いすみ地域
夭逝の豪農自由党員
井上幹
薫陶学舎・精農社・以文会・君塚省三


MIKI INOUE



 

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長生地域 茂原の自由党員 齊藤自治夫(next page)





 《contents》


 (1)井上幹と産業結社「精農社」

 (2)薫陶学舎教育課程表

 (3)人物memo・嶺田楓江

 (4)史跡案内

 (5)参考文献


  薫陶学舎関係新聞資料 click

  君塚省三と中村孝 click







井上幹・うた夫妻 

1885(明治18)年の出獄の頃(井上宗雄氏提供)




《井上幹と産業結社「精農社」》1853(嘉永6)年6月生誕~1886(明治19)年5月、32才で夭逝 


1997年の11月に第9回「房総の自由民権資料展」を大原町において開催した。テーマは「井上幹と薫陶学舎・精農社・以文会」であった。井上幹は夷隅郡の代表的な民権家で自由党員であった。ペリーが浦賀に来航した1853(嘉永6)年6月に生まれ、1884(明治17)年には明治政府の弾圧によって投獄され、1886(明治19)年5月に32才の若さで夭折した。「薫陶学舎」は民権私塾(私立中等学校)で、86名の入学者がいた。「以文会」は会員700名に及び、千葉県屈指の民権結社である。「精農社」は千葉県では数少ない産業結社である。これらの私塾や結社に積極的に関わった井上幹の特異な事績を、あらためて検証してみようという企画である。


以文会の結成については「郵便報知新聞」(1880年11月22日)に、「十五日大原駅の竹楼に同郷親睦会を開きしに来会する者百余名(中略)、結社規則及諸事整理のため委員九名を選定し社号を以文会と名」づけたと報道されている。およそ60年後、以文会は大政翼賛会により解散に追い込まれ、「東京日日新聞」(1940年10月15日)には「夷隅郡政友派以文会の解党大会は十三日午後一時から大原小学校講堂で開会(中略)、六百名の会員出席、六十二年の憲政史を飾った以文会も時代の波に解党した」と報道されている。この解散の記事についてはN氏の御教示を得た。

ぶ厚い蓄積のある全国の自由民権運動研究史でも、民権派産業結社の本格的研究は数少ない。最近研究が進展し解明が進んだように見える千葉県の自由民権運動研究でも、産業結社の本格的研究は皆無でる。

『精農雑誌第貳号』(1881年7月)は東大図書館の地下にあった明治文庫において、20年程前に複写させていただいた。昔日の北根先生の御好意は忘れ難い。その頃から一度は千葉県の産業結社である精農社について論じてみたいと思っていた。しかし今だに果たせないでいる。

江村栄一氏は大著『自由民権革命の研究』(法政大学出版局1984年37頁)で精農社について、「夷隅郡農事通信係の石野三郎左衛門の援助で設けられ、自由民権運動を推進する政社、以文会の幹部である井上幹・中村義利によって指導されていた」と言及している。さらに詳細な検討が必要であると私は考えている

明治文庫には『精農雑誌』は第貳号しか保存されていない。『精農雑誌』の第一号は『大原町史史料集(3)』(大原町1991年161頁)に紹介されている「精農社社員姓名録、郡内農区の分割及び会議録」であると私は推定している。表紙が欠けている史料なので断定はできないが、冊子の判型や第貳号との内容のつながりから間違いないと考えている。第三号以降は今の所未発見である。

★精農社は、国会開設を目指した学習結社である以文会とほぼ同じ時期に組織化されている。会員も重複している。1880(明治13)年の10月に社則(仮規則)が定められ、「設立の主意は專ら農事を改良して物産蕃殖を図る」、「有益なる穀菜種子菓木材料等の苗木を購求し或は交換して広く作法を試む」(前掲史料集(3)159頁160頁)等と規定されている。正式な開業式は翌年の2月20日であった。

社長には県会議員の小高貫三、幹事には井上幹と中村義利が選出された。中村義利は、県会議長(後に夷隅郡長)の中村権左衛門の弟である。社員112名の内、自由党に9名(井上幹、君塚省三、幸保六兵衛、高梨正助、関親忠、吉野忠吾、岩瀬小三郎、吉野朝吉、君塚仁蔵)も入党加盟するのであるから、当地域は房総民権派の梁山泊であったと言えよう。

★精農社に関する新聞記事を二つ程引用しておく。一つは「千葉県下上総国夷隅郡の小高貫三、井上幹、中村義利の三氏は常に農事に篤志の人なりしが、此頃同地の有志者を語ひ精農社と云ふを設け(後略)」(東京横浜毎日新聞1881年2月9日)である。

もう一つは「精農社々長小高貫三氏は先頃大多喜へ一箇の製紙場を設けられ、百方製紙の方法を購求せられしが其功空しからす、此程に至りては清涼なる半紙を製出するに至れりと」(総房共立新聞1882年10月4日)の記事である。その後、精農社は1887(明治20)年に解散となる。(『千葉県議会史議員名鑑』1985年230頁)



井上幹年譜

1831(天保2)年1020日、井上佐幾夫誕生(憲政功労者銘記)

1853(嘉永6)年66日、幹(ミキ)誕生(憲政功労者銘記)

1874(明7)年119日、二男の井上稲直(イネナオ)誕生、後に県会議員(議員名鑑)

1876(明9)年55日、幹の弟の璋誕生、後に勝浦市の久我家入籍(憲政功労者銘記)

1880(明13)年10月、小冊子『精農社仮規則』発行(井上家文書)

        1115日、竹楼で以文会結成(郵便報知新聞、朝野新聞)

1881(明14)年131日、以文会第1期演説会、大原、勝浦、大多喜、堀口昇(東京横浜毎日)

               220日、精農社開業式、幹事就任(精農雑誌第1号、井上家文書)

        521日、堀口昇と青木匡が夷隅郡遊説(朝野新聞、東京横浜毎日新聞)

        525日、堀口と青木が井上家で昼食、竹楼で以文会演説会と懇親会(朝野)

        7月、精農雑誌第2号発行(東大明治文庫所蔵)

1882(明15)年18日、薫陶学校入学金収入簿、井上佐幾夫公印(井上家文書)

        29日、井上幹宛の演説会案内の君塚省三・高梨正助連名書簡(井上家文書)

        312日、薫陶学舎開校式(藍野家文書)

        3月、精農雑誌第3号発行(千葉県立中央図書館所蔵)

        629日、桜井静が薫陶学舎を訪問し、井上家宿泊(総房共立新聞)

        9月中、井上幹は自由党組織化のため、夷隅郡内を遊説(総房共立新聞)

        12月、精農雑誌第4号発行(千葉県立中央図書館所蔵)

1883(明16)年2月、井上幹宛小高純一書簡、馬場辰猪・堀口昇遊説依頼の件(井上家文書)

        415日、演説会、大多喜大円寺、馬場辰猪、堀口昇(朝野新聞)

        417日、演説会、大原竹楼、馬場辰猪、堀口昇(朝野新聞)

        423日~24日、東京の自由党大会出席(三島通庸関係文書)

        4月、自由党の明治164月通常例会議決送付(井上家文書)

        5月、井上幹、『自由党員名簿』に記載(党員名簿)

        5月、5月報道書送付(井上家文書)

        5月、井上幹宛小高純一書簡、千葉県自由党懇親会開催の件(井上家文書)

        624日、竹楼で自由党懇親会(朝野新聞)

        8月、8月報道書送付(井上家文書)

        11月、11月報道書送付(井上家文書)

        1228日、薫陶学舎漢学教師の嶺田楓江他界(自由新聞)

1884(明17)年21日、藍野祐造・藍野一郎宛の井上幹書簡、減租請願の件(藍野家文書)

        228日、井上幹宛石井代治書簡、寧静館で佐久間吉太郎と談話(井上家文書)

               3月、自由党規則送付(井上家文書)

        4月、4月報道書と寧静館書簡送付(井上家文書)

        715日、井上・君塚・小高・高梨連名宛寧静館書簡、星亨遊説(井上家文書)

        722日~23日、星亨が夷隅郡遊説(自由燈)

        8月、8月報道書送付(井上家文書)

        1029日、大阪の自由党大会出席、解党に反対(自由民権機密探偵史料集)

        112日、齊藤和助宛の井上・板倉連名書簡、自由党解党の件(齊藤家文書)

        114日、井上家家宅捜索開始(井上家文書)

        124日、官吏侮辱罪で逮捕(朝野新聞、吉原三郎追懐録)

        129日、千葉県監獄本署の井上幹から、板倉中宛書簡(井上家文書)

        1231日、薫陶学舎閉校(自由燈)

1884(明18)年26日、千葉県監獄本署の井上幹から、井上佐幾夫宛書簡(井上家文書)

        331日、8名の千葉軽罪裁判所公判開廷、大井・板倉・吉原三郎が弁護人(自由燈)

        420日、千葉軽罪裁判所判決、全員重禁錮4ヵ月、罰金十円の判決(朝野新聞)

        512日、東京鍛冶橋監獄分署の井上幹から、井上佐幾夫宛書簡(井上家文書)

        625日、東京控訴裁判所公判開廷(自由燈)

        74日、東京控訴裁判所判決、原裁判通り(朝野新聞)

        79日、大審院へ上告はせずに、東京市ヶ谷監獄分署で服役(井上家文書)

        111日、官吏侮辱罪で4ヵ月服役し、出獄(自由燈)

1886(明19)年57日、井上幹他界(墓誌)

        510日、井上幹葬儀(井上家文書)

1886(明19)年113日、竹楼で井上幹追悼会(千葉新報)

1888(明21)年107日、千葉町で関東八州大懇親会、後藤来県、弟の直也参加(東海新報)

1889(明22)年4月、井上佐幾夫は布施村村長就任(憲政功労者銘記)

1891(明24)年811日、井上佐幾夫の妻の多喜(タキ)他界(墓誌)

919日、数学教師の若林有隣逝去(墓誌)

1898(明31)年617日、井上佐幾夫他界(憲政功労者銘記)

1910(明43)年8月、井上稲直は千葉県会議員補選に当選(議員名鑑)

1913(大2)年3月、嶺田楓江と若林有隣墓碑建石、施主は井上佐太郎(墓誌)

1922(大11)年428日、幹の実弟、勝浦漁協組合長の久我璋他界(憲政功労者銘記)

1927(昭2)年1218日、以文会編『憲政功労者銘記』発行(憲政功労者銘記

1928(昭3)年1220日、井上幹の妻の宇多(ウタ)他界(墓誌)




《薫陶学舎教育課程表》(井上幹家文書から)

1880(明治13)年6月、井上佐幾夫・幹父子、校舎建築開始
1882(明治15)年1月、開校(予科と本科3年)
1883(明治16)年12月28日、嶺田楓江先生死去
1884(明治17)年12月、船越県令の弾圧により閉校
1885(明治18)年中、書籍貸出の記録
・・・その後については未調査、学舎跡は現在は竹藪と畑



【英学】study of English

科学

予科

本科

本科

本科

第1年

第2年

第3年

第1期

第2期

第3期

第1期

第2期

第3期

第1期

第2期

第3期

綴字
習字

綴字本 習字本

*

訳読

第1・2読本

第3読本

万国史

万国史

*

*

*

*

*

*

質問

平生讀習スル書籍以下同シ

*

*

*

*

*

*

*

*

*

輪講

*

地理書

天然地理

究理書

米国史 人体究理及健全学

米国史 羅馬史

仏国学 希臘史

脩辞学 文明史

脩身学 交際論

論理学 代議政体  自由論

講義

*

文典

文典

動物学

植物学

英文学

英文学

万国公法

経済学

心理学

作文

*

簡易ノ文

普通俗簡

記文

伝説ノ類

和文英訳

英文和訳

即席作文

論文

論文






【漢学】study of Chinese classics

科学

予科

本科

本科

本科

第1年

第2年

第3年

第1期

第2期

第3期

第1期

第2期

第3期

第1期

第2期

第3期

素読

四書五経

*

質問

初学須知万国史略

輿地誌略国史攬要

国史略 万国新史

日本政記国法汎論

瀛環史略英氏経済論

博物新篇刑法

国語  治罪法

戦国策

荀子

大日本史

輪講

蒙求

日本外史十八史略

日本外史十八史略

日本外史元明清史略

文章軌範

文章軌範

孟子  史記

史記  八家文

史記  左伝

左伝  詩経

講義

皇朝戦略

靖献遺言

東菜博議

論語

中庸

書経

易経

孫子

韓非子

荘子

作文

近易書讀

通常ノ俗簡及証書文体

通常ノ俗簡及証書文体

和訳体ノ論説及公用文

和訳体ノ論説及公用文

復文及簡易ノ漢文

復文及簡易ノ漢文

漢文ノ記事及論策

漢文ノ記事及論策

漢文記説伝碑

算術

加減  乗除

分数諸法

比例諸法

開平  開立

代数学

代数学

代数学

幾何学

幾何学

三角法








嶺田楓江(肖像画)




【人物memo】
嶺田楓江 HUKO MINEDA 1818(文政元)年誕生、1883(明治16)年12月28日死去(65才)。

1818(文政元)年、誕生、丹後田辺藩江戸藩邸(明石『嶺田楓江』)
1835(天保6)年1月、佐藤一斎のもとで漢学研究(教員履歴)
1839(天保10)年1月、箕作元甫のもとで蘭学研究(教員履歴)
1843(天保14)年1月、林韑(アキラ)のもとで漢学研究(教員履歴)
1849(嘉永2)年12月、『海外新話』出版の件で町奉行取調(明石『嶺田楓江』)
1850(嘉永3)年10月、投獄(明石『嶺田楓江』)
1851(嘉永4)年113日、出獄、木更津市請西へ隠遁(明石『嶺田楓江』)
1864(元治元)年2月、田辺藩帰省(明石『嶺田楓江』) 719日、禁門の変警衛のため京都出張(明石『嶺田楓江』)
1876(明9)年1月、乃有学舎、長南町(明石『嶺田楓江』)
1878(明11)年1月、賛化学校開校式、茂原市(千葉県史31213日、賛化学校の楓江から青崖宛書簡、議長公選の件(千葉県史3165日、賛化学校の楓江から青崖宛書簡、返済金の件(千葉県史31
1879(明12)年、有余学舎、木更津市(明石『嶺田楓江』)
1881(明14)年10月、八剣神社に寿碑設置、木更津市(碑銘)
125日、薫陶学舎設置伺書に履歴記載(井上家文書)
1882(明15)年110日、薫陶学舎着任、いすみ市(総房共立新聞)
1883(明16)年122827)日、薫陶学舎在職中に他界(自由新聞、墓誌)




   



【嶺田楓江(みねた・ふうこう)の生涯】年譜

楓江誕生~大政奉還
・1802(享和2)年
加藤霞石誕生(『安房先賢偉人伝』、『安房医師会誌』、『富山町史』)。
・1818(文政元)年
楓江誕生、丹後田辺藩江戸藩邸(明石『嶺田楓江』)。
・1824(文政7)年
若林有隣誕生(「井上家文書」教員履歴)。
※若林は「薫陶学舎」の数学教師。
・1831(天保2)年
10月20日、井上佐幾夫誕生(『憲政功労者銘記』)。
※井上佐幾夫は井上幹(いのうえ・みき)の実父。
・1833(天保4)年
4月17日、重城保誕生(『重城保日記』、『木更津市史』)。
・1834(天保5)年
11月、「玉池吟社」開塾(『梁川星巌全集第5巻』)。
・1835(天保6)年
1月、楓江は佐藤一齋に学び漢学研究(「井上家文書」教員履歴、明石『嶺田楓江』)。
夏、楓江「夏日閒詠(七律)」(『玉池吟社詩一集』、『楓江遺草』)。
5月、梁川星巌「和嶺田士徳夏日閒詠三首、戯倣其体(七律)」(『星巌丁集』、『梁川星巌全集第1巻』、『日本漢詩人選集17・梁川星巌』)。
※楓江は梁川星巌の「玉地吟社」(漢詩塾)門下生。
・1838(天保9)年
9月、楓江辞官(明石『嶺田楓江』)。梁川星巌「送士徳辞官遊房州(七絶)」(『星巌丁集』、『梁川星巌全集第1巻』)。
秋、楓江は安房国を周遊し勝山で「捕鯨(歌行)」、嶺岡牧で「捕馬(歌行)」を作詩(『玉池吟社詩一集』)。
12月、小野湖山「寄嶺田士徳(七律)」(『湖山樓詩鈔』)。
・1839(天保10)年
1月、楓江は箕作元甫に学び蘭学研究(「井上家文書」教員履歴、明石『嶺田楓江』)。
秋、小野湖山「訪嶺田士徳東條邨寓居(七律)」(『湖山樓詩鈔』)。
※東条村は現鴨川市、季節は晩秋か?
・1841(天保12)年
春、梁川星巌は『星巌丁集』初版発行(同書)。
夏、楓江「蝦夷雜詩(七絶)」(『楓江遺草』)。
6月頃、小野湖山「送嶺田士徳游松前六首(七律)」(『湖山樓詩鈔』)。
9月9日頃、鱸(鈴木)松塘「懐嶺田士徳(五律)」(『松塘小稿』、『安房先賢偉人伝』、 『安房先賢遺著全集』)。
※この年、楓江は北海道を踏査。
・1843(天保14)年
1月、楓江は林?に学び漢学研究(「井上家文書」教員履歴、明石『嶺田楓江』)。
5月15日、高梨正助誕生(『憲政功労者銘記』)。
夏、鱸松塘は『松塘小稿』初版発行(同書、『安房先賢偉人伝』)。
同年、楓江は『安房国志』(嶺田宣俊纂述)初版発行(同書)。
・1845(弘化2)年
5月、星巌は『玉池吟社詩』初版発行、楓江は編輯を担当(同書、『梁川星巌全集第5巻』)。
6月20日、「玉池吟社」閉塾(『梁川星巌全集第5巻』)。
10月、若林有隣は広瀬淡窓の咸宜園で漢学修業(「井上家文書」教員履歴)。
・1846(弘化3)年
春、楓江「送頼三樹之奥州(七絶)」(明石『嶺田楓江』)。
※頼三樹三郎は東北、北海道旅行(安藤『頼三樹三郎伝』)。
・1849(嘉永2)年
3月頃、楓江『海外新話(全五巻)』初版発行、巻頭に「題自著海外新話(七言古詩)」(同書)。更に『海外新話拾遺(全五巻)』出版(同書)。
12月、著述出版の件で町奉行から取調(明石『嶺田楓江』)。
・1850(嘉永3)年
孟春1月、小野湖山は『湖山樓詩鈔』初版発行(同書)。
10月2日、楓江は老中の戸田山城守から「押込」処分(明石『嶺田楓江』)。
・1851(嘉永4)年
1月13日、楓江「押込」御免(明石『嶺田楓江』)。
春、三都追放(明石『嶺田楓江』)。
・1852(嘉永5)年
3月、加藤淳造誕生(『千葉県議会史議員名鑑』)。
9月、加藤霞石「矢那村訪嶺田楓江(七絶)」(『安房先賢偉人伝』、『安房先賢遺著全集』)。
※南房総市の加藤淳造は医師で自由党代議士、霞石も医師で淳造の祖父。
・1853(嘉永6)年
6月6日、井上幹誕生(『憲政功労者銘記』)。
・1856(安政3)年
4月23日、君塚省三誕生(『憲政功労者銘記』)。
・1857(安政4)年
7月24日、村田峰次郎誕生(『長周叢書』復刻版)。
※村田は村田清風(長州藩家老)の孫で「薫陶学舎」英学教師。他界は1945年12月29日、墓碑は山口県長門市(『長周叢書』復刻版)。
・1859(安政6)年
1月、楓江「己未元旦(七絶)」(『楓江遺草』)。
3月3日、岩瀬武司誕生(『憲政功労者銘記』)。
※10月、頼三樹三郎と吉田松陰処刑、安政の大獄。
・1860(万延元)年
1月6日、楓江「元日探梅(七絶)」二首(『重城保日記』)。
2月13日、日記に「楓江、佐倉ニ暫居、夫より江戸へ廻り来ル」と記載、楓江「香篆燈消一夜風(七絶)」(『重城保日記』)。
5月7日、楓江「鹿角道中(七絶)」、「途上吟(七絶)」、「阿仁途上(七絶)」(『重城保日記』)。
・1861(文久元)
1月20日、楓江は重城保に「房州国志一巻」を贈呈(『重城保日記』)。
6月25日、楓江は重城保家を訪問し宿泊、嶺田雋撰「懐恵碑」(『重城保日記』)。
12月9日、日記に「楓江先生へ醤油一本進上」と記載(『重城保日記』)。
※「房州国志」は後の『千葉県古事志』か?
・1863(文久3)年
9月13日、楓江は重城保宛に書簡(舞鶴市「糸井文庫」)。
※8月18日の政変。
・1864(元治元)年
7月、楓江「甲子記事(七絶)」(『楓江遺草』)。
9月21日、楓江は重城家訪問、日記に「上京之噺面白し」と記載、楓江近作の七言絶句(『重城保日記』)。
※禁門の変。
・1865(元治2)年
1月19日、楓江「破卯酔醒把一盃(七絶、1字欠)」(『重城保日記』)。
※この詩は明石『嶺田楓江』では「夏暁偶作(七絶)」。
・1866(慶応2)年
秋、楓江「丙寅秋営中作(七絶)」(『楓江遺草』)。
※薩長同盟、第2次長州戦争。
・1867(慶応3)年
1月、村田峰次郎は長州藩「明倫館」で漢学修業(「井上家文書」教員履歴)。

戊辰戦争~楓江他界
・1868(明治元)年
1月3日、戊辰戦争(『明治天皇紀』)。
1月14日、楓江は重城家に宿泊、「海外新話之序詩(七言古詩)」揮毫(『重城保日記』)。
9月8日、「明治」改元(『明治天皇紀』)。
・1869(明治2)年
1月1日、楓江「己未元旦(七絶)」(『楓江遺草』)。
4月11日、日記に「昨日楓江翁へ酒二升呈上」と記載(『重城保日記』)。
・1871(明治4)年
楓江「寄贈柴原県令(七律)」(『楓江遺草』)。
※11月14日、木更津県成立。
・1873(明治6)年
4月1日、加藤霞石他界(『安房先賢偉人伝』、『安房医師会誌』、『富山町史』)。
※6月15日、千葉県成立。
※楓江「高柳村卜居雜詠(七絶)」はこの頃の作か?(『楓江遺草』)。
・1874(明治7)年
11月11日、日記に「楓翁来り黄昏迄飲、(佐野)孝順詩あり」と記載(『重城保日記』)。
・1875(明治8)年
9月14日、重城家で楓江「酒正酣時雲臨晴、乙亥(七絶)」(舞鶴市「糸井文庫」)。
※この酒宴は地引村(現長生郡長南町)に転居する楓江の送別会か?
5月24日、森春濤編『東京才人絶句(上・下)』出版官許、楓江の漢詩「癸亥八月作」(七絶一首)を収載(同書)。
・1876(明治9)年
3月、「乃有(だいゆう)学舎」設立願書(明石『嶺田楓江』)。
5月17日、地引村妙覚寺の「乃有学舎」開業認可(明石『嶺田楓江』)。
12月、千葉彌一郎は乃有学舎で学ぶ(『天夢遺稿』所載写真)。
・1877(明治10)年
7月、「賛化学校」の規則に『自由之理』を教科書(「おとずれ文庫文書」)。
11月、「乃有学舎」と「賛化学校」合同式(明石『嶺田楓江』)。
・1878(明治11)年
1月13日、合同賛化学校開校式、嶺田楓江教頭(茂原市「幹家文書」)。
2月13日、楓江は賛化学校から重城保宛に書簡、公選民会の件等(舞鶴市「糸井文庫」)。
6月5日、楓江は重城保宛に書簡、大久保利通暗殺の件等(舞鶴市「糸井文庫」)。
8月2日、重城保「題楓江老人千秋含雪楼(七絶)」(『重城保日記』、『郵便報知新聞』)。
・1879(明治12)年
8月6日、楓江は貝淵(木更津市)から立木(茂原市)の高橋喜惣治宛に書簡(「高橋家文書」)。
・1880(明治13)年
1月、村田峰次郎は中村正直に学び東京で漢詩文研究(「井上家文書」教員履歴)。
1月、高梨正助は千葉県会議員補欠選挙当選、1892年まで連続当選(『千葉県議会史』)。
7月28日、高橋喜惣治等は井上幹宛に葉書、旧「乃有学舎」懇親会の件(「井上家文書」)。
10月、冊子『精農社仮規則』発行(「井上家文書」)。
11月15日、大原の竹楼で「以文会」結成親睦会(『郵便報知新聞』、『朝野新聞』、いすみ市「藍野家文書」)。
・1881(明治14)年
1月6日、楓江は重城保等と貝淵(現木更津市)で懇親会(『重城保日記』)。
2月20日、「精農社」開業式(井上家文書『精農雑誌第1号』)。
10月、「嶺田楓江寿碑」立石(木更津市内)、重城保「於戯若人(四言古詩)」(同碑文)。
12月27日、「薫陶学舎」創立広告(『総房共立新聞』)。
・1882(明治15)年
1月1日、楓江「明治壬午元旦(七絶)」(山田『楓江遺稿』、明石『嶺田楓江』)。
1月10日、楓江は「薫陶学舎」に転居(『総房共立新聞』)。
3月12日、「薫陶学舎」開校式(いすみ市「藍野家文書」)。
5月11日、楓江は織本東岳宛に書簡、村田峰次郎と一緒に富津訪問の件(富津市「織本家文書」)。
※訪問は或いは翌年か。
5月、『総房詩史第2集』発行、楓江「茶丘懐古(七絶)」収載(『房総叢書』)。
※この詩は明石『嶺田楓江』では「題金田庄黌」。
6月29日、桜井静は「薫陶学舎」を訪問、井上家宿泊(『総房共立新聞』)。
・1883(明治16)年
4月23日~24日、井上幹は東京の自由党大会出席(国会図書館「三島通庸関係文書」)。
5月、井上幹の姓名が『自由党員名簿・明治16年』に掲載(香取市「石田家文書」)。
6月10日、小野梓は房州遊説「馬上得句(七絶)」(『留客斎日記』)。
7月12日、広瀬淡窓『淡窓詩話上巻・下巻』博聞館、版権免許(同書)。
※同書は漢詩作法の優れた解説書。淡窓(1782~1856)は故人。
9月10日、大原の竹楼で村田峰次郎送別会(「加藤重和防備録」『千葉県の歴史31』)。
12月16日、千葉健次郎は日記に「楓江先生病気見舞ニ行ク」と記載(『千葉健次(治)郎日記』)。
12月28日、嶺田楓江他界(『自由新聞』、明石『嶺田楓江』)。
※墓誌は「12月27日」他界(『大原町史史料集』)。同年、楓江は千葉県庁に『千葉県古事志』を提出(『房総叢書』)。
同年、『東瀛詩選』発行、楓江の漢詩「春興次霞亭先生韻(七律)」、「夏日閒詠(七律)」、「感興次韻(七律)」、星巌の漢詩「送士徳解官游房州」等収載(同書)。

楓江没後~伝記出版
・1884(明治17)年
1月22日、岩手県遠野村梅月堂書院から井上幹宛に葉書、嶺田楓江追悼の件(「井上家文書」)。
3月、君塚省三は夷隅郡4000名の署名を持って減租請願のため上京し、三条太政大臣に面会を求める(『自由新聞』)。
12月31日、「薫陶学舎」閉校(『自由燈』)。
・1885(明治18)年
4月20日、夷隅事件の8名(井上幹・岩瀬武司・吉清新次郎・久貝潤一郎・石井代司・松崎要助・田中稲香・河野嘉七)は重禁錮4ヵ月、罰金10円の千葉軽罪裁判所判決、控訴、保釈(『朝野新聞』)。
11月1日、8名は官吏侮辱罪で4ヵ月間服役後に出獄(『自由燈』)。
・1886(明19)年
5月7日、井上幹他界(井上家墓誌)、明石吉五郎「追悼故井上幹君」(「井上家文書」)。
11月3日、大原竹楼で井上幹追悼会(『千葉新報』)。
・1887(明治20)年
1月、故楓江先生建碑義捐人名簿(「井上家文書」)。
・1888(明治21)年
2月26日、千葉彌一郎「送友人永瀬正之助之三河(七絶)」(『天夢遺稿』)。
※千葉と永瀬は楓江の門下生で親友(『天夢遺稿』)。
・1889(明治22)年
4月25日、中村正直の嶺田楓江翁碑文草稿(東京都「井上宗雄家文書」)。
同月、井上佐幾夫は布施村村長就任(『憲政功労者銘記』)。       
・1890(明治23)年
4月10日、板倉中は冤罪で投獄され獄中で漢詩「偶感(七絶)」(『春峯詩稿』)。
4月16日、村田峰次郎『東京地理沿革誌』発行(同書奥付)。
7月、第1回衆議院総選挙、重城保は当選(『千葉県議会史』)。
・1891(明治24)年
2月26日、重城保(衆議院議員)は漢詩集の『楓江遺草』出版(同書)。
4月17日、村田峰次郎は井上佐幾夫宛に葉書、嶺田楓江翁碑文の件(「井上家文書」)。
9月19日、「薫陶学舎」の数学教師の若林有隣他界(いすみ市内墓誌)。
・1892(明治25)年
2月、高梨正助(夷隅郡)は第2回衆議院総選挙当選(『千葉県議会史』付録)。
・1894(明治27)年
9月、君塚省三(夷隅郡)は第4回衆議院総選挙当選(『千葉県議会史』付録)。
・1898(明治31)年
6月17日、井上佐幾夫他界(『憲政功労者銘記』)。
8月、岩瀬武司(夷隅郡)は第6回総選挙当選(『千葉県議会史』付録)。
・1901(明治33)年
12月10日、野島幾太郎『加波山事件』発行、富松正安の漢詩と短歌収載(同書)。
・1904(明治36)年
3月、『湘煙日記』発行、中島俊子の漢詩「弔植木枝盛氏(七絶)」等収載(同書)。
7月7日、関戸覚蔵『東陲民権史』発行、富松正安「是非?倒任人評(七絶)」収載(同書)。
・1907(明治39)年
5月20日、君塚省三他界(『憲政功労者銘記』)。
・1910(明治43)年
3月22日、『自由党史下巻』発行、君塚省三、岩瀬武司、高橋喜惣治、花香恭次郎、板倉中、富松正安、玉水嘉一、景山英子等の肖像写真掲載(同書)。
4月10日、小野湖山他界、満96歳(『小野湖山翁小伝』)。
12月、「楓江嶺田老之碑」碑文撰、碑面に小野湖山「雋也吾党一奇士(七律)」(藻原寺境内石碑)。
・1911(明治44)年
3月、「小野湖山絶筆碑」碑文撰(いすみ市内石碑)。
・1912(大正元)年
3月28日、『通俗二十一史第11巻』(早稲田大学出版部)に楓江『海外新話』収載(同書)。
6月10日、山田烈盛編『楓江遺稿』発行(同書)。
9月13日、重城保他界(『重城保日記』、『木更津市史』)。
・1913(大正2)年
3月、嶺田楓江「明治十六年十二月廿七日逝去 享年六十六才」と若林有隣「明治二十四年九月十九日逝去 享年六十八才」の墓碑建石、施主は井上佐太郎(いすみ市内墓誌)。
11月26日、岩瀬武司他界(『憲政功労者銘記』)。
・1914(大正3)年
2月16日、村田峰次郎『高杉晋作』(民友社)発行、高杉の漢詩を多数収載(同書奥付)。
・1919(大正8)年
8月15日、明石吉五郎『嶺田楓江』発行、明石「展旧師之碑前(七絶)」(同書)。
この年の晩秋、西河通徹「自叙傳巻首(七絶3首草稿)」(西河謙吉編『鬼城自叙伝』)。
※西河通徹は宇和島藩出身で松山中学校々長、『総房共立新聞』や『自由新聞』の記者を歴任。
11月30日、村田峰次郎『大村益次郎先生事蹟』発行、大村の漢詩収載(同書)。

【主な参考文献】
・佐久間耕治著『房総の自由民権』崙書房1992年。
・佐久間耕治論文「自由民権研究の新段階-房総の三大事件建白・齊藤自治夫宛書簡に依拠して」(宇野俊一編『近代日本の政治と地域社会』国書刊行会1995年所収)。
・佐久間耕治著『底点の自由民権運動』岩田書院2002年。



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