(こうう)が挙兵した一帯を指します(『史記』)。「巻土」については、現在の表記では「捲土」ですが、前掲文庫に準拠しました。小川環樹『唐詩概説』(岩波書店1958年)は、「巻土重来」を「けんどじゅうらいすれば」と訓読しています。

☆嶺田楓江には、「甲子京城役記事以示如松牛窪太夫」(明石吉五郎『嶺田楓江』所載)という七言律詩もあります。「甲子京城役」は「禁門の変」のことです。

☆明治維新後、房総の民権学校の「薫陶学舎」(1882年3月開校式)で、嶺田楓江(漢学担当)と村田峰次郎(英学担当)は同僚になり、日夜青少年の教育に従事しました(寄宿制)。村田は嶺田から直接に、20年前にあった「禁門の変」の体験談を聞いたのでしょう。二人は一緒に房総旅行もしています(嶺田楓江書簡)。

☆村田峰次郎著『高杉晋作』(民友社1914年)には、1864年秋の有名な漢詩が記載されています。討幕の功山寺(こうざんじ)決起直前に高杉晋作が心情を表出した七言絶句です。(     )は引用者、平仄は省略。

○題焦心録後
 内憂外患迫吾州
 正是存亡危急秋
 唯為邦君為家国
 焦心碎骨又何愁
(前掲『高杉晋作』157頁)
(『高杉晋作全集下巻』新人物往来社1974年476~477頁)

※訓読
 内憂外患(ないゆうがいかん)吾(わ)が州に迫る
 正(まさ)に是(こ)れ存亡危急の秋(とき)
 唯(ただ)邦君(ほうくん)の為め家国(かこく)の為め
 心を焦(こ)がし骨を砕く又(また)何(なん)ぞ愁(うれ)えん

☆「内憂外患」(春秋左氏伝)、「危急存亡」(諸葛亮・出師の表)、「粉骨砕身」(正法眼蔵)等の四字熟語を踏まえたようです。

☆高杉晋作の「題焦心録後(しょうしんろくごにだいす)」(七絶)と嶺田楓江の「甲子記事(かっしきじ)」(七絶)は、政治的立場は異なりますが同年の漢詩です。

☆嶺田楓江の詩想の解釈は筆者の責任で推論しています。訓読については、村山吉廣氏の「嶺田楓江の生涯と詩業」(『新しい漢字漢文教育第34号』2002年)の先例を参照しました。

☆次回は尊王攘夷派の梁川星巌(やながわ・せいがん)「送士徳解官游房州」(『梁川星巌全集』第1巻所載)を鑑賞の予定です。星巌と楓江(士徳)の交遊について考えます。



【展示書誌データ】

※凡例=①著者②著者標目③出版社④発行年月日⑤大きさ・容量⑥値段⑦本文抜粋☆解説◎引用文、(連載中)

☆愛国公党宣言書の綱領の第3条(対等外交)については1月に紹介しました。今月は第4条(防禦不侵略)について考察します。

○第4条 兵備は防禦(ぼうぎょ)を主とすべき事。
(『土陽新聞』1890年5月9日)
(雑誌『新演説・第26号』1890年5月15日)
(指原安三『明治政史・第23編』冨山房書店1893年)
(若林清『大日本政党史』市町村雑誌社1913年)
(明治文化研究会『明治文化全集・正史篇(下巻)』日本評論社1929年)
(宇田友猪『板垣退助君伝記・第三巻(明治百年史叢書)』原書房2009年)

☆第4条の補足説明は以下の通りです。(     )は引用者。

○兵備は主として外国に対し自ら独立を守るに在(あ)れば、之が充実を謀(はか)らざる可(べか)らずと雖(いえ)ども、国力の如何(いかん)を顧みずして多く財を費し、又た侵略の策を講じ、国に禍(わざわい)するが如きは我が党の為(な)さざる処(ところ)なり。(後略)
(前掲諸資料)

☆第4条の理念は「防禦自守(ぼうぎょじしゅ)」、「不費多財(ふひたざい)」、「不講侵略(ふこうしんりゃく)」、「不為国禍(ふいこっか)」という四項目の四字熟語に要約できるでしょう。

☆「侵略の策を講じ国に禍するが如きは、我が党の為さざる」という条項は、民権と国権を統一する大変優れた自由民権期の平和論と言えます。

(2018年3月)


掲示板》

◎4月の行事
4月 2日(月):資料調査(県内)
4月 8日(日):地域行事
4月16日(月):予約客様(県内)
4月20日(金):味噌天地返し
4月22日(日):地域行事

◎民権林園(小規模循環自然農法)
☆収穫:タラの芽(平作)、三つ葉(豊作)、芹(平作)、蕗(平作)、孟宗の筍(平作)、青紫蘇(平作)、玉葱(豊作)
☆植付:大根、里芋、菊芋、ヤーコン、甘藷、生姜、ゴーヤ、茄子、胡瓜、ミニトマト
☆花々:蒲公英(黄)、空豆の花(薄紫)、ローズマリー(薄紫)、グリーンピースの花(白)、チューリップ(黄)、サマースノウ(薔薇・白)、アイスバーグ(薔薇・白)、シンデレラ(薔薇・薄紅)、バレリーナ(薔薇・紅白)、石楠花(赤)、皐月(赤)、馬鈴薯の花(紫・黄)

◎寄贈・寄託資料コーナー(4月)
□『「竹橋事件・兵士民権論」の提唱を受けて-自由民権運動史研究の視座から』(竹橋事件の会2018年2月23日)
□『民衆史研究第94号』書評抜刷(2018年3月10日)
□『歴史と地理・日本史の研究260』(山川出版2018年3月20日)
□『加瀬勉 闘いに生きる〈上〉』(柘植書房新社2018年3月30日)
□『自由民権記念館だより・自由のともしびVOL84』(高知市立自由民権記念館2018年3月31日)
□『自由民権3(紀要31号)』(町田市立自由民権資料館2018年3月31日)
□『民権家の創作と精神世界(民権ブックス31)』(町田市立自由民権資料館2018年3月31日)
□『地方史情報135』(岩田書院2018年3月)
□『それでも花は咲く、福島と熊本をつなぐ心』(随想舎2018年4月10日)
□『五日市憲法』(岩波新書2018年4月20日)



《民権館歳時記》

☆4月は、幕末の漢詩人の梁川星巌(やながわ・せいがん)作「送士徳解官游房州」(『梁川星巌全集』第1巻)を鑑賞します。嶺田楓江(士徳)は、梁川星巌の「玉池吟社(ぎょくちぎんしゃ)」の門人でした。

☆七言律詩の平仄(ひょうそく)の規範については、小川環樹『唐詩概説』(岩波文庫)を参照しました。○は平(ひょう)、●は仄(そく)、△▲は両用です。(     )の訓読は、『梁川星巌全集』(梁川星巌全集刊行会)の先例に準拠しています。

○送士徳解官游房州(しとくのかんをといて、ぼうしゅうにあそぶをおくる)

 寸禄抛来敝屣軽      ↓規範的パターン
 ●●△△●●○      
●●○○●●○
(すんろくなげうちきたって、へいしかろし)
 欲将心事問浮萍     
 ●△○●●○○      
○○●●●○○
(しんじをもって、ふへいにとわんとほっす)
 多年奇璞空三献
 ○○○●△○●      
○○●●○○●
(たねんきぼく、むなしくさんけん)
 此日傷禽始一鳴
 ●●○○●●○      
●●○○●●○
(このひしょうきん、はじめていちめい)
 野館秋風孤剣冷
 ●●○△○●▲      
●●○○○●●
(やかんのしゅうふう、こけんひややかに)
 海門斜月半艙明
 ●○○●●○○      
○○●●●○○
(かいもんのしゃげつ、はんそうあきらかなり)
 南游去広房山集
 ○○●●○○●      
○○●●○○●
(なんゆうさってひろむ、ぼうざんしゅう)
 不放昌卿独擅名
 ▲●○○●●○      
●●○○●●○
(しょうけいをして、ひとりなをほしいままにせしめず)
(明石吉五郎『嶺田楓江』千葉弥次馬発行1919年9頁)
(『梁川星巌全集第1巻』梁川星巌全集刊行会1956年831頁)
(鶴岡節雄『房総文人散歩』多田屋1977年60頁)

☆1838(天保9)年9月の作です。星巌は幕末の漢詩人の第一人者ですが、平仄が規範的図式と完全に一致しているのは、第1句、第4句、第5句、第7句、第8句で、その他(第2句・第3句・第6句)の平仄は変則的と言えます。

☆脚韻は第1句の「軽」(庚king)、第2句の「萍」(青ping)、第4句の「鳴」(庚ming)、第6句の「明」(庚ming)、第8句の「名」(庚ming)が押韻です。「萍」が不統一になり、押韻に無頓着のような気がします。名詩と評価された唐の七言律詩で、押韻の不統一は考えられません。

☆第1句の「敝屣(へいし)」は破れ草履のことです。「寸禄(すんろく)を抛(なげう)ち」という詩句の中に、若き楓江の血気盛んな様子が垣間見えるような気がします。嶺田楓江自身の七言絶句にも「寸録抛来二十秋(すんろくなげうちきたり、にじゅうのとき)」(前掲『嶺田楓江』163頁)という詩句があり、二十歳の頃に因循姑息な俸禄人生に見切りを付けたようです。

☆第2句の「浮萍(ふへい)」は浮草で、各地を遍歴することを意味します。

☆第3句と第4句は定番の対句で、「多年(たねん)」と「此日(このひ)」、「三献(さんけん)」と「一鳴(いちめい)」が対応しています。「三献」の献策内容は不明です。後のアヘン戦争に関する歴史物語『海外新話』執筆に繋がったと考えます。

☆第5句と第6句も定番の対句で、「野館(やかん)」と「海門(かいもん)」、「孤剣(こけん)」と「半艙(はんそう)」が対応しています。「孤剣」の詩語は、楓江が文武両道の人物であり、槍術の達人であったことを示しています。「海門」は海峡を意味します。江戸湾のことでしょう。

☆第8句の「擅(せん)」は、『梁川星巌全集第1巻』では「檀(だん)」という活字が使用されています。詩意や平仄から考えるとこれは誤植です。前掲『嶺田楓江』の「擅(せん)(ほしいまま)」という活字が正しいと思います。

☆「昌卿(しょうけい)」は著名な漢詩人の大沼枕山(おおぬま・ちんざん)です。『房山集(ぼうざんしゅう)』は枕山の初期漢詩集です。大沼枕山(1818-1891)と嶺田楓江(1818-1883)は同年齢で、梁川星巌(1789-1858)が開塾した江戸の漢詩塾「玉池吟社」(1834-1845)で同門でした(『梁川星巌全集第5巻』年譜)。

☆この年(1838年)、二十歳の嶺田楓江は退官願いを提出し、江戸から房州(安房国東条村界隈)へ転居しました(前掲『房総文人散歩』)。表向きの理由は「病気」(前掲『嶺田楓江』)ということでしたが、前年の1837(天保8)年には「大塩平八郎の乱」や「モリソン号事件」が起きています。「大政奉還」の30年前でした。

☆梁川星巌と房総の民権家の関わりを示す、幕末の漢詩を年代順に列挙します。
○1835(天保 6)年・・・星巌「和嶺田士徳夏日間詠」(全集第1巻)
○1838(天保 9)年・・・星巌「送士徳解官游房州」(全集第1巻)
○1841(天保12)年・・・星巌「東條山中訪龍泉通上人不遇」(全集第1巻)
○1841(天保12)年・・・星巌「読鈴木彦之松塘集題二律」(全集第1巻)
※鈴木彦之(漢詩人)は自由党員の加藤淳造の叔父。
○1841(天保12)年・・・星巌「題加藤世美菊靄山房」(全集第1巻)
※加藤世美(霞石)は自由党員の加藤淳造の祖父(医師)。
○1844(弘化元)年・・・星巌「加藤世美蔵一怪石」(全集第1巻)
※或いは翌年の1845(弘化2)年作か?
○1853(嘉永 6)年・・・星巌「長州吉田寅次郎拉宮部鼎蔵野口直允見過」(全集第2巻)
※吉田寅次郎(松陰)は、江戸から京都へ転居していた梁川星巌を12月4日に訪問し、翌1854(安政元)年3月に米艦乗船計画決行。
○1858(安政 5)年・・・9月2日、星巌死去、南禅寺埋葬(全集第5巻)
※1859(安政 6)年10月7日、江戸で頼三樹三郎処刑、10月27日、吉田松陰処刑(安政の大獄)。

☆次回は小野湖山の「訪嶺田士徳東條邨寓居(七言律詩)」(1839年)を鑑賞の予定です。


(2018年4月)


《掲示板》

◎5月の行事
5月 3日(木):憲法記念日
5月 5日(土):予約客様(県内)
5月 7日(月):薫陶忌(井上幹顕彰)
5月17日(木):資料調査(県内)
5月20日(日):三省忌(君塚省三顕彰)
5月21日(月):梅もぎ
5月22日(火):梅干し下漬(3樽)

◎民権林園(循環自然農法)
☆収穫:青紫蘇(豊作)、玉葱(豊作)、空豆(豊作)、グリーンピース(豊作)、梅(大豊作)
☆植付:ヤーコン、甘藷、ゴーヤ、茄子、胡瓜、トマト
☆花々:サマースノー(薔薇・白)、アイスバーグ(薔薇・白)、シンデレラ(薔薇・薄紅)、ヴァレリーナ(薔薇・紅白)、ピエールドロンサール(薔薇・白桃)、クィーンエリザベス(薔薇・深紅)、石楠花(赤)、皐月(赤)、馬鈴薯の花(紫・黄)

◎寄贈・寄託資料コーナー(5月)
□「パリのエスプリ・大森良三絵画展(企画展チラシ)」(いすみ市郷土資料館・田園の美術館2018年4月14日~7月16日)
□「蔵出し・絵草紙展(企画展チラシ)」(町田市立自由民権資料館2018年4月21日~6月3日)
□「坂本直寬展、龍馬の遺志を継ぐもの(企画展チラシ・ポスター)」(高知市立自由民権記念館2018年4月28日~9月24日)
□『戦前・戦中の農業改革と山口左右平』(雨岳文庫企画編集、夢工房2018年5月15日)
□「浮世絵でつづる房総人物伝、アウトローたち、切られ与三郎・東金茂右衛門・天保水滸伝(企画展チラシ)」(城西国際大学水田美術館2018年5月15日~6月30日)



《民権館歳時記》

☆5月は、漢詩人の小野湖山(おの・こざん)作「訪嶺田士徳東條邨寓居」を鑑賞します。

☆小野湖山は1814(文化11)年1月12日に、滋賀県浅井郡の医師、横山玄篤の子として生まれました(豊橋市教育会編『小野湖山翁小伝』1931年、神田喜一郎編『明治文学全集62・明治漢詩文集』筑摩書房1983年)。

☆嶺田楓江(1818-1883)と小野湖山(1814‐1910)は、梁川星巌(1789-1858)が開塾した「玉池吟社(ぎょくちぎんしゃ)」(1834-1845)で同門です。湖山の方が楓江より年長です。

☆七言律詩の平仄(ひょうそく)規範については、前回と同様に小川環樹『唐詩概説』(岩波文庫2005年初版)の第6章を参照しました。便宜上、記号の○は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、△▲は平仄両用(ひょう・そくりょうよう)を示します。訓読は、鶴岡節雄『房総文人散歩』(多田屋1977年)の先例を参考にしています。(     )は引用者。

◎訪嶺田士徳東條邨寓居(みねだしとくを、とうじょうむらぐうきょに、おとなう)

 飄零各自客天涯      
規範的パターン
 ○△●●●○○      
○○●●●○○
 ひょうれいかくじ、てんがいにきゃくす(たり)
 忽漫相逢喜且悲     
 ●▲△○●▲○      
●●○○●●○
 こつまんあいあいて(おうて)、よろこび(て)かつかなしむ
 人世昇沈誰逆料
 ○●○△○●▲      
●●○○○●●
 じんせいのしょうちん、たれかあらかじめはからん(や)
 文章得失両心知
 ○○●●●○△      
○○●●●○○
 ぶんしょうのとくしつ、ともに(ふたつながら)こころにしる
 群山夜響海潮湧
 ○○●●●○●      
○○●●○○●
 ぐんざんよるひびきて、かいちょうわき
 四野風寒星斗垂
 ●●○○○●○      
●●○○●●○
 しやかぜさむくして、せいとたる
 記否江城秋雨夕
 ●●○○○●●      
●●○○○●●
 きするやいなや、こうじょう、しゅううのゆうべ
 一樽濁酒別君時
 ●○●●●○○      
○○●●●○○
 いっそんのだくしゅ、きみにわかるるとき
(小野湖山『湖山樓詩鈔』1849年)
(明石吉五郎『嶺田楓江』千葉弥次馬発行1919年)
(鶴岡節雄『房総文人散歩』多田屋1977年)

☆前掲『房総文人散歩』の著者の鶴岡節雄氏は、1839(天保10)年の作と推定しています。第6句に「風寒」、第7句に「秋雨」とあるので晩秋の頃と思われます。江戸時代の安房国「東條」という村名は、鴨川市以外には無いようです。古刹「日蓮宗小松原鏡忍寺」周辺です。

☆平仄は第1句、第2句、第4句、第6句、第7句が規範通りで、第3句、第5句、第8句が逸脱しています。

☆押韻は第2句の「悲」、第4句の「知」、第6句の「垂」、第8句の「時」が「四支(しし)」に属し同韻です。第1句の「涯」だけが「九佳(きゅうか)」に属し、不統一になります。変則的な押韻です。

☆第3句の「人世」、「昇沈」が第4句の「文章」、「得失」に対応して対句になっています。また第5句の「群山」、「海潮」が第6句の「四野」、「星斗」に対応しています。正統派の作詩法と言えるでしょう。

☆嶺田楓江の人物像を「瓢零(ひょうれい)」、「忽漫(こつまん)」、「濁酒(だくしゅ)」という詩句で暗示しています。師の梁川星巌には「寸録抛来(すんろくなげうちきたって)」という、脱藩を称揚する鋭利な詩句が在りました(前述)。

☆第1句の「瓢零」は①「さまよい歩くこと」、②「落ちぶれること」の二つの意味があります。ここでは「さまよい歩くこと」ではないかと考えました。「各自」は楓江と湖山、二人の漢詩人です。

☆第2句の「忽(こつ)」は「たちまち」、「漫(まん)」は「そぞろに」を意味し、二名の漢詩人は房総半島の異境で再会したのです。

☆第3句と第4句、第5句と第6句は対句です。

☆第5句の「群山」は房総丘陵の低山のことでしょう。最高峰の愛宕山が408メートルですが、谷底は深く断崖もあります。「海潮」は外房(そとぼう)の荒波で、海岸線は白砂青松です。鴨川市出身の女性俳人の鈴木真砂女に「あるときは船より高き卯浪(うなみ)かな」の佳句があります。

☆第7句の「記否(きするやいなや)」の詩意は、「江戸に暮らしていた頃を想い出すだろうか」と解釈します。『湖山楼詩鈔』では「起否」、明石吉五郎『嶺田楓江』では「記否」となっています。「記否」の方が詩意が明瞭です。森鷗外の漢詩に「君記否(きみきするやいなや)」の詩句があります(陳生保『森鷗外の漢詩・上』明治書院164頁)。

☆第7句の「江城(こうじょう)」は、江戸城を指しています。1839(天保10)年には、江戸城西丸が再建されました。

☆第8句の「一樽濁酒(いっそんのだくしゅ)」は、嶺田楓江も酒豪であったことを示唆しています。詩と酒は、盛唐の李白(リーバイ)以来の伝統です。外房は江戸時代から、造り酒屋が多数存在します。

☆嶺田楓江は晩年、いすみ市の「薫陶学舎」(民権学校)で青少年に漢学を教えました。小野湖山も晩年、療養のため家族と共にいすみ市に転住しています。絶筆の漢詩は1910(明治43)年1月元旦作の七言絶句です(満95歳)。

☆金色の荘厳な初日を描写しています。訓読は豊橋市教育会編『小野湖山翁小伝』の先例を踏襲しました。高齢の所為か、平仄の規範に囚われず奔放に作詩したようです。(     )は引用者

◎絶筆
 避寒東海値春陽     
規範的パターン
 ●○○●●○○     ○○●●●○○     
 かんをとうかいにさけ、しゅんようにあう
 轉覚乾坤帯瑞光
 ●●○●●●○     
●●○○●●○
 うたた、けんこんのずいこうをおぶを、おぼゆ
 萬里水天金一色
 ●●●○○●●     
●●○○○●●
 ばんり、すいてん、きんいっしょく
 㬢輪徐輾太平洋
 ○○○●●○○     
○○●●●○○
 ぎりんおもむろにてんす(ず)、たいへいよう
(前掲『小野湖山翁小伝』所載直筆図版)
(石碑「小野湖山絶筆碑」いすみ市)

☆起句の「値(ち)」は、「値(あた)」うではなく、「値(あ)」うと訓読します。押韻の「陽」は「七陽(しちよう)」です。

☆承句の「轉(うたた)」は、「いよいよ」の意味で、「瑞光(ずいこう)」は吉兆の光線です。初日の出の瞬間です。押韻は「光」で、やはり「七陽」です。

☆転句の「水天(すいてん)」は、九十九里浜南端の太東埼から眺望した外洋と朝焼け空のことでしょう。

☆結句の「㬢(ぎ)」は難しい漢字ですが、太陽の光です。「輾(てん)」は、夜明け前の漆黒の海が金色の板を引き延ばすように染まったという比喩です。「輾(てん)」は「めぐる」とも訓読します。押韻は「洋」で、規範に則り「七陽」に分類された漢字を使用しています(前掲『唐詩概説』第8章)。

☆次回は漢詩人の鱸(鈴木)松塘作「辛丑九日、懐嶺田士徳」(五言律詩、1841年)を鑑賞の予定です。鱸松塘は民権医師の加藤淳造の叔父で、墓碑は南房総市谷向にあります。

 * * * * * * * * * *

☆浅学非才を顧みず、平仄の規範的パターンと完全に一致した七言絶句を、試作してみました。お手空きの折に御笑覧をお願い申し上げます。

◇懐主基村(凡一居士)
 すきむらをおもう(ぼんいつこじ)
 
 春寒柏樹落花中     規範的パターン
 
○○●●●○○     ○○●●●○○
 はるさむくしてはくじゅ、らっかのうち
 草野啼禽聞夕空
 
●●○○▲●○     ●●○○●●○
 そうやのていきん、むなしくゆうべにきく
 鬼哭啾啾人不見
 
●●○○○▲●     ●●○○○●●
 きこくしゅうしゅうたり、ひとをみず
 孤村濁酒一樽宮
 ○○●●●○○     ○○●●●○○

 こそんのだくしゅ、いっそんのみや

☆旧「主基村」の村名は、明治初期の「主基田(すきでん)」に由来します。「凡一」は筆者の俳号です。

☆起句は「房総自由民権資料館」周囲の晩春の風景です。「柏樹(●●)」は、祖父が庭先に植えた樹齢100年以上の落葉樹です。

☆承句の「啼禽(○○)」は「啼鳥(○●)」と同様の意味ですが、平仄の都合で「啼禽」としました。

☆転句の「鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅうたり)」という詩句は、杜甫(ドゥーフー)の名詩「兵車行(へいしゃこう)」(『中国名詩選(中)』岩波文庫、『杜甫詩選』岩波文庫)にあります。「旧鬼哭(きゅうきはこくし)」、「声啾啾(こえのしゅうしゅうたるを)」という詩句は反戦の哀切な表現です。七言歌行「兵車行」の「新鬼(○●)」と「旧鬼(●●)」は、戦争の犠牲者を意味します。

☆結句の「孤村(○○)」は、「故園(●○)」に置き換えるべきかもしれませんが、平仄の都合で「孤村」としました。

☆押韻は起句の「中(zhon○)」、承句の「空(kon○)」、結句の「宮(gon○)」で、すべて「一東(いっとう)」に属します(前掲『唐詩概説』第8章)。

☆小川環樹『唐詩概説』(新書版、著作集、文庫版)は愛読書です。平仄(ひょうそく)の規範に完全に(100%)合致する平起(ひょうおこり)の七言絶句の模範として、李白「春夜洛城聞笛(しゅんや、らくじょうにふえをきく)」を挙げています。平仄の原理を習得するには最適の入門書でしょう。

(2018年5月)



《掲示板》

◎6月の行事
6月 1日(金):梅ジャム(2キロ)、梅酒(1.8㍑)作り
6月 6日(水):予約客様(県内)
6月 9日(土):巨峰忌(安田勲顕彰忌)
6月16日(土):予約客様(県内)
6月19日(火):創立記念日(開館6周年)
        :桜桃忌 
6月20日(水):資料調査(県内)
6月21日(木):資料調査(県内)
        :夏至、自家産大豆の新味噌試食
6月23日(土):柳蛙忌(井上伝蔵顕彰忌)
6月29日(金):梅干し(5樽)本漬

◎民権林園(循環自然農法)
☆収穫:梅(大豊作)、青紫蘇(大豊作)、赤紫蘇(豊作)、馬鈴薯(豊作)、サニーレタス(平作)、大根(平作)、プラム(平作)、グリーンピース(種豆)、空豆(種豆)
☆植付:茄子、胡瓜、トマト、ゴーヤ、人参、オクラ、大豆(在来種)、落花生
☆花々:石楠花(赤)、紫陽花(白・青・紫)、向日葵(黄)、早咲き秋桜(白・桃)、木槿(紫・白)、胡瓜の花(黄)、茄子の花(紫)、落花生の花(黄)、唐辛子の花(白)、ピーマンの花(白)、百日草(赤紫)

◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(6月)
□会誌『武蔵野ペン第172号』(川越ペンクラブ2018年3月1日)
□市史研究誌『四街道の歴史第12号』(四街道市史編さん委員会2018年3月)
□通信『評論№211』(日本経済評論社2018年4月)
□書籍『加瀬勉・闘いに生きる(下)-我が人生は三里塚農民と共にあり』(柘植書房新社2018年5月20日)
□福島自由民権大学2018年春季講座資料『「鈴木安蔵と日本国憲法」第3回』(福島自由民権大学2018年5月27日)
□冊子『思文閣古書資料目録「和の史」257号』(思文閣出版古書部2018年5月)
□会報『秩父№184』(秩父事件研究顕彰協議会2018年5月)
□通信『いずみ通信№44』(和泉書院2018年6月1日)
□会報『アジア民衆史研究会会報第42号』(アジア民衆史研究会2018年6月15日)
□通信『2018年度アジア民衆史研究会第1回研究会』(アジア民衆史研究会2018年6月23日)
□企画展チラシ「《昭和職業絵尽》にみる戦前のくらし」(城西国際大学水田美術館2018年7月10日~8月4日)



《民権館歳時記》

☆今月は、漢詩人の鱸松塘(すずき・しょうとう)作「辛丑九日、懐嶺田士徳」(五言律詩)を鑑賞します。「辛丑」は1841(天保12)年です。

☆鱸(鈴木)松塘は、1823(文政6)年12月15日に、医師の鈴木道順(南房総市)の長男として生まれました。他界したのは1898(明治31)年12月24日です(『安房先賢偉人伝』1938年、『三芳村史』1984年)。

☆鱸松塘は民権医師の加藤淳造の叔父です。加藤淳造は1852(嘉永5)年3月に誕生しました。父は医師の加藤玄章、母は鈴木登代です。登代は鱸松塘の実妹です。同年9月、淳造の祖父の加藤霞石は、望陀郡矢那村に転居していた嶺田楓江を訪問し、七言絶句を吟じています(前掲『安房先賢偉人伝』1938年、『安房先賢遺著全集』1939年)。

☆まずは、「辛丑九日、懐嶺田士徳」を鑑賞しましょう。○は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、△▲は平仄両用(ひょう・そくりょうよう)です。

◎辛丑九日、懐嶺田士徳(かのとうしここのか、みねだしとくをおもう)
 時節又重九        
 ↓規範的パターン
 ○●●△▲          
●●○○●(第1句)
 じせつ、またちょうきゅう
 茱萸杯正新
 ○○○▲○  
        ○○●●○(第2句)
 しゅゆ、さかずきまさにあらたなり
 酔憐今日菊
 ●○○●●  
        ○○○●●(第3句)
 ようてあわれむ、こんにちのきく 
 吟憶去年人
 ▲●●○○  
        ●●●○○(第4句)*
 ぎんじておもう、こぞのひと
 雲冷天逾遠
 ○●○○●  
        ●●○○●(第5句)
 くもひややかにして、てんいよいよとおく
 情深夢亦眞
 △○▲●○  
        ○○●●○(第6句)*
 なさけふかくして、ゆめまたまことなり
 不知浪遊客
 △△●○●  
        ○○○●●(第7句)
 しらず、ろうゆうのかく
 何處遇佳辰
 ○●●○○         
 ●●●○○(第8句)
 いずれのところか、かしんにあう
(鈴木彦之『松塘小稿』1843年、明石吉五郎『嶺田楓江』1919年、『安房先賢偉人伝』1938年、『安房先賢遺著全集』1939年)

☆詩題は、前掲『嶺田楓江』では「寄思士徳(しとくにおもいをよする)」ですが、『松塘小稿』、『安房先賢偉人伝』、『安房先賢遺著全集』では、「辛丑九日 懐嶺田士徳」となっています。ここでは初出の『松塘小稿』(1843年)を底本にしました。

☆五言律詩の規範パターンと一致するのは、第4句「吟憶去年人(▲●●○○)」と第6句「情深夢亦眞△○▲●○」のみです。変則的な平仄の五言律詩と言えるでしょう。

☆唐詩の代表的な五言律詩である「春望(しゅんぼう)」は完璧な平仄パターンではありません。それでも第1句、第2句、第4句、第6句は模範的平仄に合致しています。文字数で言うと全40字のうち、36字が規範に則っています(後述)。規範に一致しない文字は僅かに4字のみで、古典的な五言律詩と評価されます。

☆「懐嶺田士徳」の押韻は、第2句の「新(○)」、第4句の「人(○)」、第6句の「眞(○)」、第8句の「辰(○)」で、すべて「十一眞(○)」に属します(前掲『唐詩概説』8章)。規範通りの押韻です。

☆訓読は、『安房先賢偉人伝』の「鱸松塘」の章を参照しました。詩句に幾つか異同があります。第1句の「重九(ちょうきゅう)」は、1841(天保12)年9月9日の重陽の節句のことです。詩意は、今年もまたこの日がやって来たということでしょう。

☆第2句の「茱萸(しゅゆ)」は、「かわはじかみ」で赤い実がなります。重陽の節句については、王維(ワンウェイ)の「九月九日憶山東兄弟(くがつここのか、さんとうのけいていをおもう)」(七言絶句)が有名です(前掲『中国名詩選(中)』、前掲『唐詩概説』)。

☆吉川幸次郎は、王維の名詩について次のように述べました。

◎九月九日というのは、むろん旧暦のその日。この日は、秋のお節句であって、いわゆる「登高」の日であり、小高い山や岡にのぼって、茱萸の実を頭にさす、それが厄ばらいになるという風習が、唐のころにはあった。
(吉川幸次郎・三好達治『新唐詩選』岩波新書1952年)

☆第3句の「酔(よう)」は、菊酒に酔うということです。

☆第4句の「去年人(こぞのひと)」は嶺田楓江(士徳)です。鱸松塘(1823~1898)と嶺田楓江(1818~1883)は、前年の1840(天保11)年9月9日、重陽の節句で同席したと思われます。楓江は房州に居たのです。楓江は20代の青年ですが、松塘は若干16歳(満年齢)の少年でした。早熟の漢詩人であったのです。

☆第3句の「酔憐今日(ようてあわれむこんにち)」と第4句の「吟憶去年(ぎんじておもうこぞ)」は対句です。

☆第7句の「浪遊客(ろうゆうのかく)」は、蝦夷(松前)方面の踏査に旅立ってしまった嶺田楓江を念頭に置いています。

☆第8句の「何處(いずれのところか)」は、東北及び北海道を意味しているでしょう。「佳辰(かしん)」は目出度い日のことですが、9月9日の節句と思われます。この頃、嶺田楓江は単身蝦夷旅行に出かけて房州には居ません。

☆「酔憐」、「情深」、「浪遊」の詩句は、若き嶺田楓江の人物像を示唆しています。「情深」は、「情趣を解する心が深い」という意味で使用されています。

☆当時、東アジアではアヘン戦争が勃発していました。嶺田楓江は、後にアヘン戦争の歴史絵物語である『海外新話』(1849年)を出版し投獄されます(後述予定)。ここでは、参考のために高校日本史の簡便な『日本史用語集』(山川出版2016年)から説明文を引用しておきます。

◎アヘン戦争:1840年、イギリスのアヘン密貿易により、英・清間で開戦した戦争。清の敗北で1842年に南京条約を締結し、清は上海など5港を開港して香港を割譲した。日本は異国船打払令の危険性を知ることになる。
(前掲『日本史用語集』)

☆蝦夷紀行中の嶺田楓江自作の漢詩も残されていますので(『楓江遺草』、『楓江遺稿』等)、次回はそれらを鑑賞することにしましょう。

 * * * * * * * * * *

☆蛇足になりますが、「春望」の平仄について補記します。○は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、△▲は平仄両用(ひょう・そくりょうよう)、赤字()は変則的平仄です。40字のうち36字(90%)は規範に則っており、松尾芭蕉が愛した漢詩と云われています。訓読は省略します。

◎春望
 国破山河在    ↓規範的パターン
 
●●○○●     ●●○○●
 城春草木深
 ○○●●○     ○○●●○
 
時花濺涙
 
●○○▲●     ○○○●●
 恨別鳥驚心
 
●●●○○     ●●●○○
 
火連三月
 
○●○○●     ●●○○●
 家書抵万金
 
○○●●○     ○○●●○
 
頭掻更短
 ●○○●●     ○○○●●
 
欲不勝簪
 ○●▲△○     ●●●○○
(小川環樹『唐詩概説』新書版、著作集、文庫版)

☆「春望」の押韻は、第2句の「深(○)」、第4句の「心(○)」、第6句の「金(○)」、第8句の「簪(○)」で、すべて「十二侵(○)」に属します(前掲『唐詩概説』8章)。第3句と第4句、第5句と第6句は、対句の優れた見本です。

☆杜甫(ドゥーフー)の対句の傑作としては、「登髙(とうこう)(たかきにのぼる)」(七言律詩)があります。例えば「無辺落木蕭蕭下(むへんのらくぼくは、しょうしょうとしておち)」、「不盡長江滾滾来(ふじんのちょうこうは、こんこんとしてきたる)」等(前掲『新唐詩選』)。この詩の題材も、やはり9月9日の「重陽の節句」です。

(2018年6月)

《掲示板》

◎7月の行事
7月 1日(日):地域行事
7月 5日(木):資料調査
7月16日(月):「民権館通信第11号」発行
7月20日(金):土用、梅の天日干し
7月29日(日):地域行事

◎民権林園(循環自然農法)
☆収穫:青紫蘇(大豊作)、赤紫蘇(豊作)、プラム(豊作)、胡瓜(平作)、茄子(不作)、オクラ(平作)、ミニトマト(平作)
☆植付:大豆(在来種)
☆花々:向日葵(黄)、木槿(紫・白)、胡瓜の花(黄)、茄子の花(紫)、落花生の花(黄)、秋桜(白・桃)、ゴーヤの花(白)、ピーマンの花(白)オクラの花(乳白)、百日草(赤紫)、南瓜の花(山吹)、百日紅(紅・白)、朝顔(紫・桃・青)

◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(7月)
□『茂原市史調査報告書第1集』(茂原市教育委員会2018年3月10日)
□『茂原市史調査報告書第2集』(茂原市教育委員会2018年3月23日)
□雑誌『成田市史研究第42号』(成田市教育委員会2018年3月)
□抜刷『新編成田山史(第4章・第5章)』(2018年4月28日)
□雑誌『歴史と地理・日本史の研究261』(山川出版社2018年6月)
□古書目録『明治古典会第53回・七夕古書大入札会』(明治古典会2018年7月1日)
□古書目録『永森書店第31号』(2018年7月)
□企画展チラシ「《昭和職業絵尽》にみる戦前のくらし」(城西国際大学水田美術館2018年7月10日~8月4日)
□古書目録『思文閣古書資料目録・和の史』(思文閣出版古書部2018年7月)



《民権館歳時記》

☆今月は、嶺田楓江の1841(天保12)年作の漢詩を鑑賞しましょう。○は平声、●は仄声、△▲は平仄両用です。

◎「蝦夷雑詩」の一首

 団欒炙肉坐沙場       ↓規範的パターン
 ○○●●●○○       
○○●●●○○
 だんらんにくをあぶって、さじょうにざす
 碧眼黄髯傾酪醤
 ●●○△○●●       
●●○○●●○
 へきがんこうぜん、らくしょうをかたむく
 鼓腹嗚々歌未罷
 ●●○○○●●       
●●○○○●● 
 こふくああ、うたいまだやまず
 九郎山下月如霜
 △○○●●△○     
  ○○●●●○○
 くろうさんげ、つきしものごとし
(『楓江遺草』、『楓江遺稿』、『嶺田楓江』)

☆当時の北海道に暮らす人々の生活習慣が詩題の七言絶句ですが、平仄の規範に則った古典的な構成になっています。

☆起句は平仄の規範通りです。「沙場○○」は砂原のことです。

☆承句は「傾○」と「醤●」の平仄が変則です。「醤○」の字を「漿●」の字に置き換えると平仄の規範に合致します。『楓江遺草』(重城保編)も『楓江遺稿』(山田烈盛編)も「醬○」の活字を使用していますから、誤植では無いでしょう。「碧眼●●」は青い眼、「黄髯○△」は黄色の頬髯(ほおひげ)、「酪醤●●」は牛や羊の乳汁を意味します。

☆転句も平仄の規範通りです。「鼓腹●●」ははらつづみ、「嗚々○○」は「嗚呼」と同義でしょう。

☆結句の平仄は「山○」の字だけが変則です。「九郎山△○○」は源義経伝説の地名であると思われます(『菅江真澄遊覧記』)。

☆押韻は起句の「場○」、承句の「醬●」、結句の「霜○」となります。韻字表(小川環樹『唐詩概説』第8章、林古渓『新修平仄字典』)からすると、「場○」と「霜○」が「七陽」に属しますので、「醤●」は「七陽」の「漿○」でなくては反則です。嶺田楓江の門下生であった重城保や山田烈盛が、この反則に気付かなかったはずはないと筆者は考えています。

☆本年5月に、小野湖山作「訪嶺田士徳東條邨寓居(みねだしとくを、とうじょうむらぐうきょにおとなう)」(『湖山樓詩鈔』1849年)を鑑賞しました。小野湖山と嶺田楓江の交友は若い頃から深く、『湖山樓詩鈔』の「巻三」には「送嶺田士徳遊松前六首(みねだしとくのまつまえにあそぶをおくる、ろくしゅ)」があります。「辛丑(かのとうし)」(1841年)の律詩六首です。「蝦夷雑詩」を1841年作と判断する有力な根拠です。

☆小野湖山の七言律詩「六首」には、「六月」、「松前(まつまえ)」、「盛夏」、「猶有蛮夷祭九郎(なおばんいのくろうをまつるあり)」、「独行千里(どっこうせんり)」、「勿来関(なこそのせき)」、「多賀城(たがじょう)」、「金華松島(きんかまつしま)」等の詩句が含まれています。

☆山田烈盛編『楓江遺稿』所載の「楓江遺草」には、嶺田楓江の蝦夷紀行について次のように補記されています。

◎辛丑夏士徳将游松前
 かのとうしなつ、しとくまさにまつまえにあそばんとす
(前掲『楓江遺稿』1912年)

☆「辛丑」は1841(天保12)年です。「士徳」は若き嶺田楓江のことです。「蝦夷雑詩」が1841年作であることを補強する貴重な記述と言えるでしょう。

☆1840年から1842年まで、東アジアではアヘン戦争が勃発します。「南京条約」について、高校生対象の『世界史B用語集』(山川出版2010年)は、次のように簡便に説明しています。※は引用者の注記。

◎南京条約:1842年8月、南京で調印されたアヘン戦争の講和条約。江寧条約ともいう。
(1)広州・福州・厦門・寧波・上海の5港を開港
(2)公行の廃止
(3)香港の割譲
(4)没収アヘンの補償費600万両(テール)、賠償軍事費1200万両の支払い
(5)関税の協定
(6)対等国交の原則
戦争原因のアヘン貿易については触れておらず、以後もアヘン密輸は続いた。清に対する不平等条約の先駆となった。
(前掲『世界史B用語集』)
※広州は1757年以来、中国の唯一の外国貿易港。公行(こうこう)はコホン、広州の独占特許商人組合=広東十三行。

 * * * * * * * * * *

☆今夏は何故か自家産の梅が大豊作、実生(みしょう)の赤紫蘇も豊作で、久し振りに拙句を詠みました。

◇旋風(飄)紫蘇の葉絞る腕の皺         凡一
 つむじかぜ、しそのはしぼるうでのしわ     ぼんいつ

◇白髯に赤紫蘇も揺れ片雲             〃
 はくぜんにあかじそもゆれ、ちぎれぐも  

☆「千切れ雲(ちぎれぐも)」に、「片雲(へんうん)」という『おくのほそ道』の有名な語彙を当て字にしてみました。

◇墨塗りの住所録在り雲の峰            〃
 すみぬりのじゅうしょろくあり、くものみね

☆「墨塗り」は、住所録の芳名に引いた黒の太線(物故)を意味しています。年々歳々、墨の部分が増えます。

(2018年7月)


◎8月の行事
8月 3日(金):浩鳴忌(佐久間吉太郎命日)
8月 5日(日):企画展(第Ⅴ回所蔵資料展)開幕
        :予約客様
8月 6日(月):資料調査(県内)
8月12日(日):予約客様
8月15日(水):終戦記念日
        :予約客様
8月18日(土):出張(東京)
8月20日(月):予約客様
8月25日(土):総洲忌(桜井静命日)

◎民権林園
☆収穫:青紫蘇(大豊作)、茄子(不作)、オクラ(平作)、ミニトマト(平作)
☆植付:
☆花々:木槿(紫・白)、茄子の花(紫)、秋桜(白・桃)、ゴーヤの花(白)、ピーマンの花(白)、オクラの花(乳白)、百日草(赤紫)、南瓜の花(山吹)、百日紅(紅・白)、朝顔(紫・桃・青)

◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(8月)
□書籍『俳句と版画 ふくろうの杖』(私家版2017年5月8日)
□雑誌『ちば-教育と文化№90』(千葉県教育文化研究センター2017年12月31日)
□冊子『要覧2017年度』(高知市教育委員会・高知市立自由民権記念館2018年6月)
□会報『NPOフォーラム・だより№84』(NPO法人安房文化遺産フォーラム2018年7月9日)
□チラシ「《昭和職業絵尽》にみる戦前のくらし」(城西国際大学水田美術館2018年7月10日~8月4日)
□会報『福島自由民権大学№24』(福島自由民権大学事務局2018年7月18日)
□雑誌『ちば-教育と文化№91』(千葉県教育文化研究センター2018年7月31日)
□会報『秩父№185』(秩父事件研究顕彰協議会2018年7月)



《民権館歳時記》

☆1841(天保12)年の嶺田楓江作「蝦夷雑詩(えぞざつえい)」の次は、1846(弘化3)年の「送頼三樹之奥州」を鑑賞しましょう。○は平声、、●は仄声、△▲は平仄両用です。

◎七言絶句(平起)
 蕭々匹馬吊山川     ↓平仄の規範的パターン
 ○○▲●●○○     (
○○●●●○○
 要為家翁補史傳
 ▲●○○●●△     (
●●○○●●○
 駅酒醒来当多感     
 ▲●△△△○●     (
●●○○○●●
 鬼門関外落花天
 ●○▲●●○○     (
○○●●●○○
  送頼三樹之奥州 楓江雋
(明石吉五郎『嶺田楓江』所載図版)

☆頼三樹三郎(1825~1859)が奥州旅行に出発したのは、1846(弘化3)年5月です。その頃の作品と思われます。嶺田楓江と頼三樹三郎は「玉池吟社(ぎょくちぎんしゃ)」(梁川星巌主宰)で同門でした。

☆起句の「川(○)」、承句の「傳(○)」、結句の「天(○)」が脚韻です。「川」、「傳」、「天」は「一先○」に分類されます(林古渓『新修平仄字典』常用平韻表、小川環樹『唐詩概説』第8章)。嶺田楓江の漢詩は、平仄と押韻の規範に忠実に作詩されていると思います。

☆上掲の七言絶句「送頼三樹之奥州」は、幕末明治漢詩文学研究者の訓読の先例がありませんので、浅学を顧みず自力で訓読を試みました。薫陶学舎漢学教師時代の嶺田楓江先生ならば、このように音読したのではないかと推論しました。

◎訓読
 蕭々(しょうしょう)たり匹馬(ひつば)山川(さんせん)に吊(とむら)う
 家翁(かおう)の為(ため)に史傳を補(おぎな)わんと要(もと)む
 駅酒(えきしゅ)醒(さ)め来たって当(まさ)に多くを感ずるべし
 鬼門(きもん)関外(かんがい)落花(らっか)の天
  頼三樹(らい・みき)の奥州に之(ゆ)くを送る 楓江雋(ふうこう・しゅん)
(明石吉五郎『嶺田楓江』)

☆起句の「蕭々(○○)」は「しょうしょうたり」と訓読しました。「しょうしょうとして」と読んでも良いかもしれません。もの寂しい様子を意味します。「吊山川(●○○)」は、「訪山川」と同義でしょうか。奥州路に旅立つ馬上の人物の背中が彷彿とします。

☆承句の「家翁(○○)」は、実父の頼山陽(『日本外史』等の著者)であると解釈しました。

☆転句の「当多感(△○●)」(まさに、おおくをかんずるべし)は、重城保撰『楓江遺草』(1891年刊)では「感應太(●△●)」という詩句が記載されています。重城保は嶺田楓江の門下生で、君津郡選出の初代衆議院議員でした。

☆「当」と「応(應)」は、一般的に「まさに・・・すべし」と訓読します。「当」は道理を意味し、「応」は推量を意味します(前掲『唐詩概説』附録、唐詩の助字)。「感應太」という詩句は平仄の規範からすると「應太感(△●●)」が標準で、(まさに、はなはだかんずるべし)と訓読すべきでしょう。

☆結句の「関(▲)」は、奥州の関所ではないかと推測しています。「落花(●○)」と有りますから、雪解け後の暖かくなる季節を待って東北と北海道へ旅立ったのでしょう。

☆頼三樹三郎(らい・みきさぶろう)は頼山陽(らい・さんよう)の三男です。三樹三郎は吉田松陰と共に安政の大獄で処刑されました。略年譜は次の通りです。

◎略年譜
 1825(文政8)年・・・5月26日、京都で誕生
 1832(天保3)年・・・父の頼山陽他界
 1843(天保14)年・・・江戸遊学
 1846(弘化3)年・・・東北、北海道旅行出発
 1849(嘉永2)年・・・北陸を経由し、京都に帰着
 1858(安政5)年・・・9月2日、梁川星巌病没
 1859(安政6)年・・・10月7日、江戸で処刑、橋本左内処刑
              10月27日、吉田松陰処刑(安政大獄)
 (安藤英男『頼三樹三郎』新人物往来社1974年)

☆嶺田楓江自身も蝦夷旅行の経験があり(先月既述)、『海外新話(かいがいしんわ)』(1849年)の非合法出版では幕府から三都追放の処分を受けました。『海外新話』は英国と中国のアヘン戦争を描いた歴史絵物語で、吉田松陰にも影響を与えています(『吉田松陰全集』所載の「未忍焚稿」解説、「書簡(兄宛)」)。


(2018年8月)



《掲示板》

◎9月の行事
9月 1日(土):予約客様
9月 2日(日):亀太郎忌(原亀太郎命日)
        :予約客様
        :地域行事
9月15日(土):資料調査
9月17日(月):予約客様
9月23日(日):秋分の日
        :墓参
9月24日(月):予約客様
9月30日(日):企画展楽日
        :地域行事 

◎民権林園
☆収穫:オクラ(平作)、ピーマン(平作)、ミニトマト(平作)、南瓜(不作)、茄子(不作)、ゴーヤ(豊作)
☆植付:玉葱、大根、空豆、グリーンピース
☆花々:秋桜(白・桃)、百日草(赤紫)、百日紅(紅・白)、鶏頭(紅・黄)

◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(9月)
□チラシ「2018年度自由民権資料館特別展・『五日市憲法草案』と多摩の自由民権」(町田市立自由民権資料館2018年7月21日~9月2日)
□チラシ「日本に来たチェコ人、チェコに行った日本人、二人展」(田園の美術館・いすみ市郷土資料館2018年7月28日~10月21日)
□CD『方言で語る 増間の昔話』(2018年8月1日)
□雑誌『隣人・第31号』(草志会年報2018年8月10日)
□通信『評論№212』(日本経済評論社2018年8月30日)
□チラシ「メディアデザインラボ展」(城西国際大学水田美術館2018年8月22日~9月28日)
□会報『安房高等女学校木造校舎を愛する会会報・第2号』(2018年9月15日)



《民権館歳時記》

☆最近、嶺田楓江作「高柳村卜居雜詠(たかやなぎむらぼくきょざつえい)」(明治初年)の中の一首(掛け軸)を読む機会がありました。次のような漢詩です。

◎七言絶句(仄起)
 夜路吹香冷淡風
 萬樹梨花雪相同
 邨人不省春宵好
 眠在溶々月影中

 近邨夜帰 楓江老人

☆重城保編『楓江遺草』(1891年)所載の七言絶句とは部分的に異なっています。『楓江遺草』の方が平仄の観点からすると模範(標準)的です。○は平声、●は仄声、△▲は平仄両用です。

◎高柳村卜居雜詠(仄起)
 一路吹香冷風    ↓標準のパターン
 ●●△○●●○    
●●○○●●○
 梨花萬樹
雪相同
 ○○●●●△○   
 ○○●●●○○
 村
人不省春宵好
 ○○▲●○○●    
○○●●○○●
 眠在溶々月影中
 ○●△△●●○    
●●○○●●○

◎訓読
 一路(いちろ)香(こう)を吹(ふ)きて、風(たんぷう)冷(ひ)え、
 梨花(りか)萬樹(まんじゅ)、雪(ゆき)に相(あい)同(おな)じ。
 村人(むらびと)省(かえり)みず、春宵(しゅんしょう)の好(よ)きを。
 眠(ねむり)て在(あ)り、溶々(ようよう)たる月影(つきかげ)の中(うち)。

☆江戸幕府倒壊後の高柳村(現木更津市)界隈の春宵風景を詠んでいます。結句の「眠(○)」以外は、七言絶句(仄起)の平仄の模範(標準)的なパターンです。唐詩の平仄と押韻の規定を順守し、驚く程正確に作詩されているように思います(平仄96%・押韻100%)。

☆起句の「夜路(●●)」は、『楓江遺草』では「一路(●●)」になっていますが、平仄は同じです。「一路」の詩句の方が、情景が際立つでしょう。「淡風(●●)」は「澹風(●●)」になっています。

☆承句では、「梨花(○○)」と「萬樹(●●)」の位置が交換されて標準のパターンになっています。

☆転句の「邨(○)」は、「村(○)」の字に替えられています。平仄はどちらも同じ平韻です。

☆結句の「溶溶(△△)」は、広々とした様子を意味します。

☆七言絶句の訓読は、鶴岡節雄著『房総文人散歩』(1977年)の先例を参照しました。

☆押韻は起句の「風(○)」、承句の「同(○)」、結句の「中(○)」です。すべて韻字表の「上平(じょうひょう)」の「一東(○)」に分類されている漢字です(林古渓『新修平仄字典』、小川環樹『唐詩概説』)。逸脱は有りません。

☆詩意を現代風に解釈すると次のようになるでしょう。

◎詩意
夜の一本道は香りに満ちているが、かすかな風はまだ冷ややかだ。
見渡す限りの木々の梨の花は、まっ白な雪のように見える。
村民は春宵の素晴らしさを、ほとんど顧みることがない。
広々とした月光の下で静かに眠っているのだ。

☆『嶺田楓江』(1919年)の著者の明石吉五郎は、楓江先生との出会いについて1874(明治7)年、まだ12歳か13歳頃に入門したと回顧しています。高柳村周辺の風景を漢詩人らしく硬質の文体で記述しています。



【展示書誌データ】
凡例=①著者、②著者標目、③出版社、④発行年月日、⑤大きさ・容量、⑥値段、⑦目次抜萃、※注記。

『憲法と自由民権』
①鈴木安蔵(すずき・やすぞう)
②1904年~1983年
③永美書房
④1946年7月15日
⑤18㎝、169頁
⑥12円(初版)
⑦一、日本憲法の史的背景/六、自由民権運動の展開/七、自由民権派の憲法論-民主主義的主張-/八、民主主義的憲法草案

『日本における近代国家の成立』
①ハーバート・ノーマン(大窪愿二訳)
②1909年~1957年
③時事通信社
④1947年8月10日
⑤22㎝、318頁
⑥100円(初版)
⑦第6章、政党と政治/(一)第二期農民運動と自由党の誕生/(二)初期の政治結社と政党の輪郭/(三)政府の政党対策/(四)自由党解党後における農民反抗の転換/(五)国家権力の強化と憲法の制定

『ブルジョア民主主義革命』
①平野義太郎(ひらの・よしたろう)
②1897年~1980年
③日本評論社
④1948年2月15日
⑤21㎝、325頁
⑥150円(初版)
⑦第1章、ブルジョア民主革命史の史的分析に関する課題・枢要点/第11章、自由民権/第12章、秩父事件

『日本資本主義の研究 上巻』(全2巻)
①大内兵衛(おおうち・ひょうえ)、向坂逸郎(さきさか・いつろう)、土屋喬雄(つちや・たかお)、高橋正雄(たかはし・まさお) ※復職した労農派研究者4名の共同討論
②大内(1888~1980)、向坂(1897~1985)、土屋(1896~1988)、高橋(1901~1995)
③黄土社
④1948年4月10日
⑤18㎝、324頁
⑥150円(初版)
⑦第1篇、幕末の政治と経済/第2篇、明治維新の意義/第3篇、資本主義体制の発展(地租改正と農村階級事情の変化、日本ブルジョアジーの誕生-政商論、自由民権運動、明治憲法の成立)

『明治の革命』
①服部之総(はっとり・しそう)
②1901年~1956年
③日本評論社
④1950年8月15日
⑤18㎝、309頁
⑥250円(初版)
⑦第1、歴史的範疇としての農民革命/第3、自由党の誕生/第4、福島事件/第5、「大日本帝国主義」政治史についての覚え書

『秩父騒動』
①江袋文男(えぶくろ・ふみお)
②1915年5月8日~1989年8月1日(『松庵人生雑録』、『埼玉人物事典』)
③秩父新聞出版部
④1950年10月5日
⑤18㎝、244頁
⑥非売品
⑦序文(西岡虎之助)/第1章、騒動発生の原因/第3章騒動の勃発/第5章、県外への波及/第7章、騒動の意義/附1、田代栄助裁判言渡書/附3、高岸善吉裁判言渡書

『原敬日記 第一巻』(全9巻)
①原奎一郎(はら・けいいちろう)編
②1902年~1983年
③乾元社
④1950年10月25日
⑤19㎝、538頁
⑥380円
⑦帰省日記/上京日記/山陽西海巡廻日記/天津日記/北京紀行/佛国紀行/巴里日記/明治23年/明治24年

『尾崎行雄傳』
①伊佐秀雄(いさ・ひでお)
②1904年~1970年
③尾崎行雄傳刊行会
④1951年4月20日
⑤18㎝、1366頁+5頁
⑥非売品
⑦第1編、青少年時代(幼時の環境、文筆活動へ、十四年の政変前後、自由・改進党結党の頃、報知新聞時代、大同団結と保安条例、外遊記、大隈遭難・急遽帰国)/第2編、壮年時代/第3編、老成時代

『ルソー研究』
①桑原武夫(くわばら・たけお)編
②1904年~1988年
③岩波書店 ※京都大学人文科学研究所報告
④1951年6月30日
⑤22㎝、401頁+85頁
⑥1000円
⑦序文、桑原武夫/人間ルソー、樋口謹一・鶴見俊輔・多田道太郎/ルソーの平和思想、田畑茂二郎・樋口謹一/ルソーと歴史、前川貞治郎/農民史におけるルソー、河野健二/ルソーの文学、桑原武夫/ルソーの教育論(シンポジウム)

『画報近代百年史 第五集 1880~1887』(雑誌全18号)
①日本近代史研究会(代表・服部之総)編 ※第5集の主な執筆者は青村真明、川村善二郎、藤井松一

③国際文化情報社
④1951年11月5日
⑤30㎝、414頁
⑥200円(初版)
⑦全国にわきあがる立憲制要求の声/政党の誕生/人民の自由党と専制政府との大会戦=福島事件(1)、福島事件(2)/各地に起る流血の惨=加波山事件・秩父騒動

『明治維新の社会構造』
①堀江英一(ほりえ・えいいち)
②1913年~1981年
③有斐閣
④1954年9月25日
⑤22㎝、222頁
⑥300円(初版)
⑦第2章、維新の主体/第3章、農民一揆/第5章、農民的商品経済の分裂/第6章、半封建体制の成立

『寄生地主制の研究』
①福島大学経済学会編

③御茶の水書房
④1955年6月25日
⑤22㎝、294頁
⑥430円(初版)
⑦第1章、寄生地主制分析の基準(吉岡昭彦)/第2章、寄生地主制成立の前提(山田舜)/第3章、寄生地主制の生成Ⅰ(庄司吉之助)/第4章、寄生地主制の生成Ⅱ(大石嘉一郎)/第5章、寄生地主制の再編(星埜惇)

『革命思想の先駆者-植木枝盛の人と思想-』
①家永三郎(いえなが・さぶろう)
②1913年~2002年
③岩波新書
④1955年12月16日
⑤17㎝、223頁
⑥100円(初版)
⑦一、自由民権運動の興起/二、啓蒙思想をのりこえて/三、自由民権運動への参加/六、人民の国家/十一、人生観・世界観/十二、下からの民主主義理論の確立


『明治史研究叢書 第3巻 自由民権運動』(全5巻)
①明治史料研究連絡会編

③御茶の水書房
④1956年9月30日
⑤19㎝、250頁
⑥250円(初版)
⑦解説(遠山茂樹)/自由民権論の社会的限界(林茂)/秩父事件(井上幸治)/飯田事件(後藤靖)/ 福島事件覚え書(下山三郎)/自由民権運動の経済的背景(庄司吉之助)

『明治史研究叢書 第2巻 地租改正と地方自治』(全5巻)
①明治史料研究連絡会編

③御茶の水書房
④1956年11月30日
⑤19㎝、294頁
⑥250円(初版)
⑦解説(楫西光速)/明治初年における農民層の分化(古島敏雄)/大小切騒動覚書(和崎晄三)/明治初年の町村会(福島正夫・徳田良治)

『明治文化全集 第14巻 自由民権篇(続)』(全16巻)※戦前の初版は全24巻、戦後の初版は全16巻、後に第3版は全32巻
①明治文化研究会編

③日本評論新社
④1956年11月30日
⑤21㎝、403頁
⑥1200円(初版)
⑦『愛国志林』『愛国新誌』解題(西田長壽)/『植木枝盛自敍傳』解題(家永三郎)/『暴民反跡』解題(原口敬明)/『馬場辰猪自敍傳』『馬場辰猪日記(抄)』解題(西田長寿)

『明治史研究叢書 第4巻 民権論からナショナリズムへ』(全5巻)
①明治史料研究連絡会編

③御茶の水書房
④1957年1月31日
⑤19㎝、298頁
⑥250円(初版)
⑦解説(家永三郎)/明治初期の自由民権論者の眼に映じたる当時の国際情勢(岡義武)/植木枝盛の人民主権論(鈴木安蔵)/馬場辰猪(西田長寿)/陸喝南と国民主義(丸山真男)/天皇制の確立過程とキリスト教(隅谷三喜男)/民法典論争の政治的考察(遠山茂樹)

『明治史研究叢書 第1巻 明治政権の確立過程』(全5巻)
①明治史料研究連絡会編

③御茶の水書房
④1957年4月10日
⑤19㎝、332頁
⑥280円(初版)
⑦解説(林茂)/明治一四年の政変(大久保利謙)/幕末維新における英仏軍隊の横浜駐屯(洞富雄)/長州藩諸隊の叛乱(原口清)

『明治史研究叢書 第5巻 地主制の形成』(全5巻)
①明治史料研究連絡会編

③御茶の水書房
④1957年5月31日
⑤19㎝、282頁
⑥250円(初版)
⑦解説(古島敏雄)/地租改正と家族制度(福島正夫)/明治期における地主制度展開の地域的特質(古島敏雄・守田史郎)/近世小作制度の態様とその変質について(戸谷敏之)

『自由民権思想 上』(全3巻)
①後藤靖(ごとう・やすし)編
②1926年~1998年
③青木文庫
④1957年7月1日
⑤15㎝、282頁
⑥140円(初版)
⑦評論新聞、民権論/中外評論、千葉県下ノ農民数十人大審院ヘ上告ノ一件附評、千葉県下ノ農民内務省ヘ嘆願ノ大意附表/解説(後藤靖)

『自由民権思想 中』(全3巻)
①家永三郎(いえなが・さぶろう)、庄司吉之助(しょうじ・きちのすけ)編
②家永(1913~2002)、庄司(1905~1985)
③青木文庫
④1957年11月1日
⑤15㎝、299頁
⑥180円(初版)
⑦植木枝盛著作集、兵の本意、貧民論、解説(家永三郎)/福島県民権運動資料、管下ノ景況、政談演説中止、官吏侮辱/解説(庄司吉之助)

『近代日本の思想家たち-中江兆民・幸徳秋水・吉野作造-』
①林茂
②1912年~1987年
③岩波新書
④1958年2月17日
⑤17㎝、196頁
⑥100円(初版)
⑦第一章、中江兆民/一、思想の慷慨/二、自由党/三、対外策/四、憲法/五、パーソナリティ/第三章、吉野作造/一、思想を育てたもの/二、民本主義の主張/三、古きもの/四、新しきもの/五、社会の改造/六、国際問題/七、パーソナリティー

『女性の歴史 下巻』(全4巻)
①高群逸枝(たかむれ・いつえ)
②1894年~1964年
③大日本雄弁会講談社
④1958年6月25日
⑤19㎝、350頁
⑥320円(初版)
⑦第4章、女性はいま立ちあがりつつある(1開国とゲイシャガール、2明治政権と女性、3家父長制の再編、4近代恋愛の発生と挫折)/第5章、女性はいま立ちあがりつつある(1婦人問題の展開、2女性の自覚と運動)

『明治史研究叢書第二期 第3巻 民権運動の展開』(全5巻)
①明治史料研究連絡会編

③御茶の水書房
④1958年10月5日
⑤19㎝、240頁
⑥250円(初版)
⑦解説(入交好脩)/静岡事件の社会的背景(原口清)/士族民権の歴史的評価(後藤靖)/明治17年の自由党(長谷川昇)

『明治史研究講座 第5巻 明治十年~憲法発布』(全6巻)
①歴史学研究会編

③平凡社
④1958年12月25日
⑤22㎝、317頁
⑥450円(初版)
⑦第1章第1節、殖産興業政策と産業資本の成立(楫西光速・小林正彬)/第1章第3節、農民層の分解と地主制(丹羽邦男)/第2章第1節、自由民権運動(原口敬明)/第4章第3節、近代的学問研究の発足(大久保利謙)/第5章第1節、文学(色川大吉)/付記(井上清) ※同書『月報』に「憲法史研究会のこと」(鈴木安蔵)

『福田英子』
①村田静子(むらた・しずこ)
②1923年~2004年
③岩波新書
④1959年4月17日
⑤17㎝、236頁
⑥100円(初版)
⑦Ⅰ、おいたち/Ⅱ、めざめ(岡山の自由民権運動)/Ⅲ、大阪事件/Ⅳ、結婚/Ⅴ、新しい出発/Ⅵ、『世界婦人』/Ⅶ、主義と愛情と/Ⅷ、晩年

『自由民権期の研究 第1巻』(全4巻)
①堀江英一(ほりえ・えいいち)、遠山茂樹(とおやま・しげき)編
②堀江(1913~1981)、遠山(1914~2011)
③有斐閣
④1959年5月25日
⑤21㎝、264頁
⑥380円(初版)
⑦第2章、明治九年の農民一揆(木戸田四郎)/第4章、明治十四年の政変(永井秀夫)/第5章、自由党の成立(内藤正中)

『自由民権期の研究 第3巻』(全4巻)
①堀江英一(ほりえ・えいいち)、遠山茂樹(とおやま・しげき)編
②堀江(1913~1981)、遠山(1914~2011)
③有斐閣
④1959年7月5日
⑤21㎝、198頁
⑥300円(初版)
⑦第4章、明治十七年における自由党の動向と農民騒擾の景況(下山三郎)/第5章、大同団結運動と政党成立(庄司吉之助)

『明治史研究叢書第二期 第5巻 明治維新と農業問題』(全5巻)
①明治史料研究連絡会編

③御茶の水書房
④1959年9月10日
⑤19㎝、277頁
⑥250円(初版)
⑦解題にかえて(井上晴丸)/維新期富裕農の存在形態(木戸田四郎)/地租改正における地価の決定(有元正雄)/明治絶対主義下の農民問題(庄司吉之助)/新潟県における大地主制の生成について(細貝大次郎)

『自由民権期の研究 第2巻』(全4巻)
①堀江英一(ほりえ・えいいち)、遠山茂樹(とおやま・しげき)編
②堀江(1913~1981)、遠山(1914~2011)
③有斐閣
④1959年9月15日
⑤21㎝、269頁
⑥380円(初版)
⑦第1章、福島事件の社会経済的基盤(大石嘉一郎)/第2章、加茂事件(長谷川昇)/第3章、明治十七年の激化諸事件について(後藤靖)

『抒情の論理』
①吉本隆明(よしもと・たかあき)
②1924年~2012年
③未来社
④1959年6月30日
⑤18㎝、340頁
⑥430円(初版)
⑦Ⅰ、日本近代史の源流(美妙・魯庵・鷗外論争、鷗外の反論、透谷・愛山論争,「若菜集」の評価、鉄幹評価)/Ⅱ、戦後詩人論

『近代日本思想史講座 Ⅳ』(全8巻)
①加藤周一(かとう・しゅういち)、久野収(くの・おさむ)編
②加藤(1919~2008)、久野(1910~1999)
③筑摩書房
④1959年9月10日
⑤22㎝、361頁
⑥360円(初版)
⑦序1、日本の知識人(松田道雄)/1、維新の変革と近代的知識人の誕生(遠山)

『フランス革命の研究』
①桑原武夫(くわばら・たけお)編
②1904年~1988年
③岩波書店 ※京都大学人文科学研究所報告(桑原武夫・今西錦司・井上清・河野健二他)
④1959年12月19日
⑤22㎝、681頁+101頁
⑥1500円
⑦序論、フランス革命の構造(河野健二・上山春平・樋口謹一)/第1章、ナショナリスムの展開(桑原武夫)/第3章、土地改革(河野健二)/第11章、日本人のフランス革命観(井上清)/附録、人物略伝


(2018年9月)


《掲示板》

◎10月の行事
10月 6日(土):地域行事
10月 7日(日):地域行事
10月13日(土):栗邨顕彰忌(加藤淳造)
10月14日(日):パワポ講演データ作成
10月17日(水):資料調査(県内)
10月20日(土):予約客様
10月21日(日):予約客様
10月22日(月):物外顕彰忌(齊藤自治夫)

◎民権林園
☆収穫:オクラ(平作)、ピーマン(平作)、ヤーコン(豊作)、甘藷(豊作)、生姜(豊作)、落花生(平作)
☆植付:玉葱、空豆、グリーンピース
☆花々:秋桜(白・桃)、金木犀(橙)、菊芋の花(黄)、ハーブ・ローズマリーの花(薄紫)
☆災害:台風24号(暴風・東海大規模長期停電・電線塩害)、台風25号(沖縄長期停電)、超巨大ハリケーン米国フロリダ州上陸(暴風・高潮・大規模停電)

◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(10月)
□通信『自由のともしびVOL85』(高知市立自由民権記念館2018年9月1日)
□企画展チラシ「明治第1の改革-明治維新-を生きた土佐人」(高知市立自由民権記念館2018年9月15日~11月25日)
□古書目録『文生書院目録、中国・満州・朝鮮・台湾・樺太・南洋』(2018年9月25日)
□会報『秩父№186』(秩父事件研究顕彰協議会2018年9月)
□雑誌『歴史と地理№717』(山川出版社2018年9月)
□企画展チラシ「明治第2の改革-自由民権-を志した人々」(高知市立自由民権記念館2018年10月6日~4月7日)
□企画展チラシ「ホルバートコレクション 近代木版画」(城西国際大学水田美術館2018年10月9日~11月10日)
□特別展チラシ「幕末・維新期の町田」(町田市立自由民権資料館2018年10月6日~11月25日)
□講演チラシ「第4回『湘南社』民権講座」(雨岳文庫を活用する会2018年10月14日)
□古書目録『永森書店目録第32号』(2018年10月吉日)



《民権館歳時記》

☆「天涯へ弧猿の降る秋の風」(てんがいへ こえんのくだる あきのかぜ)。筆者(凡一)の旧作です。かつて、いすみ市通勤の途次に「おせんころがし」の断崖トンネル付近で詠みました。

☆10月は、楓江の初期漢詩(処女作)である「夏日閒詠(かじつかんえい)」について考えます。「閒」は「間」の異体字です。初出は江戸時代後期に出版された『玉池吟社詩(ぎょくちぎんしゃし)』です(当館所蔵)。明治中期に、重城保編の『楓江遺草(ふうこういそう)』に収載されました。

☆七言律詩の平仄(ひょうそく)の模範(標準)については、小川環樹『唐詩概説』(岩波文庫2005年)と林古渓『新修平仄字典』(明治書院1975年)に依拠しています。

☆記号の「○」は平声(ひょうしょう)、「●」は仄声(そくせい)、「△▲」は平仄両用(りょうよう)で、「◎」は押韻(おういん)です。(     )は振り仮名、※は筆者の注記です。尚、楓江の生涯については下記年譜を参照してください。

☆七言律詩(仄起・八庚)、1835(天保6・乙未)年
 緑樹重層雨正晴       ↓平仄の模範
 ●●△○●▲○       
●●○○●●◎
 眼前景物有余清
 ●○●●●○○       
○○●●●○◎
 満園青蘚随行席
 ●○○●○△●      
○○●●○○●
 一架紫藤醒酒羹
 ●●●○▲●○       
●●○○●●◎
 家本長貧諳米価
 ○●△○○●●       
●●○○○●●
 心耽閒詠記山名
 ○○▲●●○○       
○○●●●○◎
 何須洗耳臨渓水
 ○○●●△○●       
○○●●○○●
 嘎嘎幽禽盡日鳴
 ●●○○●●○       
●●○○●●◎
(『玉池吟社詩一集・巻一』1844年)
※梁川星巌『星巌丁集』(1841年)には「和嶺田士徳夏日閒詠」が収載されています(山本和義・福島理子『日本漢詩人選集17・梁川星巌』研文出版2008年)。

☆訓読
緑樹(りょくじゅ)重層(じゅうそう)雨(あめ)正(まさ)に晴(は)る。
眼前(がんぜん)の景物(けいぶつ)余清(よせい)有(あ)り。
満園(まんえん)の青蘚(せいせん)随行(ずいこう)席(せき)。
一架(いっか)の紫藤(しとう)醒酒(せいしゅ)羹(こう)。
家(いえ)本(も)と長貧(ちょうひん)米価(べいか)を諳(そらん)じ、
心(こころ)は閒詠(かんえい)に耽(ふけ)って山名(さんめい)を記(しる)す。
何(なん)ぞ須(もと)めん、耳(みみ)を洗(あら)って渓水(けいすい)に臨(のぞ)むを。
嘎嘎(かつかつ)幽禽(ゆうきん)盡日(じんじつ)鳴(な)く。
※訓読は『玉池吟社詩』に付された訓点を参照しました。明治前期も同様の訓読であったと推測します。分かり易い現代風の訓読も可能でしょう。

☆第1句に「緑樹(りょくじゅ)」とあるので季節は初夏です。第2句の「余清(よせい)」は「余情(よじょう)」に通じます。
 
☆第3句の「青蘚(せいせん)」は緑色の蘚(こけ)で、第4句の「紫藤(しとう)」も初夏の季節を示します。「満園(まんえん)」と「一架(いっか)」、「青蘚(せいせん)」と「紫藤(しとう)」は鮮やかな対句であり、若き楓江の非凡な詩才を感じます。 
 
☆第5句の「諳米価(べいかをそらんじ)」と第6句の「耽閒詠(かんえいにふけって)」という詩句は青年時代の自画像でしょうか。「家本(いえもと)」と「心耽(こころはふけって)」、「米価(べいか)」と「山名(さんめい)」も対句で、楓江の社会観を明示しています。

☆第7句の「何(なん)ぞ須(もと)めん」は、通常は「何(なん)ぞ須(もち)いん」と読みます。「洗耳(みみをあらって)」は、俗世間の栄達を拒否するという故事に拠るのでしょう。第8句の「嘎嘎(かつかつ)」は難しい漢字ですが鳥の鳴き声です。

☆押韻は第1句の「晴(○)」、第2句の「清(○)」、第4句の「羹(○)」、第6句の「名(○)」、 第8句の「鳴(○)」です。韻字表では「下平(かひょう)」の「八庚(○)」に属する漢字で、まったく逸脱は有りません(前掲『唐詩概説』第8章)。

☆重城保編『楓江遺草』(1891年)に集録された絶句(74首)と律詩(14首)の中で、最も多い押韻は「八庚(はっこう)」です。「客舎遣悶」、「春興次霞亭先生」、「夏日閒詠」、「暁発」、「南部道中」、「蝦夷雑詩」、「夏夜」、「墨水春遊」、「永代橋晩眺」、「登筑波山」、「東台春遊」、「丙寅秋営中作」の12首が「八庚」です。

☆頻用されている「情」、「行」、「聲」、「晴」等の韻字は、楓江の詩想の核心ではないかと考えます。

☆楓江は生涯にわたって平仄の模範(標準)と押韻の規定を順守しました。

☆前掲『楓江遺草』は、押韻の規定に束縛されない古体詩も収載しています。「題自著海外新話」、「蝦夷山中射熊詞」、「捕鯨」(歌行)、「捕馬」(歌行)、「吉廣嘉平君家寶刀歌」の5首です。いずれ鑑賞の予定です。

☆古体詩は歌行(かこう)と古詩(こし)の二種類があります(前掲『唐詩概説』第6章)。『楓江遺草』は、合計93首に及ぶ嶺田楓江の漢詩を集録した貴重な漢詩集です。

☆『楓江遺草』の全体の構成は下表の通りです。

詩  体

詩  数

句  数

形  式

備 考

五言絶句

 4首

4句

今体(近体)詩

七言絶句

70首

4句

今体(近体)詩

五言律詩

な し

七言律詩

14首

8句

今体(近体)詩

歌行・古詩

 5首

16句~28句

古 体 詩

1句7字

合 計

93首


☆楓江は五言律詩をまったく残さなかったようです(同書未掲載漢詩については精査中)。七言絶句の多さが目立ちます。古体詩(歌行・古詩)は殆どが七言で、五言や四言のものは見当たりません。

☆若き楓江は前掲『玉池吟社詩』の編輯を担当しました(巻二・巻三)。自作の「捕鯨」と「捕馬」は「歌行」であると付記していますから(巻一)、「古詩」として詠んだのでは有りませんでした。吟詠の音調を聴いてみたいものです。

(2018年10月)



《掲示板》

◎11月の行事
11月 1日(木):資料調査(県内)
11月15日(木):予約客様
11月21日(水):出張講演(県内)
11月23日(金):地域行事
11月25日(日):地域行事

◎民権林園
☆収穫:オクラ(平作)、ヤーコン(豊作)、甘藷(豊作)、生姜(豊作)、大豆(平作)
☆植付:空豆、グリーンピース
☆花々:薊(薄紫)、ハーブ・ローズマリーの花(薄紫)
☆災害:イタリア北部大洪水、カリフォルニア大規模山火事

◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(11月)
□特別展チラシ「幕末・維新期の町田」(町田市立自由民権資料館2018年10月6日~11月25日)
□企画展チラシ「明治第2の改革-自由民権-を志した人々」(高知市立自由民権記念館2018年10月6日~4月7日)
□企画展チラシ「蔵の中のワンダーランドⅡ・薫陶学舎と嶺田楓江」(いすみ市郷土資料館2018年11月3日~2019年2月11日)
□公演チラシ「野の涯」劇団月曜会(2018年11月4日)
□通信「2018年喜多方事件研究報告会」(喜多方歴史研究協議会2018年11月11日)
□企画展チラシ「近代日本画の諸相」(城西国際大学水田美術館2018年11月27日~12月15日)
□講座チラシ「第22回常民文化研究講座・国際研究フォーラム、アジア民具研究の可能性」(神奈川大学日本常民文化研究所・国際常民文化研究機構2018年12月8日~12月9日)


《民権館歳時記》

☆今月は明石吉五郎(あかし・きちごろう)の名著『嶺田楓江』の巻頭に掲げられた、七言絶句「展旧師之碑前(きゅうしのひぜんにてんず)」を鑑賞しましょう。この絶句は明石吉五郎自身の『刀水漢詩集』(私家版1939年)にも収載されていますが、若干詩句が異なります。ここでは初出の『嶺田楓江』所載の巻頭詩を検討します。

☆これまでと同様に、○は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、△▲は両用、◎は押韻です。

「展旧師之碑前」1919(大正8・己未)年、七言絶句(平起、十一眞)
提撕多歳恰如親      ↓平仄の模範(標準)
○○○●●△△       
○○●●●○◎
吾浴師恩漸作人
○●○○▲●○       
●●○○●●◎
花落花開猶未報
○●○○△●●      
 ●●○○○●●
空操枯箒払芳塵
△△○●●○○      
 ○○●●●○◎
(『嶺田楓江』1919年)

訓読 
提撕(ていせい)多歳(たさい)恰(あたか)も親(おや)の如(ごと)し。
吾(われ)師恩(しおん)に浴(よく)し漸(ようや)く人(ひと)と作(な)る。
花(はな)落(お)ち花(はな)開(ひら)き猶(なお)未(いま)だ報(むく)いず。
空(むな)しく枯箒(こそう)を操(と)りて芳塵(ほうじん)を払(はら)う。
※訓読の先例が有りませんので筆者の責任でおこないました。

注釈
 明石吉五郎は1863(文久3)年に誕生し、1944(昭和19)年2月15日に他界しました(『木更津市史』1972年)。
 『刀水漢詩集』では、起句が「多年鞠育似慈親(○○●●●○○)」、「多年(たねん)の鞠育(きくいく)、慈親(じしん)に似(に)たり」となっており、平仄は初出の詩よりも模範(標準)規定を順守しています。
 詩題の「旧師之碑」は茂原市内にある「楓江嶺田老之碑」を指すと考えます。いすみ市にも墓碑「嶺田楓江先生墓」が残っています(下記年表参照)。
 承句の「作」は「なる」と訓読しました。結句の「操」は「あやつる」ではなく、「とる」と訓読してみました。
 押韻は起句の「親(○)」、承句の「人(○)」、結句の「塵(○)」で、すべて韻字表の「上平(じょうひょう)」の「十一眞(○)」に属し規定通りです。

詩意
(起句)多年にわたってあたかも親のように慈しみ育てて頂きました。
(承句)私(明石)は楓江先生から御恩を授かり漸く一人前に成長できました。
(転句)花が落ち花が開いて季節がめぐっても未だに先生の恩愛に報いることができません。
(結句)枯れた箒を持って墓碑の塵を払うのみです。

☆明石吉五郎には、井上幹(夷隅事件被告)を追悼した七言絶句もあります。

明石吉五郎「弔詩」1886(明治19・丙戌)年、七言絶句(平起・五微)
追悼 故井上幹君

辱知
 明石吉五郎
故園紅葉錦雲悲       ↓平仄の模範(標準)
●○○●●○○        ○○●●●○◎
山郭秋闌君不帰
○●○○○▲○        ●●○○●●◎
一世回首幽瞑夢
●●○●○▲▲        ●●○○○●●
遊魂猶是自由飛
○○▲●●○○        ○○●●●○◎
(いすみ市「井上家文書」)

訓読
故園(こえん)の紅葉(こうよう)錦(にしき)の雲(くも)も悲(かな)し。
山郭(さんかく)秋(あき)闌(たけなわ)にして君(きみ)帰(かえ)らず。
一世(いっせい)に首(こうべ)を回(めぐ)らせば幽瞑(ゆうめい)なる夢(ゆめ)、
遊魂(ゆうこん)猶(なお)是(これ)自由(じゆう)に飛(と)ぶ。
※訓読の先例が有りませんので筆者の責任でおこないました。

注釈
 明石吉五郎は木更津市出身で、福島県の三春町で小学校の教員をしたことがあります(『木更津市史』)。『三春町史第3巻』に教員時代についての記述があります。
 起句の「故園」は「故郷」という意味です。加波山事件の小針重雄の七言絶句に、「故園(こえん)を思(おも)う毎(ごと)に涙(なみだ)衣(きぬ)を沾(うるお)す」(野島幾太郎『加波山事件』)の詩句があります。
 転句の「回首(こうべをめぐらせば)」という詩句は、夏目漱石の漢詩にも用例があります。加波山事件で無期徒刑になった天野市太郎(福島県三春町出身)の七言絶句には、「首(こうべ)を回(めぐ)らせば壯遊(そうゆう)已(すで)に十年(じゅうねん)」とあります(同書)。
 結句の「遊魂(ゆうこん)」は、体を離れて浮遊する魂を意味します。北村透谷の「三日幻境(みっかげんきょう)」には、「流水(りゅうすい)、夜(よ)の沈(しず)むに従(したが)ひて音(おと)高(たか)く、わが遊魂(ゆうこん)を巻(ま)きて、なほ深(ふか)きいづれかの幻境(げんきょう)に流(なが)し」とあります(『透谷全集第1巻』岩波書店)。
 押韻は起句の「悲(○)」、承句の「帰(○)」、結句の「飛(○)」で、すべて韻字表の「上平(じょうひょう)」の「五微(ごび)」に属し規定通りです。

(2018年11月)

《掲示板》

◎12月の行事
12月 2日(日):東京出張(館長・副館長)
12月24日(月):予約客様(県内)
12月25日(火):『民権館通信第12号』投函
12月28日(金):楓江忌(嶺田士徳顕彰)
12月29日(土):看雨忌(村田峰次郎顕彰)

◎民権林園
☆収穫:大豆(不作)、里芋(平作)
☆植付:グリーンピース、小松菜、レタス、高菜
☆花々:薊(薄紫)、ヤーコンの花(黄)、水仙(白・黄)、バラ(ダヴィンチ・赤)(ヴァレリーナ・桃白)(エリザベス・桃)(ピエールドロンサール・桃白)
☆災害:アラスカ大地震、ニューカレドニア大地震・津波

◎寄贈寄託資料・連絡通信コーナー(12月)
□論文「福島青年民権運動と石川」『石川史談第28号』(石陽史学会2018年10月)
□企画展チラシ「蔵の中のワンダーランドⅡ・薫陶学舎と嶺田楓江」(いすみ市郷土資料館2018年11月3日~2019年2月11日)
□資料「永瀬正之助七言絶句断簡」等(2018年11月23日)※永瀬は嶺田楓江の門下生。
□企画展チラシ「近代日本画の諸相」(城西国際大学水田美術館2018年11月27日~12月15日)
□会報『秩父№187』(秩父事件研究顕彰協議会2018年11月)
□講座チラシ「第22回常民文化研究講座・国際研究フォーラム、アジア民具研究の可能性」(神奈川大学日本常民文化研究所・国際常民文化研究機構2018年12月8日~12月9日)
□会報『福島自由民権大学通信№25』(福島自由民権大学事務局2018年12月20日)
□冊子『思文閣古書資料目録・和の史第260号』(思文閣出版古書部2018年12月)



《民権館歳時記》

☆今月は、南房総市の加藤霞石(かとう・かせき)作「矢那村訪嶺田楓江僑居(やなむらにみねだふうこうのきょうきょをおとなう)」(『安房先賢偉人伝』)を鑑賞しましょう。

☆これまでと同様に、○は平声(ひょうしょう)、●は仄声(そくせい)、△▲は平仄両用、◎は押韻、《   》は模範(標準)率です。

「矢那村訪嶺田楓江僑居」(1852年・嘉永5・壬子・七言絶句・仄起・十灰)《24/28=85.7%》

□平仄と押韻
幽居
擁幾崔嵬      ↓平仄の模範(標準)
○○○●▲○○       
○○●●●○◎
密竹疏松繞屋栽
●●△○●●○       
●●○○●●◎
将道先生
見機
▲●△△●○●       
●●○○○●●
敲門
裏命杯来
△○○●●○△       
○○●●●○◎
(著者自筆浄書本『掬靄山房詩』幕末)、(『安房先賢偉人伝』1938年)、(『安房先賢遺著全集』1939年)

□訓読
幽居(ゆうきょ)深(ふか)く擁(よう)す幾(いく)崔嵬(さいかい)。
密竹(みっちく)疏松(そしょう)屋(おく)を繞(めぐ)りて栽(う)う。
将(まさ)に道(い)わんとす、先生(せんせい)機(き)を見(み)るの早(はや)きを。
敲門(こうもん)聲裏(せいり)杯(さかずき)を命(めい)じて来(きた)る。
※『安房先賢偉人伝』の訓点通りに訓読しました。

□注釈
 加藤霞石は1852(嘉永5)年、矢那村(現木更津市)に住んでいた嶺田楓江を訪問しました(『安房先賢偉人伝』)。
 起句の「崔嵬(さいかい)」は難しい表現ですが、山の険しいさまを意味します。漢詩ではしばしば使用されます。
 承句の「密竹疏松(みっちくそしょう)」もよく使われる詩句で、山奥で隠遁(いんとん)生活をおくる人を形容する常套句です。
 結句の「聲裏」は「聲裡」と同義です。「敲門(こうもん)聲裏(せいり)」は、「門(もん)を敲(たた)く聲(こえ)の裏(うち)に」と訓読することも可能です。
 「杯(さかずき)を命(めい)じて来(きた)る」の詩句から、楓江がこよなく酒を愛したことがわかります。漂泊の酒仙という生きざまは、当時の漢詩人のライフスタイルであったと思われます。
 起句の「嵬(○)」、承句の「栽(○)」、結句の「来(○)」が押韻で、すべて「上平(じょうひょう)」の「十灰(じっかい)」に属する漢字です。
 28字中の24字が平仄の規定通りで、不規則な漢字は「深(○)」、「見(●)」、「機(○)」、「聲(○)」の4字です。模範(標準)率は85.7%ということになります。

☆100%完璧な「平仄」の漢詩に、名詩はほとんど無いようです。絶句と律詩は逸脱変則が許容されています。私見では、その許容範囲は模範(標準)率85%以上と思われます(絶句は28字中の24字以上、律詩は56字中の48字以上)。「平仄」が乱れると粗雑な印象の詩になります。但し、「押韻」の不規則は許容されていません(小川環樹『唐詩概説』岩波文庫)。

☆中華人民共和国建国の卓越した指導者であった毛沢東は、優れた漢詩人でもありました。毛沢東の絶句と律詩は、「平仄」の規定を順守し正確に作詩されています。また、陋習に囚われない奔放な古詩も残っています(『毛沢東詩選』1979年)。

☆次に加藤霞石の五言絶句「題三浦氏小潭(みうらしのしょうたんにだいす)」(『安房先賢遺著全集』)を鑑賞しましょう。この詩の別名は「蟄龍潭(ちつりょうたん)」(「肉筆詩箋」)です。

「題三浦氏小潭(蟄龍潭)」(1844年頃・弘化元・甲辰・五言絶句・平起・二冬)《19/20=95.0%》

□平仄と押韻
雲含
気密      ↓平仄の模範(標準)
○△●▲●      
○○○●●
樹帯雨聲濃
●●●○○      
●●●○◎
不受垂綸客
▲●○○●      
●●○○●
潭中有蟄龍
○△●●○      
○○●●◎
(著者自筆浄書本『掬靄山房詩』幕末)、(『安房先賢遺著全集』1939年)、(「肉筆詩箋」年代不詳)
※肉筆詩箋は「醒気(●▲)」、『安房先賢遺著全集』の活字は「腥気(△▲)」。

□訓読
雲含(うんがん)醒気(せいき)密(ひそか)なり。
樹帯(じゅたい)の雨聲(うせい)濃(こまやか)なり。
受(う)けず垂綸(すいりん)の客(かく)を、
潭中(たんちゅう)に蟄龍(ちつりょう)有(あ)り
※『安房先賢遺著全集』掲載の詩は白文なので、筆者の責任で訓読しました。

□注釈
 加藤霞石は南房総市の医師でした。霞石の次男が玄章で、医師でしたがやはり漢詩の素養がありました。玄章の妻は著名な漢詩人の鱸松塘(すずき・しょうとう)の妹でした(前述)。
 加藤玄章の長男が加藤淳造(自由党代議士)であり、獄中漢詩を残しています。三代にわたる安房の漢詩人の血脈です。
 起句の「醒気(せいき)」は「清気」と同義でしょう。「雲含(うんがん)」は「雲(くも)を含(ふく)み」、「密(ひそか)なり」は「密(みつ)なり」と訓読することも可能です。
 承句の「樹帯(じゅたい)」は、嶺岡牧(みねおかまき)周辺の樹木を指します。霞石の雅号は「蓑邱道人」でした(『玉池吟社詩一集』)。「雨聲(うせい)」は「雨音」のことです。
 転句の「垂綸(すいりん)」は、釣り糸を垂れることを意味します。「三浦氏」は南房総市に古くからある姓です。
 結句の「潭(たん)」は、深い淵のことです。「蟄龍(ちつりょう)」は潜んでいる龍を意味しますが、隠れている英雄の喩えとしても使用されます。
 押韻は承句の「濃(○)」と結句の「龍(○)」で、「上平(じょうひょう)」の「二冬(にとう)」に属します。平仄の模範(標準)率は95パーセント(19/20)になりほぼ完璧です。
 『安房先賢遺著全集』では「醒気(●▲)」が、「腥気(△▲)」という活字です。平仄は100%になりますが、誤植と思われます。詩意も「腥(なまぐさ)い気」では不自然です。「アニメ・日本昔ばなし」のような絶句であると解釈しました。

(2018年12月)