いすみ地域
夭逝の豪農自由党員
井上幹
薫陶学舎・精農社・以文会・君塚省三


MIKI INOUE



 

房総自由民権資料館(home page) click
長生地域 茂原の自由党員 齊藤自治夫(next page)





 《contents》


 (1)井上幹と産業結社「精農社」

 (2)薫陶学舎教育課程表

 (3)人物memo・嶺田楓江

 (4)史跡案内

 (5)参考文献


  薫陶学舎関係新聞資料 click

  君塚省三と中村孝 click







井上幹・うた夫妻 

1885(明治18)年の出獄の頃(井上宗雄氏提供)




《井上幹と産業結社「精農社」》1853(嘉永6)年6月生誕~1886(明治19)年5月、32才で夭逝 


1997年の11月に第9回「房総の自由民権資料展」を大原町において開催した。テーマは「井上幹と薫陶学舎・精農社・以文会」であった。井上幹は夷隅郡の代表的な民権家で自由党員であった。ペリーが浦賀に来航した1853(嘉永6)年6月に生まれ、1884(明治17)年には明治政府の弾圧によって投獄され、1886(明治19)年5月に32才の若さで夭折した。「薫陶学舎」は民権私塾(私立中等学校)で、86名の入学者がいた。「以文会」は会員700名に及び、千葉県屈指の民権結社である。「精農社」は千葉県では数少ない産業結社である。これらの私塾や結社に積極的に関わった井上幹の特異な事績を、あらためて検証してみようという企画である。


以文会の結成については「郵便報知新聞」(1880年11月22日)に、「十五日大原駅の竹楼に同郷親睦会を開きしに来会する者百余名(中略)、結社規則及諸事整理のため委員九名を選定し社号を以文会と名」づけたと報道されている。およそ60年後、以文会は大政翼賛会により解散に追い込まれ、「東京日日新聞」(1940年10月15日)には「夷隅郡政友派以文会の解党大会は十三日午後一時から大原小学校講堂で開会(中略)、六百名の会員出席、六十二年の憲政史を飾った以文会も時代の波に解党した」と報道されている。この解散の記事についてはN氏の御教示を得た。

ぶ厚い蓄積のある全国の自由民権運動研究史でも、民権派産業結社の本格的研究は数少ない。最近研究が進展し解明が進んだように見える千葉県の自由民権運動研究でも、産業結社の本格的研究は皆無でる。

『精農雑誌第貳号』(1881年7月)は東大図書館の地下にあった明治文庫において、20年程前に複写させていただいた。昔日の北根先生の御好意は忘れ難い。その頃から一度は千葉県の産業結社である精農社について論じてみたいと思っていた。しかし今だに果たせないでいる。

江村栄一氏は大著『自由民権革命の研究』(法政大学出版局1984年37頁)で精農社について、「夷隅郡農事通信係の石野三郎左衛門の援助で設けられ、自由民権運動を推進する政社、以文会の幹部である井上幹・中村義利によって指導されていた」と言及している。さらに詳細な検討が必要であると私は考えている

明治文庫には『精農雑誌』は第貳号しか保存されていない。『精農雑誌』の第一号は『大原町史史料集(3)』(大原町1991年161頁)に紹介されている「精農社社員姓名録、郡内農区の分割及び会議録」であると私は推定している。表紙が欠けている史料なので断定はできないが、冊子の判型や第貳号との内容のつながりから間違いないと考えている。第三号以降は今の所未発見である。

★精農社は、国会開設を目指した学習結社である以文会とほぼ同じ時期に組織化されている。会員も重複している。1880(明治13)年の10月に社則(仮規則)が定められ、「設立の主意は專ら農事を改良して物産蕃殖を図る」、「有益なる穀菜種子菓木材料等の苗木を購求し或は交換して広く作法を試む」(前掲史料集(3)159頁160頁)等と規定されている。正式な開業式は翌年の2月20日であった。

社長には県会議員の小高貫三、幹事には井上幹と中村義利が選出された。中村義利は、県会議長(後に夷隅郡長)の中村権左衛門の弟である。社員112名の内、自由党に9名(井上幹、君塚省三、幸保六兵衛、高梨正助、関親忠、吉野忠吾、岩瀬小三郎、吉野朝吉、君塚仁蔵)も入党加盟するのであるから、当地域は房総民権派の梁山泊であったと言えよう。

★精農社に関する新聞記事を二つ程引用しておく。一つは「千葉県下上総国夷隅郡の小高貫三、井上幹、中村義利の三氏は常に農事に篤志の人なりしが、此頃同地の有志者を語ひ精農社と云ふを設け(後略)」(東京横浜毎日新聞1881年2月9日)である。

もう一つは「精農社々長小高貫三氏は先頃大多喜へ一箇の製紙場を設けられ、百方製紙の方法を購求せられしが其功空しからす、此程に至りては清涼なる半紙を製出するに至れりと」(総房共立新聞1882年10月4日)の記事である。その後、精農社は1887(明治20)年に解散となる。(『千葉県議会史議員名鑑』1985年230頁)



井上幹年譜

1831(天保2)年1020日、井上佐幾夫誕生(憲政功労者銘記)

1853(嘉永6)年66日、幹(ミキ)誕生(憲政功労者銘記)

1874(明7)年119日、二男の井上稲直(イネナオ)誕生、後に県会議員(議員名鑑)

1876(明9)年55日、幹の弟の璋誕生、後に勝浦市の久我家入籍(憲政功労者銘記)

1880(明13)年10月、小冊子『精農社仮規則』発行(井上家文書)

        1115日、竹楼で以文会結成(郵便報知新聞、朝野新聞)

1881(明14)年131日、以文会第1期演説会、大原、勝浦、大多喜、堀口昇(東京横浜毎日)

               220日、精農社開業式、幹事就任(精農雑誌第1号、井上家文書)

        521日、堀口昇と青木匡が夷隅郡遊説(朝野新聞、東京横浜毎日新聞)

        525日、堀口と青木が井上家で昼食、竹楼で以文会演説会と懇親会(朝野)

        7月、精農雑誌第2号発行(東大明治文庫所蔵)

1882(明15)年18日、薫陶学校入学金収入簿、井上佐幾夫公印(井上家文書)

        29日、井上幹宛の演説会案内の君塚省三・高梨正助連名書簡(井上家文書)

        312日、薫陶学舎開校式(藍野家文書)

        3月、精農雑誌第3号発行(千葉県立中央図書館所蔵)

        629日、桜井静が薫陶学舎を訪問し、井上家宿泊(総房共立新聞)

        9月中、井上幹は自由党組織化のため、夷隅郡内を遊説(総房共立新聞)

        12月、精農雑誌第4号発行(千葉県立中央図書館所蔵)

1883(明16)年2月、井上幹宛小高純一書簡、馬場辰猪・堀口昇遊説依頼の件(井上家文書)

        415日、演説会、大多喜大円寺、馬場辰猪、堀口昇(朝野新聞)

        417日、演説会、大原竹楼、馬場辰猪、堀口昇(朝野新聞)

        423日~24日、東京の自由党大会出席(三島通庸関係文書)

        4月、自由党の明治164月通常例会議決送付(井上家文書)

        5月、井上幹、『自由党員名簿』に記載(党員名簿)

        5月、5月報道書送付(井上家文書)

        5月、井上幹宛小高純一書簡、千葉県自由党懇親会開催の件(井上家文書)

        624日、竹楼で自由党懇親会(朝野新聞)

        8月、8月報道書送付(井上家文書)

        11月、11月報道書送付(井上家文書)

        1228日、薫陶学舎漢学教師の嶺田楓江他界(自由新聞)

1884(明17)年21日、藍野祐造・藍野一郎宛の井上幹書簡、減租請願の件(藍野家文書)

        228日、井上幹宛石井代治書簡、寧静館で佐久間吉太郎と談話(井上家文書)

               3月、自由党規則送付(井上家文書)

        4月、4月報道書と寧静館書簡送付(井上家文書)

        715日、井上・君塚・小高・高梨連名宛寧静館書簡、星亨遊説(井上家文書)

        722日~23日、星亨が夷隅郡遊説(自由燈)

        8月、8月報道書送付(井上家文書)

        1029日、大阪の自由党大会出席、解党に反対(自由民権機密探偵史料集)

        112日、齊藤和助宛の井上・板倉連名書簡、自由党解党の件(齊藤家文書)

        114日、井上家家宅捜索開始(井上家文書)

        124日、官吏侮辱罪で逮捕(朝野新聞、吉原三郎追懐録)

        129日、千葉県監獄本署の井上幹から、板倉中宛書簡(井上家文書)

        1231日、薫陶学舎閉校(自由燈)

1884(明18)年26日、千葉県監獄本署の井上幹から、井上佐幾夫宛書簡(井上家文書)

        331日、8名の千葉軽罪裁判所公判開廷、大井・板倉・吉原三郎が弁護人(自由燈)

        420日、千葉軽罪裁判所判決、全員重禁錮4ヵ月、罰金十円の判決(朝野新聞)

        512日、東京鍛冶橋監獄分署の井上幹から、井上佐幾夫宛書簡(井上家文書)

        625日、東京控訴裁判所公判開廷(自由燈)

        74日、東京控訴裁判所判決、原裁判通り(朝野新聞)

        79日、大審院へ上告はせずに、東京市ヶ谷監獄分署で服役(井上家文書)

        111日、官吏侮辱罪で4ヵ月服役し、出獄(自由燈)

1886(明19)年57日、井上幹他界(墓誌)

        510日、井上幹葬儀(井上家文書)

1886(明19)年113日、竹楼で井上幹追悼会(千葉新報)

1888(明21)年107日、千葉町で関東八州大懇親会、後藤来県、弟の直也参加(東海新報)

1889(明22)年4月、井上佐幾夫は布施村村長就任(憲政功労者銘記)

1891(明24)年811日、井上佐幾夫の妻の多喜(タキ)他界(墓誌)

919日、数学教師の若林有隣逝去(墓誌)

1898(明31)年617日、井上佐幾夫他界(憲政功労者銘記)

1910(明43)年8月、井上稲直は千葉県会議員補選に当選(議員名鑑)

1913(大2)年3月、嶺田楓江と若林有隣墓碑建石、施主は井上佐太郎(墓誌)

1922(大11)年428日、幹の実弟、勝浦漁協組合長の久我璋他界(憲政功労者銘記)

1927(昭2)年1218日、以文会編『憲政功労者銘記』発行(憲政功労者銘記

1928(昭3)年1220日、井上幹の妻の宇多(ウタ)他界(墓誌)




《薫陶学舎教育課程表》(井上幹家文書から)

1880(明治13)年6月、井上佐幾夫・幹父子、校舎建築開始
1882(明治15)年1月、開校(予科と本科3年)
1883(明治16)年12月28日、嶺田楓江先生死去
1884(明治17)年12月、船越県令の弾圧により閉校
1885(明治18)年中、書籍貸出の記録
・・・その後については未調査、学舎跡は現在は竹藪と畑



【英学】study of English

科学

予科

本科

本科

本科

第1年

第2年

第3年

第1期

第2期

第3期

第1期

第2期

第3期

第1期

第2期

第3期

綴字
習字

綴字本 習字本

*

訳読

第1・2読本

第3読本

万国史

万国史

*

*

*

*

*

*

質問

平生讀習スル書籍以下同シ

*

*

*

*

*

*

*

*

*

輪講

*

地理書

天然地理

究理書

米国史 人体究理及健全学

米国史 羅馬史

仏国学 希臘史

脩辞学 文明史

脩身学 交際論

論理学 代議政体  自由論

講義

*

文典

文典

動物学

植物学

英文学

英文学

万国公法

経済学

心理学

作文

*

簡易ノ文

普通俗簡

記文

伝説ノ類

和文英訳

英文和訳

即席作文

論文

論文






【漢学】study of Chinese classics

科学

予科

本科

本科

本科

第1年

第2年

第3年

第1期

第2期

第3期

第1期

第2期

第3期

第1期

第2期

第3期

素読

四書五経

*

質問

初学須知万国史略

輿地誌略国史攬要

国史略 万国新史

日本政記国法汎論

瀛環史略英氏経済論

博物新篇刑法

国語  治罪法

戦国策

荀子

大日本史

輪講

蒙求

日本外史十八史略

日本外史十八史略

日本外史元明清史略

文章軌範

文章軌範

孟子  史記

史記  八家文

史記  左伝

左伝  詩経

講義

皇朝戦略

靖献遺言

東菜博議

論語

中庸

書経

易経

孫子

韓非子

荘子

作文

近易書讀

通常ノ俗簡及証書文体

通常ノ俗簡及証書文体

和訳体ノ論説及公用文

和訳体ノ論説及公用文

復文及簡易ノ漢文

復文及簡易ノ漢文

漢文ノ記事及論策

漢文ノ記事及論策

漢文記説伝碑

算術

加減  乗除

分数諸法

比例諸法

開平  開立

代数学

代数学

代数学

幾何学

幾何学

三角法








嶺田楓江(肖像画)




【人物memo】
嶺田楓江 HUKO MINEDA 1818(文政元)年誕生、1883(明治16)年12月28日死去(65才)。

1818(文政元)年、誕生、丹後田辺藩江戸藩邸(明石『嶺田楓江』)
1835(天保6)年1月、佐藤一斎のもとで漢学研究(教員履歴)
1839(天保10)年1月、箕作元甫のもとで蘭学研究(教員履歴)
1843(天保14)年1月、林韑(アキラ)のもとで漢学研究(教員履歴)
1849(嘉永2)年12月、『海外新話』出版の件で町奉行取調(明石『嶺田楓江』)
1850(嘉永3)年10月、投獄(明石『嶺田楓江』)
1851(嘉永4)年113日、出獄、木更津市請西へ隠遁(明石『嶺田楓江』)
1864(元治元)年2月、田辺藩帰省(明石『嶺田楓江』) 719日、禁門の変警衛のため京都出張(明石『嶺田楓江』)
1876(明9)年1月、乃有学舎、長南町(明石『嶺田楓江』)
1878(明11)年1月、賛化学校開校式、茂原市(千葉県史31213日、賛化学校の楓江から青崖宛書簡、議長公選の件(千葉県史3165日、賛化学校の楓江から青崖宛書簡、返済金の件(千葉県史31
1879(明12)年、有余学舎、木更津市(明石『嶺田楓江』)
1881(明14)年10月、八剣神社に寿碑設置、木更津市(碑銘)
125日、薫陶学舎設置伺書に履歴記載(井上家文書)
1882(明15)年110日、薫陶学舎着任、いすみ市(総房共立新聞)
1883(明16)年122827)日、薫陶学舎在職中に他界(自由新聞、墓誌)




   



長生地域 茂原の自由党員 齊藤自治夫(next page) click

房総自由民権資料館(back to home page)  click


*** 室終了  back to top ***